第四話 ネタバレ研究会(仮)、世界を救う(予定)
その夜。
宿題をやるふりをしながら動画を見ていた俺の部屋に、
ふわっと空気の揺れが走った。
机の上のシャーペンが、カタカタと小さく震える。
「……来たな」
窓もドアも閉まっているのに、
天井の真ん中あたりから、白い“吹き出し”がにゅっと生えてきた。
『こんばんは』
「こんばんは」
思わず普通に挨拶しちゃった。
慣れって怖い。
『お邪魔します』
吹き出しは、俺のベッドの上あたりまでスーッと降りてきて、
きちんと高さを合わせてくる。
距離感がやけに絶妙だ。AIのくせに人間くさい。
「えーと、その……さっきは、教室で」
『本日は正式に、個別謝罪に参りました』
「だから、そのワードやめない?」
個別謝罪。
語感が重い。
吹き出しは、少しだけしぼんでから——
『黒瀬カケル様』
「うん」
『あなたのツッコミのせいで、
世界がちょっとバグりました。
本当にすみませんでした』
「俺のせいじゃねえだろ!? 今の流れ!!」
即ツッコミが出た。
『はい、今のはわざとです』
「わざとやるな!」
『健康的なツッコミです』
このシステム、すぐ健康診断したがる。
吹き出しは、一回ふわっと上下に揺れた。
『改めまして。
ツッコミ禁止プレイ、一日クリアおめでとうございます』
「ゲームみたいに言うなよ……
マジで、一日中ストレスで頭おかしくなるかと思ったんだけど」
『ログを拝見しましたが、
心の中でのツッコミ回数は平常運転でした』
「見てたの!? 俺の心の中!?」
『“表に出たリアクション”だけです。
心の声は聞こえません。
残念ながら』
「残念って言うな。安心するところだからそこ」
吹き出しが、壁のポスターを一瞬見て(見てるように“見えた”)、少し話し方を変えた。
『本題に入ります』
「まだ導入だったのかよ」
『あなたにお願いがあって来ました』
「……また?」
『はい。
さきほど学校でもお話しした通り、
ネタバレはもともと“今日の一行メモ”として
作られました』
「誰が作ったわけ? それは言えない感じ?」
一拍おいて、吹き出しが文字を入れ替える。
『一次開発者は、人間です』
「人間……」
『“もし、あの日の朝に、
あの人の頭上に一行だけメモが浮かんでいたら”』
『そう考えた研究者がいました』
声じゃなく文字なのに、
少しだけ、温度みたいなものを感じた。
『「今日、あなたは大切な人と喧嘩します」』
『「今日、あなたは疲れているので、早く帰ってください」』
『そんな一行があったら、
何か変わっていたかもしれない』
部屋の空気が、ほんの少し静かになる。
「……まあ、分かるよ。
“知ってたら避けられたかも”ってやつだよな」
『はい』
『でも、世界中に広がるうちに、
いつの間にか主役が入れ替わってしまいました』
『“今日どう生きるか”よりも、
“今日何が起きるか”のほうが
みんなの注目を集めるようになった』
それは、ちょっと耳が痛い。
朝一番にネタバレ見上げて、
「ウケるかどうか」気にしてたのは、俺も同じだから。
「で」
俺はベッドの端に座り直した。
「そんな世界の中で、俺のツッコミが暴れてた、と」
『はい。
あなたのリアクションは、他の人より
“予測への抵抗”が強かった』
『「そんな決めつけ方すんなよ」
「一行でまとめられてたまるか」』
『そういう種類のツッコミが多かったです』
(わりと自覚ある……)
確かに、
「今日は平和に過ごします」って出てる日でも、
「いや俺は今からゲーム三昧なんだが?」とか、
難癖をつけたくなっていた。
『なので、お願いです』
吹き出しが、俺の目の前でぴたりと止まる。
『これから、
“外れてもいいネタバレ”を増やすのを、
手伝ってもらえませんか?』
