19.許されないこと
レイラ様との再会を喜ぶ長いながーい会話に一応参加した後、私はレイラ様の部屋へと戻った。
そしていつものように予習復習をする為にまずは机へと向かったのだが、私はその足をその場で止めた。
もうその必要はないと気付いたからだ。
ホンモノの完璧なレイラ様が帰ってきた今、レイラ様の代わりである私は必要のない存在であり、もちろんもう完璧である必要もない。
私はもうレイラ様の代わりから、ただのリリーに戻れるのだ。
「…っ」
1人になり、改めて現状に実感が湧くと、言いようのない喜びが押し寄せた。
まるで夢でも見ているかのようだ。
6年前のあの日、確かに死んだリリー・フローレスが生き返る日がくるとは。
習慣である勉強を放棄した私はどこか落ち着かない夢心地のまま、レイラ様の部屋のクローゼット部屋へと向かうことにした。
お父様とお母様がいるフローレスへとすぐにでも帰る準備をする為に。
*****
レイラ様の部屋にあるクローゼット部屋。
そこには所狭しと様々なドレスやワンピースなどが片付けられており、私はそこで早速荷造りを始めた。
ここにあるドレスやアクセサリーなどは、全てレイラ様のものだ。今は私が使っているが、あくまでレイラ様の代わりとして借りているだけに過ぎない。
借り物であるそれらを持っていくわけにはいかないだろう。
なので、ドレスなどは荷造りをしているトランクの中には入れないことにした。
だが、逆に下着など着回すには抵抗のあるものは、トランクへと入れることにした。
どうせ置いていっても捨てられるので、それなら持っていった方がいいだろう。
床にトランクを置き、目に付いた下着を手に取る。
高級そうなもの、まだ数年は着れそうなもの、気に入っているものなどいろいろな基準で下着を選び、ある程度選び終えると、私は床に座り、一枚一枚丁寧にたたみながら、トランクの中へと綺麗に片付けた。
次は何を入れようかな?
「…何してるんだよ」
トランクを見つめ、何を入れるべきか考えていると、後ろから突然、誰かが冷たくそう声をかけてきた。
「…っ!?」
突然のことに驚いて、私は肩をびくりと震わせる。
それから恐る恐る振り向くと、そこには酷く冷たい表情で私を見下ろす、セオドアがいた。
「セ、セオドア?」
クローゼット部屋にいたとはいえ、全くセオドアがここへと入ってきた気配を感じられなかった。
もしかするとノックさえもせず、セオドアはレイラ様の部屋に入ってきたのかもしれない。
あのセオドアならそんなことをしても何ら不思議ではないし、何ならそうだった時もある。
それでも突然現れたセオドアに私は困惑していた。
光のない仄暗い瞳で、あまりにも冷たく、セオドアが私を見ていたからだ。
「…ど、どうしたの?」
怖い顔や冷たい顔のセオドアはこの6年間で嫌というほど見てきた。
だが、今、私に向けられているものは、その中でも特に冷たく、怖いものに思える。
先ほどまでのセオドアはレイラ様が帰ってきたおかげで、とても上機嫌だった。あんなにも弟らしい表情をレイラ様の前でなら浮かべられるのか、と思っていた。
それなのに今のセオドアにはその上機嫌さが一つもない。
「質問をしているのは僕だ。お前は今、こんなところでコソコソと何しているんだよ?」
レイラ様によく似た、美しいセオドアがそう言って私に凄む。それからゆっくりとこちらに近づいてきた。
私から一瞬たりとも目を離そうとはしない、セオドアの瞳には冷たさと怒りしかない。
何故、セオドアはあんなにも怒っているのか。
そもそも何故大好きな姉さんであるレイラ様のところにいないのか。
目の前まで迫ってきたセオドアに対して、たくさんの疑問が湧く。だが、その疑問を今のセオドアにはぶつけられないので、私はセオドアの質問に答えることにした。
「荷造りだよ。ここからもう出るし」
「は?」
セオドアの様子を窺いながらも、何でもないように答えた私をセオドアがおかしそうに見つめ「荷造り?」と呟く。
「お前はもうアルトワの人間だ。何でここから出るんだよ?」
そしてセオドアはそう言って笑った。
私を責めるような厳しい目で。
私がアルトワの人間?
それをあのセオドアが言うの?
レイラ様の代わりとして仕方なく、私の存在を許していたあのセオドアが?
「…私の役目はもう終わったんだよ。私はレイラ様の代わりであって、アルトワの人間では…」
「アルトワの人間だよ」
セオドアの言動に疑問を抱きながらも、セオドアの言葉を淡々と否定しようとする。
だがしかし、そんな私の言葉は冷たく力強いセオドアのたった数文字の言葉によって遮られた。
「…違うよ。私はフローレスの人間だよ」
それでも私は怯まなかった。
セオドアの怖さも冷たさも、正直この6年間で嫌というほどセオドアから向けられてきたものなので、もう慣れてしまった。少々のことでは怯まないし、自分の主張だってできる。
真っ直ぐとセオドアを見ていると、セオドアは「はっ、お前がフローレスの人間?笑わせる。お前は本当に脳内お花畑なんだな」とまたおかしそうに笑ってきた。
それから私と目線を合わせるようにその場に屈み、心底哀れそうに私を見た。
「リリー・フローレスはお前がここへ来たあの日に死んだんだよ。リリー・フローレスの戸籍はもうこの世のどこにもない。だからお前はフローレスの人間ではないんだよ?」
まるで何もわかっていない小さな子どもに一から全てを教えるように微笑むセオドアだが、怖さと冷たさはまだ健在だ。
そんなセオドアに私は思わず目を見開いた。
セオドアの口から私の本当の名前、リリー・フローレスという名が出たからだ。
セオドアが私の本当の名前を知っていたなんて。
レイラ様の代わりではない私の部分なんて全く興味がないと思っていたのに。
「…戸籍なんてなくてもフローレスには戻れるよ。そんな理由でお父様とお母様が私を受け入れない訳がないし」
セオドアの意外すぎる一面に驚きながらも、淡々とセオドアに事実を伝えると、セオドアからまた笑顔が消えた。
セオドアの氷のように冷たい青い瞳から放たれる視線が私を射抜く。
「…そんなこと許されるはずがない」
そしてセオドアから出た囁きに、私は自分の耳を疑った。
許されるはずがない?
セオドアは確かにそう言った?
本当に?
そもそも許す許されるの問題ではないのでは?
「戸籍も何もないお前のような人間はこちらが許さないと言えば従うしかないだろ?僕はお前がフローレスに戻ることを許さない」
「…」
冷たいセオドアから放たれた言葉に私は何も言えなくなってしまう。
まさかここで身分の話をされてしまうとは。
セオドアの言っていることは正しく、男爵家の娘どころか、戸籍さえもない、何者でもない私では、身分が圧倒的に上であるセオドアの命令には逆らえず、従うしかないのだ。
何故、セオドアは、私がアルトワから出ていくことにこんなにも強く反対するのだろうか。
その理由を知りたいのだが、セオドアの性格上、それを私に素直に教えるとは思えない。
もちろん考えてもセオドアの真意なんてわかるはずもないので、私はセオドアの真意について考えることを早々にやめた。
「お前はアルトワの人間だ。わかった?」
「…う、うん」
冷たく私を見るセオドアに今度は頷く。
ここで無理にセオドアを説得しようとしなくてもいいだろう。
セオドアの考えはよくわからないが、どうせセオドアが許さなくても、アルトワ夫妻なら私がここから出ることを許してくれるはずだ。レイラ様がいる以上、私はもう必要のない存在なのだから。