最終話 悲哀の奈落
【奈落 第四層 古城最深部】
静寂を切り裂く銃声が響いた。
「ヒルダ、伏せろ!」
ジーナの叫びと同時に、鋼鉄の弾丸が空気を裂いて襲いかかる。だが、ヒルダは逃げなかった。剣を抜き放ち、ほとんど反射のような動きで軌道へと刃を差し込む。
「見切ったッ!!」
火花が散る。鍛え抜かれた腕が、正面から超高速の弾丸を弾き返したのだ。
「……当たらねぇか。さすがは一流ってところか」
遠く、崩れた玉座の階段上から声がした。
そこに立つ男。黒衣に身を包み、異様なまでの冷笑を浮かべた盗賊団の首領。
「七芒星」最上位。百発百中の魔銃士。
リゼルグ=グラヴィール。
彼の愛銃・灰燼ノ眼が、赤く妖しく輝く。既に空気が焼けるほどの熱量を帯び、次の弾丸を今か今かと待っていた。
「“カーズドバレット”で撃たれたら終わりだ。あたしが前に出る」
ジーナは剣を構えながら、低く言う。
「2対1よ。この形勢なら、いくらあんた相手でも負けはない」
「形勢は変わるんだよ、簡単にな」
その声は、正面からではなかった。背後の崩れた回廊から、重厚な足音がゆっくりと近づいてくる。
「……え?」
ヒルダが振り返り、そして目を見開いた。
「ずいぶん派手にやってくれてるじゃねぇか」
肩に大剣を担ぎ、豪放な笑みを浮かべた男。
その姿を、ヒルダは忘れたことがなかった。
「グレン……!本当に……本当にお前なのか!」
涙が滲む。彼は、六大将ジェラシアの本拠地からジーナとヒルダを逃すため、自ら殿として残った仲間。
そのまま消息を絶ち、二度と戻らないはずだった。
「おいおい、久しぶりに会ったってのに泣くなよ。まだ終わってねぇだろ、ジーナ!」
しかしジーナは微動だにせず、静かに剣を握り直した。瞳の奥に宿るのは懐かしさでも涙でもない。冷たく、鋭い警戒。
「……やめろ、ヒルダ。そいつはグレンじゃない」
「は? な、なに言ってんだよ! この声、この顔、この匂いまで……!」
「全部幻よ。六大将・悲しみのペシミスティの幻術――“記憶投影”だ」
空気が、わずかに震える。
ジーナの声には、怒りと恐怖、そして抑えきれない憎悪が滲んでいた。
「ペシミスティ……!」
その名が出た瞬間、ヒルダの顔から血の気が引いた。
六大将の一角。
悲哀の人魚姫・悲しみのペシミスティ。
人の記憶と心を覗き、その“最も会いたい者”の姿で現れる幻術士。彼女に敗れた者のほとんどは、剣を抜くことすらできず、己の幻覚に抱かれながら命を奪われるという。
そしてジーナは、かつてその幻覚の中で仲間を殺された。
「……あの時のこと、忘れられないわ」
剣を握る手が震えていた。怒りでも恐怖でもない。魂そのものが軋んでいる。
笑いながら槍を振るう“アルガード”。
手を伸ばした“マチルダ”。
かつてのペシミスティとの戦いで、彼女は大切な仲間を失った。
「ふざけるな……ッ!!」
ジーナの叫びが、城の天井を震わせた。
「そんな幻に、二度と心を惑わされてたまるかァァァァ!!」
刃が閃く。グレンが剣を構える間もなく、ジーナの剣が幻影の胸を貫いた。
「……ジーナ、なんで……」
グレンの顔が歪み、血を吐きながら膝をつく。だがその姿はすぐに靄のように崩れ、やがて闇へと溶けて消えた。
そして、その奥からゆらりとペシミスティが現れる。
「やはり、見抜いたのね。さすがは、あの惨劇の生き残り」
長い蒼髪を揺らし、涙のような微笑を浮かべながら進み出る女。
六大将の一人、悲しみのペシミスティ。記憶と心を喰らう幻術の魔女。
「ここで決着をつけましょう、悲しき冒険者よ。あの時の続きを」
「…望むところよ。お前だけは、絶対に許さない!」
二人の間で魔力がぶつかり合い、石壁が軋む。
長年の因縁が、いまここで再び交錯した。
一方その頃、玉座の階段上では、リゼルグが銃口をゆっくりとヒルダへ向けていた。
