8 急にのろける
日曜日の昼下がり。
約束の時間ぴったりに剣持さんは喫茶店「マール」に現れた。
俺の元雇い主で、都内の複数の高級レストランを経営する実業家。
久住・ウィルヘルム・来人の件で迷惑をかけて、逃げるように俺が姿を消した後も、探し続けていてくれて、俺が料理する店を準備しようとしてくれていた。久住の件が片づいた後、改めて正式に、剣持さんが新規出店する高級レストランで働くことを打診されたが……俺は「三河」で働くと言って、断ってしまった。
俺は、剣持さんにいくつか、自分のレシピを渡すために、待ち合わせをしていた。
「流石、いい雰囲気の店知ってるじゃないか」 「剣持さんほどじゃないですよ」
「あの女子高生と、ここでよくデートしてるんだろ」
「! 何ですかそれ!」
「あれ? 警視庁の牧島さんが言ってたけど?」
「個人情報! っていうか、そんなにいつも来てないです! 依頼が終わった後の打ち上げに、ちょうど良い距離なんすよ」
「外からもあんまり見えないし、雰囲気も落ち着いてるし、人目を避けるには最高の店じゃないか」
「もうその話は勘弁してください……はい、これ、レシピです」
「……本当に良いのか?」
「受け取ってくださいよ。じゃないと、気がすまないですから」
「もらったからには、看板メニューの一つにする。そのときは、お前の名前も出していいんだろ? もう、隠す理由もないんだし」
「いいですよ。まぁ、人気が出たらにしてくださいね」
「本当は、お前に作ってほしいけどな。ま、彼女から離れる訳にはいかないと」
「……彼女じゃないっす」
「え?! 付き合ってるんじゃないの?」
「違いますよ! 8つも下の高2ですよ! やばいじゃないですか。牧島さんに捕まっちゃいますよ」
「別に遊びじゃないんだろ?」
「いや、何の話でしょうか……俺は、「三河」の仕事の仕方が好きなんです。裏方で料理に専念して、お客さんには杏奈が料理の説明をしてくれて……」
剣持さんがにやにやしている。
「俺はお前の性格も踏まえて、まったく同じシステムの新規レストランを用意したって言うのになぁ。厨房に専念して、専門のスタッフが接客してくれるっていう」
俺のことをよく知っている元雇用主は、痛いところを、しっかりとぐっさりと突き刺してくる。
「申し訳ないけど、「三河」さんに比べたら、厨房機器も食材も、給料だって、格段に上なのに、どういう条件があれば、この新進気鋭の青年実業家のラブコールをばっさり断るんですかねぇ。あー、誰かさんを念頭に設計して、結構お金突っ込んだんだけどなぁ」
……。
お、思いの外、結構根に持ってる……!
クラフトビールの小瓶が2本と、グラスと、おつまみのナッツが運ばれてきた。
話の流れが変わるかな、と思ったが。
「俺のこと嫌いってわけでもないだろうしさぁ」
変わらなかった。
いや、そうなんだ、執念があると言えば聞こえがいいが、基本、しつこい人なのだ。
「そ、そりゃもちろん、恩をめちゃくちゃ感じてますよ」
「じゃあ、後はもう他に理由ないよなぁ」
……。
「な、なんなんすか! もう!」
「まぁ、飲めよ」
剣持さんがビール瓶の栓を開けて、俺のグラスに注いだ。慌てておれも剣持さんのグラスに注ぐ。グラスをちょんと合わせて軽く乾杯。濃いめのアンバーエールで、冷やしすぎない絶妙の温度、美味しいのだが……。
「要するに、ちゃんと納得してあきらめたいってこと。さぁ、ちゃんと説明しろ。何でうちじゃ駄目なんだよ」
剣持さんは若干絡み酒である。絡み酒モードへの移行も速い。
「……久住の件で杏奈にはめちゃくちゃ世話になったんで。その恩は返さないといけないじゃないですか」
全く納得していない髭面である。
