表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奈落の果ての異譚集  作者: 黒瀬雷牙
主人公のジーナ
6/31

狂戦の女帝

 瘴気が渦を巻き、空気が軋んだ。

 嫉妬の獣姫・ジェラシアが完全な“獣王”へと姿を変えた瞬間、森そのものが震えたかのようだった。


 爪が大地を裂き、樹々が悲鳴を上げる。

 六人の冒険者は、今までとは比べものにならない殺気と圧に晒されていた。


「くそっ……さっきまでとは、まるで別人だ!」


 イグニスが舌打ちし、矢を番える。しかし、矢はジェラシアの毛皮に触れた瞬間、弾かれ、無力に地へと落ちた。


「これが“嫉妬の獣姫”の本性か……!」


 ヒルダが剣を握り直し、臨戦の姿勢を取る。だが、黄金の双眸がこちらを見据えた瞬間、全員の背筋に氷の刃が走った。


「命を賭けろと言ったはずだ――その覚悟、見せてみろッ!!」


 咆哮と共に、ジェラシアが一歩踏み込んだ。

 その一歩で地面が陥没し、衝撃が森を駆け抜ける。


 ――速い。


 視線が追いつくより早く、獣王の拳がバッシュの腹部にめり込んでいた。


「……がはっ――」


 背骨が軋み、双剣が手から滑り落ちる。次の瞬間、地面に叩きつけられたバッシュの体は、地割れの中に沈み込み――動かなくなった。


「バッシュ!!」


 ソラールが叫び、槍を突き出す。しかし、それはジェラシアの爪に容易く弾かれ、空を裂くだけに終わる。


「来い……貴様も同じ場所へ送ってやる!!」


 巨腕が振り上げられる。空気が震える。


「|獣神天壊拳〈じゅうしんてんかいけん〉!!」


 それは拳ではなかった。

 山が落ちてきたような、圧倒的な質量の暴力だった。


 ソラールは回避の体勢すら取れず、拳をまともに受けて宙を舞った。槍が粉砕し、骨が砕け、巨木を突き破って――そのまま静かに崩れ落ちる。


「そ、ソラール……っ! 嘘だろ……!」


 イグニスの声が震える。仲間の息が、もう感じられなかった。


 二人の命が一瞬で奪われたことで、戦況は完全に崩壊した。


「ははっ……どうした? 震えて声も出ないか?」


 ジェラシアは嗤い、血に濡れた爪を舐める。


「その程度の覚悟で奈落に踏み込んだなら、今すぐ死ね」


「くっ……撤退だ! 今のままじゃ勝てない!」


 ジーナが叫ぶ。


「なに言ってんだ、まだ!」


 イグニスが反論しかけるが、ヒルダが腕を掴んだ。


「今は死ぬだけだ! ここで倒れたら、バッシュとソラールの死が無駄になる!」


 ジェラシアが動いた。再び、爪が閃き、死が迫る。


 その時だった。


 ズゥゥゥゥゥゥゥゥゥン……!


 大地が鳴動し、森が裂けた。次の瞬間、白銀の閃光が闇を切り裂き、ジェラシアの腕を叩き落とす。


「なっ!?」


 衝撃で数歩後退したジェラシアの視線の先に、それは立っていた。


 月光を纏ったような純白の毛並み。巨大な角を戴き、金剛石のような双眸を宿す()