「さて……邪魔な女は消えた。あとはお前と俺だけだな、ヒルダ=グランリオナ」
「上等だよ。イグニスの仇、取ってやる!」
弾丸と剣。百発百中の魔銃士と、鋼の剣姫が向かい合う。それぞれの因縁が、古城最深部で二手に分かれ、激突の時を迎えた。
一進一退の攻防の果てに、銃声が終わりを告げる鐘のように響き渡った。
「……ぐ、は……!」
ヒルダの身体が後方へと吹き飛ぶ。脇腹を穿たれ、壁に叩きつけられてなお、彼女は立ち上がろうとした。
「く……そっ、まだ……終わってない……!」
だが、膝が震えた。握った剣が指から滑り落ち、鈍い音を立てて床を叩く。
「終わりだよ、一流さん」
リゼルグが淡々と告げ、銃口を再び向ける。
灰燼ノ眼の銃口が紅く輝くと同時に、空気が焼け付く。
「カーズドバレット――」
その言葉と同時に、最後の弾丸が放たれた。
ヒルダは抵抗もできず、ただその一撃を胸に受けて崩れ落ちる。
「ここまで…か…」
静かな最期の呟きとともに、彼女の命は静かに消えた。
――そして、残るはジーナただひとり。
「これで終わりよ、ペシミスティ!」
ジーナの剣が閃き、空間を裂く。
幻術の人魚姫・悲しみのペシミスティは後退を余儀なくされていた。かつてないほど追い詰められ、青ざめた顔で魔力を練り上げる。
「くっ……! やはり、お前は特別だ、ジーナ……!」
「貴様の幻など、二度と惑わされはしない!」
踏み込む。鋭い一撃が防壁を砕き、ペシミスティの胸元まで剣が届こうとしたその瞬間だった。
「……ジーナ、どうして剣なんか向けるの?」
足が止まる。
目の前に、少年が立っていた。まだ幼さの残る顔。大きな瞳には恐怖ではなく、ただ信頼だけが宿っている。
「クロス……?」
甥であり、息子のような存在。失った家族の代わりに、命を懸けて守ってきた大切な子。
「やめてよ、ジーナ……僕を傷つけるの?」
幻だ。わかっている。心の奥底では、確かに理解している。だが、それでも刃は動かない。胸の奥から、抑えようのない罪悪感がこみ上げてくる。
「だめ……そんな顔をするな……!」
剣先が震える。今ここで斬れば、勝てる。ペシミスティを倒し、この戦いに終止符を打てる。
だが――
「……できない」
ジーナは力尽きたように剣を落とした。
その瞬間、背中を灼くような衝撃が走る。ペシミスティの幻影が溶けるように消え、そこに本体の刃が突き刺さっていた。
「悲しいわね、ジーナ……だけど、美しい」
熱い血が喉から溢れた。足元が霞んでいく。
目の前の“クロス”はもういない。ただ虚無だけが、視界の奥に広がっていた。
「……クロス……ごめんね……」
最後の言葉を零し、ジーナ=ユグフォルティスの魂は奈落へと沈んでいった。
ーーーー
【数年後】
キキモラ村。
かつてジーナが未来を託した小さな集落は、もう存在しなかった。
空は黒く腐り、土は瘴気に覆われ、村の名残は骨と瓦礫だけ。
そして、その中心に一体の魔物がいた。
人の形を留めながら、異形へと堕ちたそれは、無垢な瞳だけをそのままにしている。
「……ジーナ……」
その名を、意味を知らぬまま呟く。
かつてクロスと呼ばれた少年。
希望の未来を託された存在は、皮肉にも絶望の奈落に生まれ直していた。
こうして、冒険者たちの戦いは、誰にも知られぬまま、静かに幕を閉じた。
ーーー 完 ーーー
キャラクター紹介 No.9
【悲しみのペシミスティ】
「六大将」の一角にして、“悲哀”を司る幻術士。人の心を読み取り、最も強く願う存在の姿と声、匂い、記憶までも完全に再現する幻覚魔法記憶投影を操る。
その幻はあまりにも精巧で、熟練の戦士でさえ現実との区別がつかず、自らの意志で武器を捨て、あるいは幻覚の中で命を落とすとさえ言われる。
原作ではムラサメにより倒されたが、ムラサメほどの実力者が命を賭したからこそであり、本来、ペシミスティ相手に冒険者一人で勝つことは不可能に等しい。




