18.必要のない存在
ホンモノのレイラ・アルトワ様が帰ってきた。
あの玄関ホールでの騒ぎは、レイラ様帰還の騒ぎだったようだ。
最初こそ、レイラ様の成長した姿に、あのレイラ様であると、私は気づけなかった。
だが、それでも、よく見るとレイラ様の面影を残す彼女と、そんな彼女との再会を喜ぶアルトワ伯爵一家を見て、私は彼女こそが、私がずっと代わりを務めてきたホンモノのレイラ様だと確信した。
私が肖像画でいつも見ていた12歳のレイラ様は、可愛らしさの中にも美しさのある愛らしいご令嬢だったが、今のレイラ様は、その面影を残しつつも、美に全振りした絶世の美女になっていた。
今のレイラ様は本当の弟、セオドアととてもよく似ている。
レイラ様と瓜二つだという理由で、レイラ様の代わりとなった私とは、もう瓜二つではなくなっていた。
あの場での私はただの傍観者で、呆然とアルトワ家の人々を眺めていたのだった。
*****
「…レイラ、よく戻ってきてくれた」
ソファに腰掛け、伯爵様が感極まった表情でレイラ様を見つめている。
そんな伯爵様の横では、奥方様が未だに涙を流していた。
「お父様、お母様、ご心配おかけしました」
この6年間、事故の後遺症により、記憶を失くし、平民として生きてきたとは思えないほど、2人に美しく一礼するレイラ様にさすがホンモノは違う、と感心してしまう。
ここは伯爵邸内にある談話室。
あの後、玄関ホールでは流石に長話はできないとなり、アルトワ一家と私とあの場にたまたま居合わせたウィリアム様は、落ち着いて話す為にも、レイラ様とここへ移動していた。
そして入り口から奥側のソファにアルトワ夫妻が座り、そのソファの左手前のソファにレイラ様とセオドアが、机を挟んでこちら側のソファに私とウィリアム様が座る形で話は進められていた。
レイラ様の話によると、事故に遭った時、レイラ様は馬車の大きな残骸と共に川へと落ち、運良くその残骸の上に乗る形で流されてしまったそうだ。
夏だったということもあり、寒さによるダメージもなく、そのままとある村の人たちに助けられたレイラ様だったが、事故の後遺症により、この時、レイラ様は記憶を失ってしまっていた。
記憶を失ったレイラ様は、自分が本当は誰なのかわからないまま、平民の娘として、優しい村人たちと、この6年、楽しく生活していたようだ。
だが、ほんの数ヶ月前、レイラ様は断片的だが、記憶を思い出し始め、つい1週間ほど前に全てを思い出したそうだ。
そしてレイラ様は思い出したレイラ・アルトワであった自分の記憶と、様々な人の手を借りて、自力でアルトワ伯爵邸まで帰ってきたのだった。
以前からレイラ様は完璧で優秀なお方だったとよく主にセオドアから聞かされていたが、そうなのだと改めて思える話だった。
記憶を全て思い出したからといって、こんな短期間で、しかも自分の足で、ここへ帰って来れるとは、レイラ様がよっぽと優秀だった証拠ではないだろうか。
おそらく同じ立場になった私では、普通に周りの人の力を借りても、1ヶ月以上はかかるだろう。
「あちらではどんな生活をしていたの?辛くはなかった?」
「ええ、お母様。平民の生活は貴族と比べれば苦労もあるけれど、その分また違った楽しみや自由があるのよ。私がいたのは小さな村だったけど、とても自然豊かで、季節の変わり目にはよくお祭りをしていたわ」
「まあ、それはどんなお祭りなのかしら?」
「そうね…。季節によって意味や雰囲気が変わるのだけど、今は夏でしょう?この前は涼しくなるようにと水かけ祭りをしたわ。とっても楽しかったのよ」
奥方様とレイラ様がよく似た柔らかい笑顔で楽しそうに笑い合っていると、そこにさらにセオドアも入ってきた。
「水かけ祭りって水をかけ合うだけなの?他のことはしないの?」
目をキラキラと輝かせ、愛らしく笑うセオドアにあの方はどちら様ですか?となってしまう。
ここに来て6年だが、セオドアのあんな表情は初めて見た。
大好きなホンモノの姉さんの前だと、セオドアもあんなふうにデレデレになってしまうらしい。
「水をかけ合うことがメインだけど、もちろんそれだけじゃないわ。屋台も出るし、歌が上手い人は歌を披露するし、ダンスも踊ったりするの。私は毎年、祭りを締める歌を歌っていたのよ」
「へぇ!さすが姉さんだね!」
2人の会話を聞き、伯爵様も「レイラはどこにいても、例え記憶を失くしていたとしても、レイラだな」と嬉しそうに笑っていた。
「ウィルは水かけ祭り、知ってた?」
話の流れの中で、レイラ様が今度はウィリアム様に話を振る。
するとウィリアム様はいつもと変わらぬ笑みを浮かべて、頷いた。
「まぁ、名前だけはね。あまりここら辺では聞かない祭りだけど、国境付近の村ではあるとかないとか」
「そうそう。こっちの地域って王都周辺に比べたら暑いから、村人が耐えられなくて始めたそうなのよ」
「そうなんだね」
微笑み合うウィリアム様とレイラ様はなんて様になるのだろうか。
この2人だからこそ生み出せる柔らかな雰囲気に、私は私が今までウィリアム様と築いてきた関係が、どんなに本来のものとはかけ離れているものだったのか、痛いほどわからされてしまった。
「…」
アルトワ一家とウィリアム様の続くやりとりを、私はただただ傍観し続ける。
ここでの私は何者でもなく、ただの部外者で蚊帳の外だ。
だが、そのことを私は全く嘆いていなかった。
むしろ、自分の役目は終わったのだと安堵していた。
この6年のアルトワ伯爵家の手厚い援助のお陰でフローレス男爵家は再建に成功し、没落寸前ではなくなっていた。
さらに2つほど事業も始め、その内の1つはもう軌道に乗り始めている。
今、アルトワ伯爵家の援助がなくなれば、また苦しくはなるだろうが、前のような没落寸前状態にはならないだろう。
それに前と違うのは、きちんとした教育を受け、優秀になった私、大人のリリーがいる。
私がいれば、少しは戦力になるはずだ。
そんなことを考えていると、隣に座っていたウィリアム様が私の手に触れた。
「ねぇ」
それから私にしか聞こえないような小さな声で、囁くように私に声をかけてきた。
「いよいよ君の存在価値がなくなったね。何者でもなくなってしまった君はこれからどうするの?」
いつもと変わらぬ調子で、何とも意地の悪い質問をしてきたウィリアム様。
二面性のあるサイコパスな彼らしいと、チラリとウィリアム様の方を見れば、ウィリアム様はどこかおかしそうに、だが、その瞳には何故か私を憂うような色があった。
…何故、そんな瞳をしているのか。
「ただ元に戻るだけです」
そう、私はレイラ・アルトワから、ただのリリーに戻るだけなのだ。
ふわりとウィリアム様に笑うと、ウィリアム様はそんな私を哀れそうに見つめた。
「大丈夫。今度は俺が助けてあげるから」
ウィリアム様が私を助ける?一体何から?
ウィリアム様の言動の一つ一つがどういう意味のものなのか全くわからない。
だが、きっと考えても答えはわからないので、私はただただ曖昧にウィリアム様に微笑んだ。