 第七層を守護する聖獣・白王。


「……貴様、なぜここに……!」


 ジェラシアが牙を剥く。


 白王は何も言わなかった。ただ、圧倒的な威圧と殺気だけで、獣王の動きを封じていた。

 その眼差しは、“縄張りを乱す者”への明確な敵意そのものだった。


「行け、今のうちに!」


 ヒルダが叫ぶ。


「くそ……っ!」


 イグニスが走り出す。


「生き延びて、必ず戻る……!」


 ジーナも歯を噛み締め、後を追う。


 三人は瘴気の森を駆け抜け、深淵の奥へと姿を消した。だが、ただ一人。グレンだけが、その場から動かなかった。


「行け。俺はここに残る」


「なに言ってるの、グレン! 今は撤退が――」


 ジーナの叫びに、グレンは背中越しに答えた。


「仲間の仇を討たずに、背中を向けられるほど、俺は器用じゃない」


 大剣が、唸りを上げて抜かれる。その眼には、怒りと、決意と、死の覚悟が宿っていた。


「ジェラシア……この命を懸けて、お前を斬る!」


 白王とジェラシア、そしてグレン。

 三つの存在が、濃密な殺気をぶつけ合い、夜の森が息を潜める。


「いいだろう……せいぜい足掻け。次に死ぬのは貴様だ!」


 獣王の咆哮が再び轟き、大地が割れ、樹々が弾け飛ぶ。閃光と爪撃、白の巨躯と黒の猛撃、そして一人の人間の剣閃が交錯する。


 ――その戦いの結末を、誰も知らない。


 ジーナたちは深き森の奥へと逃れた。

 背後では、仲間の命と誇りを懸けた戦いが続いている。失われた命。交わした覚悟。そして残された者たちの決意。


「……私は、まだ“弱い”のね」


 その目に宿っていたのは、涙ではなく、狂気だった。


ーーーー


《八年後》


【奈落の辺境・訓練所】


 ジェラシアとの戦いで、ジーナはまた仲間を失った。あの時、心の奥で何かが音を立てて崩れ落ち、それと同時に別の何かが生まれた。


 もう二度と、誰も失わせはしない。


 それだけを胸に刻み、彼女は生きてきた。


 朝も夜も、雨の日も、骨が軋むほどの重圧がかかる奈落の辺境でも、ただひたすらに剣を振るい、拳を打ち込んだ。魔力で強化した剣は山を割り、魔力で固めた拳は岩を砕き、息を吐くたびに空気が唸りを上げた。


「ひっ……ひぃ、またあの人や……」


「近づくな。目ぇ合わすな。見たら殺されるぞ……」


 訓練場の遠巻きに立つ若い冒険者たちが、声を潜める。もはやジーナは英雄でも伝説でもなかった。

 人が踏み込んではならぬ領域へと、足を踏み入れた存在…


 『狂戦の女帝』。


 人々はそう呼び、恐れ、敬遠した。


 彼女は気にも留めなかった。恐怖も、孤独も、血の滲むような日々の代償も、すべては一つの目的のためにある。


 もう二度と、失わないために。


 仲間の悲鳴、血飛沫、笑い声、すべてが背中を押してくる。

 振り上げた大剣が雷鳴のように空を裂き、轟音と共に大地へ叩きつけられた。

 砂煙が巻き上がり、数メートル先の訓練台が粉々に砕け散る。


「……まだだ。まだ足りん」


 荒く息を吐きながら、ジーナは己に言い聞かせる。

 血管が浮き上がった腕を見下ろし、砕けた指を無造作に握り締める。


 ――ペシミスティ。ジェラシア。

 ――あの二人にすら屈した、この弱さ。


 それが残っている限り、彼女に休息の二文字は存在しなかった。


 ただ、年に数度、キキモラ村の教会で甥のクロスに会う日だけは違った。その日だけは剣を置き、血塗られた手でパンを焼き、優しい声で「よく来たな」と微笑む。

 

 それはジーナという女が、まだ“人”である証だった。


 だが、ジーナはまだ知らなかった。この村を、奈落の瘴気が蝕み始めていた事を…

キャラクター紹介 No.6

【イグニス=イッシュバーン】

冷静な判断と鋭い弓の腕で戦況を読み、仲間を支える戦術家。

機転と洞察力に長け、どんな局面でも最善の一手を導き出す。

一方で重度のギャンブル依存症という一面を持ち、報酬を賭場で溶かす常習犯でもある。

それでも、危機の際には必ず矢を放ち、仲間を守る信念を貫く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