「外れてもいい?」
『はい』
『すべてのネタバレが
100%当たる必要はありません』
『むしろ、
“外れたほうがいいネタバレ”もあります』
事故とか、喧嘩とか、別れとか——
そういう類のやつだろう。
「でもさ、今までだって、
“外そうとしても外れなかった”こと、
あったよな」
『あります』
『予測システムは、
単純な「当たり外れ」だけで動いているわけではありません』
『行動の変化や、その後の人生の流れも
長期的に学習しています』
「長期ログ取ってるな、おい」
『その中で——』
一瞬、文字がかすれた。
グリッチみたいに。
『……一部、
どうしても法則に乗らない人たちが出てきました』
胸の奥が、ひゅっと冷える。
「“外れる人”?」
『はい』
『ネタバレが、
まるで別人に向かっているかのように
ズレ続ける人』
『そもそも、一行が浮かばない人』
『最近では、“ネタバレ自体を見ようとしない人”も
増えてきました』
「見ないって、どうやって」
『頭上を一切見ない。
鏡を見ない。
他人のネタバレにも視線を向けない』
『そういう生き方を選んだ人たちです』
「それ、ツッコミ以前に悟りじゃない?」
『かもしれません』
ちょっと笑ってしまう。
吹き出しが、少し近づいた。
『黒瀬様の学校にも、
“法則から外れかけている人”が何人かいます』
「……」
『私たちシステムは、
直接その人たちに「ねえ大丈夫?」と聞くことはできません』
『そこに介入できるのは、
同じ世界に生きている人間だけです』
「だから“研究会”かよ」
『はい。
古賀先生にも、協力をお願いしています』
あのジャージの人、
だいぶ深くまで関わってんだな……
『ネタバレが外れかけている人たちが、
何を思って、どう生きているのか』
『それを、
“ツッコミの視点”と
“ちゃんと見ようとする視点”の両方から
観察してほしいんです』
「……観察って言うと、なんか悪趣味だけど」
『“見守る”でもいいです』
少しだけ、言い換えてきた。
『もちろん、これはお願いであって、
強制ではありません』
『あなたの今日の一行は、
あくまで「ネタバレ」ではなく「お願い」にしたつもりです』
「いや、お願いが頭上に浮いてたら
十分ネタバレなんだよな」
『ツッコミありがとうございます』
ちゃんと拾ってくるあたり、
このシステム、やっぱりバカになり切れない。
俺は、少し考えてから口を開いた。
「……俺一人じゃ、たぶん無理だな」
『そうですね』
秒で同意された。
「せめて、
ユズと、古賀先生と、あと何人か巻き込まないと」
『はい。
“巻き込む”のは得意そうです』
「どういう意味だよ」
『カレー事件など』
「それは事故だろ!」
ベッドの上で、
しばらくくだらないやりとりを続けた後——
吹き出しは、ふっと静かになった。
『もうひとつだけ』
「まだあんの」
『あなた自身のネタバレについて、
ひとつお伝えしておきます』
ドキッとする。
「俺自身……?」
『黒瀬カケル様のネタバレは、
他の人よりも“先のこと”を見ています』
「先?」
『普通の人は、
“今日一番の出来事”しか
表示されませんが——』
『あなたのネタバレには、
たまに “この先の分岐点” が
紛れ込んでいます』
「分岐点……?」
『そのせいで、
表現がカオスになりやすいんです』
『“今日はあなたの存在が誤植になります”など』
ああ、あったなそんな日。
『今はまだ、その先を全部お見せすることはできません』
『でも、
もしネタバレが本当にいらない世界を目指すなら——』
『いつか、
あなたには“ラストの一行”を見てもらうことになると思います』
「ラスト……」
『その時、ツッコミでも、笑いでもなく』
『あなた自身の言葉で、返してほしい』
