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奈落の果ての異譚集  作者: 黒瀬雷牙
魔王の目覚めと世界の終焉
18/31

静寂の玉座

 それは、静寂から始まった。


 ある朝、サンライズシティの空が黒く染まった。

 それは雲ではない。

 それは夜でもない。

 まるで、世界そのものが“奈落”に引きずり込まれたかのような、濃密な瘴気だった。


 人々は初め、ただの異常気象だと笑った。

 次に、神の怒りだと震えた。

 だが三日目、笑いは消え、祈りも意味を失った。


 人の肌はただれ、瞳は黒く濁り、理性は崩壊する。

 親が子を食らい、恋人が恋人の喉笛を噛み切る。

 人類は魔へと堕ちていった。


 瘴気は街を飲み込み、国を呑み込み、大陸を侵食していく。

 サンライズシティを中心に、世界は裏返った。

 昼も夜もなく、光は滅び、空には瘴気が渦巻く。

 その濃度は、かつて奈落の最深層でさえ見たことのないほどの漆黒だった。


 人類が滅んで、どれほどの時が経ったのだろう。


 空は沈黙し、大地は呼吸をやめ、海はまるでガラスのように凪いでいた。

 生も死も、喜びも悲しみも、もはやこの星には存在しない。


 この世界に意思と呼べるものは、ただひとつ。


 シャスエティ。


 彼女の玉座は、かつて王都があった場所に築かれていた。数千万の魂が跪き、歓喜の声を上げている。

 だがその歓喜でさえ、彼女の命ずるままに動く死んだ感情にすぎなかった。


 あの日、命を懸けて刃を向けた者たちは、誰一人として残っていない。

 その魂は瘴気に呑まれ、肉体は眷属として再構築され、今や彼の足元に跪いている。


「…………」


 シャスエティは、ただ虚空を見つめていた。すべてが手の中にある。世界は沈黙し、神でさえ彼の名を恐れて口を閉ざす。


 それでも、心は満たされなかった。


 かつて、戦いがあった。

 剣が交わり、雷が轟き、魔法が空を染め、人間たちは無力ながらも足掻いた。

 その足掻きが、愚かで愛おしかった。


 だが今、彼らはもういない。

 勝つ者も負ける者も、涙を流す者も、祈る者も、誰も。


 この世界は、完全に「勝利」してしまった。


 どれほどの時を過ごしても、退屈は濃くなる一方だった。絶望は甘美な酒でありながら、永遠に飲み続ければただの毒になる。


「……魔王様」


 誰もいない玉座の間で、彼は初めて口を開いた。

 声は震え、吐息は寂寞の色を帯びていた。


「あなたは……こうなることを、知っていたのですね」


 ()()()のだ。


 あのとき、魔王が笑いながら告げた言葉の意味が、今ようやく理解できた。善も悪も、希望も絶望も、すべてが等しくつまらない。

 世界を滅ぼすことなど、何の意味もない。


「あなたは……次は何を壊すつもりですか?」


 答えは返ってこない。魔王はこの様子すらも退屈凌ぎにしているのかもしれない。


 シャスエティの掌の中には、ひとつの終わりだけが残された。


 退屈。虚無。

 ――そして、完全なる孤独。


 玉座の上で、シャスエティはそっと目を閉じた。

 その頬を、一筋の涙が伝う。世界のすべてを支配したはずの彼が、初めて見せた人間のような表情だった。


「俺が、壊してしまった」


 それは懺悔か、祈りか。

 もはや確かめる術はない。


 だが、その涙が地に落ちたとき、星が微かに軋む音がした。まるで、終わったはずの宇宙が「まだ先がある」と囁くかのように。


 終焉の先にあるのは、虚無か、再生か。

 それすらも、いまのシャスエティには分からなかった。


 ただひとつだけ、確かなことがある。

 この静寂は、まだ「物語の終わり」ではない。

滅びた世界について


漆黒の瘴気が地上を覆い、人類は理性を失い魔へと堕ちた。光も生命も消えた世界で、意思を持つのはシャスエティのみ。文明も文化も滅び、数千万の魂は眷属として従属する。すべてを支配し尽くした「勝利」は、同時に深い虚無と退屈をもたらした。絶望の果てに残るのは、孤独と静寂のみ。

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