7.最愛の隙間 sideセオドア
sideセオドア
日に日にアイツの存在が僕の中で大きくなっていく。
どこかでアイツを見つければ、何をしているのかと目で追ってしまい、ふとした瞬間にアイツのことが何故か気になってしまう。
気に入らない、消えて欲しい、許せない。
そんな感情が渦巻いて、アイツから目が離せなかった。
許し難い存在として、僕の中でどんどんアイツが大きくなっていた。
…そう思っていたのに。
許せない憎しみの対象であるはずのアイツが、口から血を流して倒れた時、言いようのない不安に襲われた。
アイツが死ぬと思うと、どうしようもなく恐怖が湧いた。
だけどそんな感情きっと気の迷いだ。
姉のフリをする、姉のような存在が、目の前で死ぬ姿を見たくなかっただけだ。
そう自分に何度も何度も言い聞かせた。
ーーーけれど、やっぱりダメだった。
使用人の真似事をさせられているアイツを見て、腹が立った。ヴァネッサに〝様〟と平気で付けて呼ぶその姿につい「お前は伯爵家の者なのに何故下の者に敬称を付ける?」と言いそうになった。
僕の中で気がつけば、あんなニセモノが伯爵家の一員になってしまっていた。
アイツの存在が日に日に僕の中で目障りなほど大きくなっていると思っていたが、許し難い存在として大きくなっていたわけではなかったのだ。
そのことに気がついた時、最悪の気分になった。
あんなにもアイツの存在を許せなかったのに、僕自身が姉の隙間へと入ってきたアイツを許してしまったのか。
もうアイツの存在をこれ以上許すわけにはいかない。
早く絶望させてこの家から出て行かせるんだ。
だからアイツが勝手に使っている姉さんの部屋へ行き、一番大切そうに保管されていたあれを僕は握り潰した。
だけど僕はアイツの存在を許してしまった。
アイツの思いを知り、涙を見て、僕は絆されてしまったのだ。
もう姉さんの隙間に入ってしまったアイツを追い出すことが、僕にはできなかった。
「それでセオドア?もう一度先ほどのことを説明してくれるかな?」
ここはお父様の執務室。
執務室の一番奥の大きなテーブルの椅子に腰掛けるお父様の横に僕は冷たい表情で立っていた。
お父様も同じく冷たい表情を浮かべ、僕と同じ人物のことをじっと見据えている。
「姉さんが使用人の仕事をしていたのも、毒を盛られたのも全部コイツのせいだよ」
僕たちの視線の先にいるのはヴァネッサだ。
ヴァネッサは来客用のテーブルとソファの向こうに立たされて、冷や汗を流していた。
「…べ、弁明させてください。あれはレイラ様ではございません。ただの何者でもない女でございます。そのようなものがあの高貴であり、完璧なレイラ様に成り代わろうなどおかしな話で…」
「黙れ」
ヴァネッサが苦し紛れに言い始めた言葉をお父様が冷たい声で制する。
「あれだと?あの子は私たちの娘、レイラだ。お前たちが使えるべき主人の1人なんだぞ?それをあれとは何事だ」
「…し、しかし!」
お父様に睨まれてもなお、何かを言おうとするヴァネッサに呆れてしまう。
何故、自分が今間違った選択をしてしまったと気づかないのだろうか。
アイツは姉さんの代わりだ。
つまり姉さんが帰って来るまではアイツが姉さんなのだ。
僕の大切な姉さんに危害を加える者は許せない。
使用人扱いする者も許せない。
だから僕はアイツを取り巻く環境を徹底的に調べ上げた。
そしてアイツがここで受けてきた数々の嫌がらせをお父様に報告した。
もちろん自分がやったきたことは伏せて。
「セ、セオドア様!セオドア様ならわかっておりますよね!?アイツがニセモノであることを!ニセモノがホンモノに成り代わろうとしているということ!私たちが!私たちがレイラ様の場所をお守りしなければ一体誰があの方の場所を…」
そこまで必死に叫んでヴァネッサは突然黙った。
僕の表情を見たからだろう。
「アイツ?お前如きが僕の姉さんをアイツ呼ばわりとは…。ヴァネッサ、随分偉くなったんだね」
「…あ、いや、ちが…」
僕の冷めた表情を見て、ヴァネッサがおろおろし始める。
何か言いたいようだが、恐怖で口が回っていない。
「ヴァネッサ、お前はクビだ。それからレイラにしてきたことについて騎士団に突き出す。少なくとも毒殺未遂の容疑はかけられるだろう」
「そ、そんな…。は、伯爵様。ど、どうか、ご慈悲を…。私はレイラ様とセオドア様の乳母であり、お二人の第二の母のような存在で…」
「連れて行け」
お父様に冷たく命令され、ヴァネッサのすぐ後ろに待機していた2人の騎士がヴァネッサの両脇を押さえる。
そして「いやぁ!連れて行かないで!どうか!どうか私のお話を聞いてください!伯爵様ぁ!セオドア様ぁ!」と絶望した顔で叫び続けるヴァネッサを連れて行った。
僕はそれをただただ無表情に見つめていた。