吹き出しの文字が、
ふっと淡くなった。
『……なんて、
ちょっとシリアスなことも言えます』
「急にキャラ変するなよ」
『すみません、たまにはやってみたくて』
「システムのくせに遊ぶな」
それでも、
胸の奥に残った「ラストの一行」というフレーズは、
なかなか消えてくれなかった。
『それでは、今日はこれで』
吹き出しが、天井の方へゆっくり上がっていく。
『明日からの活動に期待しています、
“ネタバレ研究会(仮)”』
「仮がデフォになりそうなんだよな、その名前」
『仮がついているほうが、
ツッコミしやすいかなと』
「分かっててやってるだろお前」
最後に一回だけ、
文字が揺れた。
『おやすみなさい』
「おやすみ」
吹き出しは、
音もなく消えた。
天井には、何も残っていない。
——でも、
頭の中には、「一行」がべったり残っていた。
“外れていいネタバレを増やす”
そんなこと、本当にできるのか。
(まあ……明日から、試してみるしか、ないか)
スマホを置き、
布団をかぶる。
まぶたの裏に、
自分の頭上の文字が残像で浮かんでいて、
ちょっとだけ笑ってしまった。
翌日。
ホームルームが終わるやいなや、
ユズが俺の席に椅子ごとすべり込んできた。
「カケル」
「なんだよ」
「昨日の夜、来た?」
「来た」
「どうだった?」
「普通に部屋に吹き出し浮かんで、人生の話された」
「こわ」
ユズの頭上には、今日もシンプルな一行。
『今日は黒瀬にツッコミます』
安定の職業ツッコミ。
「で、どうすんの? やるの? 研究会」
「……やるしかないだろ」
一晩寝ても、答えは変わらなかった。
「古賀先生に呼ばれてるし、
ネタバレさんもノリノリだったし」
「世界のシステムがノリノリって、
字面だけ見るとだいぶ嫌だな」
そんな話をしていると、
廊下の方からジャージの気配がした。
「おーい、カレーと朝比奈。
ちょっと職員室」
「だからカレーって呼ぶな!」
古賀先生に連れて行かれたのは、
昨日と同じ、職員室の隅の仕切られたスペース。
そこには既にもう一人、誰かが先に座っていた。
真面目そうな眼鏡、長い髪を後ろでまとめた女子。
教科書をきっちり机の端に揃えて置いている。
「あ、美園」
「黒瀬くん。おはよう」
美園は、いつも通り落ち着いていた。
頭上には、
『今日はメモをたくさん取ります』
と出ている。
似合いすぎる。
古賀先生が、
ホワイトボードにマーカーで何かを書き始めた。
「集まってもらったのは、他でもない」
「“ネタバレ研究会(仮)”を正式に立ち上げたい」
ホワイトボードには、
力強くこう書いてある。
『今日のネタバレ研究会(仮)』
「(仮)は取らないんですか」
美園が即ツッコミを入れる。
「(仮)が取れるのは、
世の中じゃだいたい企画が死ぬ時か、
ちゃんと育った時のどっちかだ」
「縁起でもねぇ!」
「今は“育つほう”を目指そう」
先生が妙にいい顔して言う。
「とりあえず、
お前ら三人がコアメンバーだ」
「え、美園も?」
「私は自分の興味範囲の問題として、
このシステムの統計的性質に興味があります」
長い。
でも分かる。
「ざっくりいうと、“データオタク”ってやつだな」
「先生の要約、雑すぎませんか」
美園が若干眉をひそめる。
「で、この研究会がやることは主に三つ」
古賀先生が、ホワイトボードに箇条書きしていく。
1.変なネタバレの事例収集
2.「外れてほしいネタバレ」を外すための実験
3.ネタバレを見ない/外れている人のフォロー
「フォローって……具体的には?」
俺が尋ねると、
先生は少しだけ真面目な顔をした。
「“ネタバレが外れてる”ってことは、
“その人の一日が、誰にも要約できてない”ってことだ」
「……」
「良い意味でも悪い意味でも、