「へー、そりゃ恩はでかいだろうけど、シルフィードにお前を抜擢して、抜群の待遇で給料出して、業界人にも宣伝して、シルフィードから抜けた後の準備も一生懸命して、何回もお前に連絡して……」
「あー! 分かってます分かってます! ほんと剣持さんには恩を感じてますし、連絡に出なかったのもすみませんでしたってば!」
「そんなに、特別なの?」
うっ。
「……はい」
剣持さんが硬直した後、急に笑い出した。
「お前のそんな顔、初めて見たぞ」
「そんな笑わないでくださいよ。……他にいないんですよ、あそこまで、俺の料理を分かってくれて、支えてくれて……料理だけはできなくて、ぼやっとしてるのかと思ったら、頭も良くて、機転も聞いて、英語も話せるし、自然と人を引きつけるし……」
剣持さんが、口を開けて俺を見ている。
「俺、あいつと料理を作りたいんです。他の人じゃ駄目っていうか……ほんと、すみません」
フリーズした剣持さんが、急に爆発したように笑い始め、午後4時という微妙な時間帯の、まばらなお客さん達の視線を引いた。
「急にのろけるんじゃねーよ、聞いてるこっちが恥ずかしいわ。居酒屋に移動するか?」
「のろけてないっすよ。俺は、剣持さんのところで働けない理由を……」
「あー、もう十分納得した。確かに、特殊な味覚を持ってるし、何より……あの恋愛に興味がない橋本一樹がベタ惚れしてるんじゃ、もう引っ剥がせないな。今日を持って俺はあきらめた」
「だからそんなんじゃないですって」
「じゃあ、何なんだよ」
「……俺、よく分かんないんです。親があれだったから……あんま、その、好きとか嫌いとか考えたこと無いんで」
「25で」
「25で」
「さっさと告白して付き合え
……この酔っぱらい……。
「気持ち悪がられたらどうするんすか。一緒に働けなくなったらそれこそ困るんですけど」
「他の男に取られたら、どうするんだ」
え?
「あの子、眼鏡外したらすげー美人だろ? 妻子持ちの俺だって、ちょっと目がいっちゃうくらいだぞ? それで性格も良くて頭も良かったら、世の中、腐るほど男がいるのに、ほっとかれないだろ。それこそ、いい男ばかりじゃねーんだし。お前、それで良いの?」
鈍器で殴られたほどの衝撃を受け、俺は絶句した。
「12月14日か。後少しでクリスマスだしなー、今年もたくさんのカップルが発生するんだろーなー」
クリスマス。
いや、クリスマスは、杏奈は予定なさそうだった。24は女将さんと3人でケーキ、25は「三河」が営業だから、そっちも杏奈は家にいる。
「クリスマスイブは、予定なさそうなんで、一緒にケーキ食べますから大丈夫です」
「25は?」
「その日は短縮で20時30分まで営業ですから……」
「じゃあ、その後、時間があるわけだ」
「……え?」
「ちょっと家を抜け出して、次の日の朝帰ってくる可能性も、あるわけだ」
な……。
このクソおっさん。
なんてことを……。
不適な笑顔を浮かべる、元雇用主を、俺は全力で睨みつけた。
「……確認します……」
そうだ、プレゼントは25日に渡そうかと思ってたが、まさか……。
確かにそうだ。
よく考えたら、俺は杏奈の「三河」での姿しか知らない。自宅の姿だからプライベートと言えば聞こえは良いが、かえって、家族がお互いの外での様子を知らないように、学校や友人との様子を知ってるわけじゃない。
ーあ、25日の夜は約束があって……ちょっとお店も早く上がらせてもらいます。橋本さん、ごめんなさいー
などという展開は……控えめに言って、耐えられん。
「お前、顔が青いぞ。どんな想像してんだ?」
「……剣持さんのせいですからね……」
半分くらい、わざと見ないようにしていた感情に、年の瀬に直面することとなった。
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