18 す
※杏奈は音や視覚からも味覚が生じる特異体質(特殊な共感覚)で、美味しいものの情報には抗えません(詳細は、本編参照)
ふと、杏奈の視線を感じた。
いや、ちょっと待て。
まさかとは思うが……。
ちょっと、こっちも段取りというものがあるんだ。
それに、今日はダメだ。
女将さんもいないし、酒も飲んじまった。
今の俺だと……抱きしめたりしかねない。
駄目だ、それはダメ。
仕方ない……。
少し早いが、あれを出そう。
念の為、音源も準備しておいて良かった。
***
「橋本さん」
「ん?」
「わ、わた……私…私は……は……橋本さんが……す……」
「す?」
「す……」
橋本さんが、私の発言を遮るように、すっと手をかざした。
「分かってる。この日に備えて、ちゃんと、俺も考えてたんだ」
スピーカーにBluetoothで接続していたスマホを操作して、bgmを変える。
え!
こ、これは⋯⋯!
その音が、私の耳を通して、いけない衝動を掻き立てる。
ぞくり。
私の頭を、最悪の展開がよぎる。
「杏奈……」
橋本さんがすっと、私に近づいてくる。
嫌。
だ、駄目……。
こんなの、望んでない。
いやだ……。
嫌なのに……違うのに……。
身体が、私の中の欲望が、それを期待してしまっている。
「ずっと、これを期待してたんだろ?」
「は、橋本さん⋯⋯」
や、やめて……。
こんな、こんなの……。
「こういうこと、だろ……?」
私の横を通り過ぎ、厨房の冷蔵庫を開ける。
「藤川社長経由で入手した。A5ランク、米沢牛。さあ、見ろ、この上品な脂身、ルビーのような赤み」
「だ、だめ……」
さっきから流れてる音は、間違いなく、極上のすき焼きを煮立てる鍋の音。
「これを……「三河」の奥で眠っていた上質な鉄鍋で、特製の割り下で……まず肉を堪能した後は、朝市で仕入れた春菊、長ネギ、しらたき、そして厳選飼料飼育「ぴよぴよ舎」の生玉子で、そしてぎっしりとうまみを吸った肉を、これまた炊き立ての「つや姫」で……!」
「いやあああああああ!」
すきやきっ!!
食べたいっ! 食べたいっ!!
***
その夜食べたすき焼きは、間違いなく、人生で一番美味しかった。
すき焼きを堪能し、締めのうどんを食べ終わるころには、告白というようなムードは消し飛んでいた。
***
「何やってんの……杏奈……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
25日の昼、三咲とのお昼ご飯。
「すき焼き、美味しかった……」
お弁当は、昨日のすき焼きの残りで作られた、豪華、牛丼弁当……。
「イブに好きな人と、自分の家で二人きりなどというシュチュエーションを、食欲に負けて逃す……だと? 友達……やめようかな……」
「き……今日……プレゼント渡すから……そこで告白する……」
いや違う……あれは……絶対わざとだ……。
私がああなるって、分かっててやったに違いない……。
あんな音源まで用意して⋯⋯。
告白、されたくなかったのかな……。
「今日渡すタイミングなんてあるの?
「あ、橋本さんが、お店終わった後、散歩がてらクリスマスツリーを見に行くけど、来るかって。それについて行って、そこで……」
「は?」
「ん?」
「誘われてるの? ツリーを見に?」
「ん? 散歩? 橋本さん、散歩好きみたいだし⋯⋯」
「⋯⋯おめでとう⋯⋯」
「え?」
***
危なかった……あいつ、告白する気だったんじゃないか?
順番と……こっちも心の準備があるんだからさ……。
俺は、杏奈へのプレゼントが入った細長い箱を手に取った。
まぁ、特注品ではあるけど、女子高生に渡すものとしては、渋すぎるだろうか……。
読んでいただいてありがとうございます!
残り2話です、ちゃんと告白できますように、、、、
もしよければ評価・ブクマいただけたらとっても嬉しいです!