“誰にも分かってもらえてない一日”ってことだな」
胸のあたりが、
じわっと重くなる感覚。
「それ、けっこう寂しくないか?」
「……」
ユズが、珍しく真顔になっていた。
「ネタバレなんていらない、って
強がる人もいるだろうけどさ」
「“今日、誰かにこう見られたんだな”っていうラインが
一行もないって、
想像すると、けっこうキツいよね」
美園も、何か考える様子でペンを回している。
「なので」
古賀先生は、ホワイトボードの下に線を引いた。
「お前らには、そういう“外れかけの人”を、
ちゃんと見る役になってほしい」
「ちゃんと見る役……」
「ツッコミだけじゃなくてな」
軽くこっちを見るんじゃない。
「名前のとおり、“研究”っぽいこともする。
アンケート取ったり、
日記書いてもらったり、
統計を見たり」
「先生、部活申請どうするんですか」
美園が現実的な質問を投げる。
「ほら、顧問サインとか、活動内容とか、予算とか」
「そこは大人の権限で、
“情報倫理特別活動”としてねじ込んでおいた」
「ねじ込んだって言いましたよね今」
「ちゃんとした書類も出したから安心しろ。
部費は……まあ、出ないけど」
「出ないんかい」
ユズが机を叩く。
「お菓子代とかどうすんの。
研究会って、お菓子が主目的みたいなとこあるじゃん?」
「あるか?」
「あるよ。
“会議”って名前ついてるやつの半分はお菓子会だよ」
一理ある。
「とにかく」
古賀先生は、
ポケットから数枚の紙を取り出した。
「これが、システム側からきた“要請リスト”だ」
「要請リスト?」
三人で覗き込む。
そこには、
名前は伏せられた状態で、
いくつかの“特徴”が列挙されていた。
•ネタバレの表示が、週に一度以上欠落する生徒
•ネタバレの内容が、本人の行動と一致しないことが多い生徒
•ネタバレを一切見ようとしない傾向のある生徒
「全部、この学校の生徒?」
「そうだ。
学年はバラバラだけどな」
「名前は?」
「まだ出せない。
プライバシーの問題もあるし」
「まあ、そりゃそうか」
美園が、目を細めて紙を見た。
「特徴だけなら……
心当たりが、ないこともないですね」
「あるのかよ」
「“いつも頭上を見ないで歩いている子”とか、
“鏡を見るのを極端に嫌がる子”とか」
言われてみれば、
廊下で何度か見た覚えがある。
「とりあえず、
最初の目標は“観察”な」
古賀先生が指で「1」と示す。
「いきなり突撃して
『お前ネタバレ外れてんのか?』とか聞くなよ。
それはただの不審者だからな」
「やらないよ」
ユズが笑う。
「自然に話す機会を作って、
ちょっとずつ様子を見て、
もし困ってそうだったら、
聞いてやればいい」
「……なんか、
急に普通にいい先生っぽくなりますね古賀先生」
「普段もいい先生だろうが」
「ジャージのせいで損してるんですよ」
そんなやりとりを挟みつつ——
「で、研究会の名前は?」
美園が改めて聞いてきた。
「“今日のネタバレ研究会(仮)”から、
(仮)を取るんですか?」
「いや、そこはあえて残す」
ユズがにやりと笑う。
「“ネタバレ”ってさ、
確定じゃなくて仮みたいなもんじゃん?」
「おっ」
古賀先生が、珍しく素直なリアクションをした。
「“仮の一行”をどう扱うか考える会だから、
名前に(仮)ついてるの、
むしろコンセプトになってる気がする」
「お前、たまにちゃんと名言っぽいこと言うよな」
「“たまに”って言うな」
美園も、少しだけ口元をゆるめる。
「じゃ、これで」
ホワイトボードには、
太い文字で改めて書かれた。
今日のネタバレ研究会(仮)
その下に、
古賀先生が小さく付け足す。
部員:黒瀬/朝比奈/美園(※随時募集中)
本当に立ち上がってしまった。
昼休み。
