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奈落の果ての異譚集  作者: 黒瀬雷牙
主人公のジーナ
3/31

不安を司る者

【奈落 第六層 深海エリア】


 圧倒的な重圧の中、戦いは続いていた。

 悲しみのペシミスティは人魚の姿をしたまま、幻惑と水流を駆使し、冒険者たちを翻弄する。


「ジーナ、今だ!」


 アルガードの叫びと同時に、雷光が深海を裂いた。槍が弧を描き、ペシミスティを取り囲む水の障壁を粉砕する。


「くっ……!」


 人魚の女は咄嗟に後方へ退く。だがそこにはマチルダが回り込んでいた。癒し手である彼女が、珍しく攻撃の光を放つ。


浄滅光輪(サンクチュアリ・レイ)!」


 聖なる光が渦を巻き、ペシミスティの身体をかすめた。悲哀を纏った鱗が焼ける匂いが漂い、女の微笑がわずかに歪む。


「やれる……!今なら!」


 ジーナは杖を構え、己の全魔力を注ぎ込む。


「――これで……終わりだあああッ!」


 轟く詠唱と共に、無数の炎槍が奔流となって放たれる。それは水中であることをものともしない。

 アルガードが雷槍の道を切り開き、ジーナが魔力を叩き込み、マチルダがその二人を守護する。

 三人の力が一点に収束し、ペシミスティの胸元へと迫る。


 その刹那。


 ――ズブッ。


「……がッ……!?」


 鈍い音と共に、アルガードの瞳が大きく見開かれた。

 背後から突き出された漆黒の刃が、彼の身体を貫いていたのだ。


「アルガードッ!?」

「嘘……っ!」


 ジーナとマチルダの叫びが重なる。

 ゆっくりと、背後から現れたのは黒衣の男。青白い肌に、不気味な笑み。瞳には光ではなく、底なしの虚無が宿っていた。


「人間を……舐めすぎだ、ペシミスティ」


 低く、抑揚のない声が深海に響く。

 その存在感は、ペシミスティの妖艶さとは対極にある、不安そのものの権化だった。


「……シャスエティ……」


 ペシミスティが名を呼ぶ。

 奈落六大将の一角、不安のシャスエティ。彼の登場で空気はさらに冷たく凍りついた。


「これほどまでに追い詰められるとは……お前は遊びすぎだ」


 シャスエティの声は淡々としているが、深海の圧よりも重く胸にのしかかる。


 対して、ペシミスティは苦痛どころか、むしろ楽しげに笑みを浮かべた。

 その笑みは冷たく妖艶で、見る者の心を凍らせる。


「わざとですわ。絶望の淵で光を掴ませる……その方が、落とすときに深く沈むでしょう?」


 ジーナの全身に鳥肌が走る。

 兄を奪った六大将たち。彼らは、人間の命を弄ぶことにこそ喜びを見出す化け物なのだ。


 アルガードを抱きかかえたマチルダが震える声で叫ぶ。


「あなたたちは……っ、こんなことをして何が楽しいの!」


「楽しい……?」


 シャスエティは首を傾げ、空虚な笑みを浮かべた。


「楽しいも苦しいも、人間の尺度だ。我らにあるのはただ、奈落を満たす不安と悲しみを広げることのみ」


 その言葉に、ペシミスティが妖しく目を細めた。


「ふふ……そうですわね。ならば、そろそろ本気を見せて差し上げましょうか」


 二人の六大将が並び立った瞬間、深海そのものが暗黒に染まった。

 冒険者たちにとって、この戦いが始まりに過ぎないことを突きつけるかのように――。


 ジーナの胸の奥で、怒りが猛り狂った。アルガードが――自分たちの希望が――あっさりと貫かれる様を目の当たりにして、理性など吹き飛んでいた。


「……絶対に許さない……!」


 だが、その瞬間、マチルダの冷静な声が深海の闇を切り裂く。


「ジーナ、落ち着いて……! 今は怒りに身を任せてはいけない!」


 マチルダは杖をかざし、静かに呟いた。


「…インビジブル!」


 その身体が徐々に透明になり、視界からほとんど消えた。


「透明になった……!?」ジーナは思わず声を上げた。


「ジーナ、あなたは撤退するの。今、この状況を生き延びてギルドに報告し、仲間たちに助けを呼ぶのです!」


 ジーナは震える手で杖を握りしめる。血の気が引く思いと、怒りに焦がれる感情が交錯した。だが、マチルダの瞳には一切の迷いがない。この状況を生き延びることが、今は最も重要だと示していた。


「……わ、わかった……」


 ジーナは唇を噛み締め、涙と怒りで視界が歪む中、深呼吸をして一歩を踏み出す。


 その瞬間――


 ペシミスティの妖艶な笑みが深海の闇に冷たい光を落とす。


「……ふふ、逃げるのですか?」


 マチルダは微笑みながら、最後の魔法を繰り出した。


「ジーナ、……必ず……」


 だが、次の瞬間、衝撃がマチルダを襲い、彼女の身体は深海に沈んでいった。

 その手は必死にジーナへ伸ばされていたが、闇に飲み込まれるように消えていく。


「マチルダ……!」


 ジーナは唇を血が滲むほどに噛み締め、声を上げることもできなかった。だが、怒りと悲しみを胸に、彼女は決して無駄にしてはいけないと自らに言い聞かせる。


「……分かった……撤退する……!」


 ジーナは杖を握り、影のように深海の闇を縫って逃げた。背後でペシミスティとシャスエティの笑い声が深く、冷たく、胸を締め付ける。


 その逃走は、敗北ではない。マチルダの命を無駄にしないための、生き延びるための決断――。


 深海エリアの暗黒は、冒険者たちの前にさらなる絶望を予告するかのように、深く沈んでいった。

キャラクター紹介 No.3

【マチルダ=トワイライト】

心優しき癒し手にして、仲間を支える慈愛の象徴。

治癒魔法と防御術に長け、戦場では決して前に出ることなく仲間の命を守り抜いてきた。穏やかで冷静な性格は仲間の心の拠り所。

その強さは、最後の瞬間まで「仲間を生かすために自らを犠牲にできる」覚悟に裏打ちされている。

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