姉さんに危害を加える者は消すだけだ。
*****
アイツと泣き合ったあの日以来、僕はアイツへの嫌がらせをやめた。
そしてアイツのすぐ横で目を光らせると決めた。
アイツが完璧な姉さんになり、姉さんの場所を本当に奪ってしまわないように。
だから僕は今日も姉さんの部屋で、必死に授業の復習をしているアイツの横にわざわざ椅子を持ってきて、座っていた。
テキストを睨んではノートに問題の答えを書いてみたり、大事なところをまとめたりしているアイツの様子をじっと見つめる。
コイツが今やっているところは信じられないが、6歳の子どもがやるところだった。
基礎中の基礎に何故か頭を抱える姿に呆れるどころか、かわいそうになってくる。
コイツは腐っても男爵令嬢だったはずだ。
それなのに貴族としての基礎さえもわからないとは。
学ぶ機会がなかったのか、学んだがあまりにも馬鹿すぎて頭に入っていないのか。
わからないが、いかにコイツがいろいろな面で恵まれていなかったのかだけはわかる。
「ちょっと、そこ違うんだけど?さっきも同じ間違いしてたよね?何度繰り返せばいいんだよ?学ばないね?」
ノートにまた間違ったことを書いているアイツに僕はため息を吐きながら注意をする。
コイツはやっぱり馬鹿だから勉強ができないようだ。
「姉さんはそんな間違いはしない。しっかりしろよ。そんな初歩的な間違いをして笑われるのはお前とお前が成り代わっている姉さんなんだよ」
「…はいはい」
僕に嫌味を言われて姉さんのニセモノが苦笑いを浮かべて適当な返事をする。
文句を言い合ったあの日以来、僕たちの間に上下関係はなくなり、こんなふうにコイツは僕に砕けた口調と態度を取るようになっていた。
僕がそうするように何度も何度も言ったからだ。
姉さんの代わりになるのなら、姉さんが現れるまでは、姉さんとして僕に接するべきだ、と。
最初は戸惑っていたコイツも次第に慣れ、今ではこんな感じだった。
「…それよりもさ、セオドア」
「何」
「近くない?私たち」
僕の横で言いにくそうにそう言い、僕を見つめるアイツに僕は冷たい視線を落とす。
確かに僕たちの距離は一般的には近いだろう。
コイツの横にぴったりとくっつくようにわざわざ椅子を置いているのだ。近くて当然だ。
しかしニセモノがホンモノに成り代わらない為にも、僕は物理的にも近くでコイツを見張る必要がある。
少しでも近くでコイツを見て、少しの変化も逃さないようにしなければならない。
「貴族の姉弟の距離感はこんなものだよ。没落寸前の男爵令嬢じゃ知らないだろうけど」
真っ赤な嘘であるが、それらしく言えば、コイツは「…そ、そうなんだ」と呟いて、またノートとテキストに視線を向けた。
何と騙されやすい単純なやつなのだろう。
こんな距離感、貴族の姉弟でもおかしいに決まっているじゃないか。
確かに姉さんと僕は仲が良かったが、こんな距離で一緒にいることなんてなかった。
コイツは悔しいが姉さんと瓜二つだ。
愛らしいが綺麗な顔立ちも、艶やかなまっすぐな黒髪も。
違うところといえば、髪の長さと瞳の色、それから僕と同じ位置にある右目の下のホクロの有無くらいだ。
このままコイツが見た目だけではなく、中身まで姉さんと同じになってしまったら。
今度こそ本当に僕の姉さんの帰る場所がなくなってしまう。
コイツこそが僕の姉さんになってしまう。
そんなこと絶対に耐えられない。
だから僕は常にコイツの隣にいるのだ。
全部だ。
姉さんの評価が落ちること以外全部、姉さんと真逆にしてやる。
食の好みや服の趣味、何もかも全部姉さんとは違うものにしてやる。
そうして見た目だけは姉さんに瓜二つのニセモノを僕が作るのだ。
ーーーー姉さんの帰る場所は僕が守る。
「また間違えた。お前、本当馬鹿だね」
また同じ箇所を間違えているアイツに僕は見下すように笑い、そこを指摘する。
すると、アイツは僕のことを軽く睨んできた。
「私は男爵の娘だからね」
それだけ言ってプイッと僕から視線を逸らすニセモノ。
僕に凄んだつもりだろうが、全く迫力がない。
まるで子猫にでも可愛らしく威嚇された気分だ。
「今は伯爵令嬢だ。こんなところで躓くな」
「…はーい」
「気に入らない返事だな?」
「…」
「何?その顔」
「うっ、ちょっとやめてよ!」
あまりにも不服そうにしていたニセモノのことが気に食わず、ニセモノの頬を右手で鷲掴む。
僕に頬を掴まれて、変な顔になっているニセモノはとても嫌そうに首を何度も何度も振っていた。
「…ふっ」
何とも無様なニセモノの姿に自然と笑みが溢れる。
コイツは姉さんじゃない。
姉さんのニセモノのであり、姉さんが帰って来るまでの代わりだ。
姉さんが帰って来るその日まで、僕はコイツから絶対に目を離さない。
完璧な姉さんにコイツが成り代わらないように。