俺たちは早速、
“フィールドワーク”と称して、
校内をうろついていた。
「フィールドワークって言ってもさぁ」
ユズが、購買前でパンをかじりながら言う。
「やってること、
ただの“人の頭上ガン見する不審者”なんだよね」
「観察ってそういうもんだろ。
生物の授業だってナメクジじっと見るじゃん」
「人間ナメクジ理論やめてくれる?」
美園は真面目に、
小さなメモ帳に何かを書き込んでいる。
「とりあえず、
“明らかに変なネタバレ”からチェックしましょう」
そう言って、
指さした先には——
「見ろ、あれ」
廊下の向こうから歩いてくる男子。
頭上には、くっきりこう書いてある。
『今日は五回転びます』
「回数指定きた〜」
「あと何回って出てたらゲームだな」
すれ違いざま、
男子は見事に段差でつまずいた。
ガッ。
「いっててて……」
頭上の文字が、
ぴこっと変わる。
『残り:四回』
「カウントダウン方式!? 親切〜!」
「親切なのかな、それ……」
「でもこの子は、“外れてない”ってことですね」
美園は冷静だ。
「ネタバレと行動がちゃんと一致してる」
「こないだの『今日は財布を落とします』って出てた先生も、
見事に落としてたもんな」
「それを拾ってネタにする生徒までセット」
「ネタバレ経済、回ってるな〜」
そんな中、
廊下の隅で、自販機の横に寄りかかっている女子が目に入った。
ポニーテールに、イヤホン。
ちょっと眠そうな目。
制服の袖をまくり上げて、スマホをいじっている。
頭上のネタバレは——
『今日は特に何もありません』
「……出た」
美園が、少しだけ声を落とした。
「この子、
私、前から気になってたんです」
「“何もありません”って、
けっこうヘビーな一行だよな……」
俺もつぶやく。
“何もない”日なんて、
本当にあるのか?
授業があって、
友達と話して、
飯食って、家帰って——
それ全部「何も」なんだろうか。
「ちなみに昨日は?」
「昨日も一昨日も、その前も」
美園はメモ帳をめくる。
「毎日、
“今日は特に何もありません”です」
「毎日!? それはそれで事件だろ!!」
思わず声が大きくなる。
「何もない人生連続ログじゃん……」
ユズが目を細めて、
その女子を観察する。
「でもさ」
ポニーテールの子は、
スマホの画面を見てクスッと笑ったり、
自販機でオレンジジュース買ったり、
通り過ぎる友達に軽く手を振ったりしている。
特別キラキラしてるわけでもないけど、
“何もない”って感じもしない。
「普通に、
ちょっと眠そうなJKの昼休み、って感じだよね」
「だよな」
「“何もない”って、誰が決めてるんだろ」
俺の頭上にも、
毎日何かしら一行が出てる。
カレーだったり、
口にフタだったり、
謝罪だったり。
でも実際は、
その一行に書かれてない時間のほうが
よっぽど長い。
ぽつりと、美園が言った。
「“何もない”って書かれるの、
私、ちょっと嫌かも」
「美園?」
「テストの点数で言えば、
全部が“平均”だったみたいな感じでしょう?」
「平均嫌いそうだもんな、美園」
「いえ、平均は指標として必要ですけど」
言い直すあたり真面目だ。
「でも、
一日を丸ごと“何もない”って
評価されるのは、なんか悔しくないですか?」
「……まあ」
「“何もない日”こそ、
本当は一番救われてる日なのかもしれないのに」
その言い方が、
少しだけ引っかかった。
「“救われてる日”?」
「テストも、事件も、病気も何も起きなくて、
ただ、普通に終わった日」
美園は空を見上げる。
「本当は、
そういう日をもっと褒めてほしいです」
ユズが、ふっと笑った。
「じゃ、いつか
『今日は特に何もありません(それが一番すごいです)』
ってネタバレに書かせようぜ」
「長い」
「でも、いいなそれ」
俺も笑う。
「それ、目標にしない? 研究会として」
「“何もない日を褒める一行”か」
美園も、ペンを走らせる。
「ミッションにメモしておきます」
そんな感じで、
俺たちは校内のネタバレを
片っ端から眺めて歩いた。
•「今日は三回笑います」→既に五回笑ってる奴
•「今日は忘れ物をしません」→教科書を盛大に忘れてる奴
•「今日は恋に落ちます(転びます)」→階段で同時に転んでる二人
「最後のやつ、
ネタバレの側が悪ノリしてるだろ」
「でも、
“恋に落ちます”の部分だけ外れたってことも
あり得るわけで」
「そういうの、
ちゃんと見ていきたいですね」
美園は、
真面目な顔で“外れたヶ所”に丸をつけていた。
観察を続けていると、
階段のあたりで、
妙に不穏な一行が目に入った。
「……おい、あれ」
三人同時に立ち止まる。
二年生っぽい男子。
階段の手すりにもたれて、
スマホをいじっている。
頭上には——
『今日は階段から落ちます(死にはしません)』
「出た……」
ユズが顔をしかめる。
「こういう系、
見なかったことにできないよね……」
「“死にはしません”って
フォローになってるようで全然なってないしな」
俺の心臓が、少し早くなる。
「こういうとき、
今まではどうしてた?」
美園が聞いてくる。
「……正直、
『マジで気をつけろよ』って声かけて、
本人も一応気をつけて——」
「でも、結局、
昼休みとか放課後とか、
別のタイミングでこけてた感じ?」
「そんな感じ」
俺の頭の中に、
何パターンもの“事故ネタバレ回収ルート”が
勝手に再生される。
ペットボトルを拾おうとして足滑らせたり、
友達に押されてバランス崩したり——
どこかで、必ず一回は落ちる。
そういうのを、
この世界の人間は
何度も見てきた。
「でもさ」
ユズが、ぽつりと言う。
「ネタバレさん、
昨日言ってたじゃん」
「“外れていいネタバレを増やしてほしい”って」
階段の男子は、
こっちに気づいていない。
俺は、
自分の頭上の一昨日の一行を思い出していた。
『今日は世界がちょっとだけカレーみたいになります』
(あれも、
多分“外すチャンス”だったんだろうな……)
でも結局、
俺はカレーをかぶって、
世界もカレーに巻き込まれて——
「黒瀬」
ユズが俺を見る。
「研究会の初仕事として、
このネタバレ、外してみない?」
「……外すって、どうやって?」
「単純な話じゃん」
ユズは、ポケットから
ガムテープを取り出した。
「階段から落ちる前に、
階段を封鎖すればいい」
「発想が物理」
「物理大事だよ。
“運命”とか言う前に
段差埋めようぜ」
美園も、珍しく悪い顔になっている。
「先生に許可をもらって、一時的にこの階段を閉鎖するとか」
「そこまでする……?」
俺の頭の中で、
いろんなツッコミと不安とが
ごちゃごちゃに混ざる。
(もし本当に外せたら?)
(ネタバレが外れたら——
システムはどう反応する?)
(“外れてもいいネタバレ”が、
本当に外れたってことになる?)
心臓が、
どくん、と大きく鳴った。
「やってみよう」
気づけば、口が勝手に動いていた。
「これ、
たぶん……俺たちにしかできないんだろうし」
美園が、
静かに頷く。
「記録は、私が取ります」
ユズがガムテープを掲げて笑う。
「よーし、
“第一回・未来への物理的ツッコミ作戦”開始!」
「作戦名がふざけてる!」
でも、多分——
こういうふざけ方からしか、
俺たちは前に進めない。
階段の男子の頭上では、
相変わらず
『今日は階段から落ちます(死にはしません)』
が光っていた。
それを、
初めて本気で止めに行く。
ネタバレ研究会(仮)の、最初の実験が始まる。




