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奈落の果ての異譚集  作者: 黒瀬雷牙
冒険者は奈落で堕ちる
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冒険者は奈落で堕ちる

【奈落 第四層 古城エリア】


 今や盗賊団・ブラッドムーンの巣窟であり、奈落を彷徨う探索者たちにとって最も忌まわしい領域だった。


 薄暗い廊下に、クロスの靴音が乾いた音を立てる。鉄錆の匂いが鼻をつき、石壁には過去の犠牲者たちの血痕がこびりついていた。


「……やるしか、ないんだ」


 クロスは吐き捨てるように言い、目の前で怯える若い探索者に剣を向けた。

 かつての自分と同じ冒険者。だが、今の彼は()()()だ。拒めば、次に血の海に沈むのは自分たちだった。


「やめて! 僕らはただ――」

「黙れッ!!」


 震える声を振り払うように叫ぶと、クロスは腕を振り抜いた。

 剣は相手の装備をかすめ、悲鳴が古城の中に響く。そのたびに、心が少しずつ削られていくのがわかる。


 こんなはずじゃなかった。


 命を賭けて踏み入れた奈落は、仲間と夢を追う冒険の舞台だったはずだ。

 それが今では、絶望と屈辱の中で生き延びるために人を襲う日々。エリスの手も、いつの間にか血で汚れていた。


 夜。古城の大広間では、盗賊たちが今日の戦利品を肴に酒盛りをしていた。


 だが、エリスの姿はそこにはない。


「……エリスは?」


 クロスが尋ねると、盗賊の一人が下卑た笑みを浮かべる。


七芒星(セブンスター)のNo.6様がお呼びだとよ。光栄なこったな、へへ」


 嫌な予感が、胸の奥でざわついた。


【古城 実験室】


 そこは、牢獄とも処刑場とも違う、異様な空気に包まれていた。

 壁一面にはガラスの瓶と手術器具。異形の骨や臓器が液体に沈み、微かに泡を立てている。


 エリスは冷たい手術台の上に拘束されていた。

 

 白衣を着た男。七芒星No.6、サリヴァンが愉快そうに笑っている。


「いやあ、君は実に興味深い素材だよ。魔力の流れが美しい。きっと成功するさ」


「や、やめてください……お願い、何でもしますから……!」


()()()か。なら、黙っていてくれ」


 サリヴァンはためらいなく、紫色に濁った液体を注射器に吸い上げた。

 それは奈落の深層でしか採取できない、狂暴な魔獣の血液。人間が受け入れれば、確実に壊れるとされる禁忌の物質だ。


「……やめてぇぇっ!!」


 絶叫もむなしく、針が肉を貫く。

 次の瞬間、体内を走るのは焼けつくような激痛。エリスは背を反らし、喉を裂くほどの悲鳴を上げた。


「いい反応だ。細胞が抵抗している……もっとだ、もっと暴れろ!」


 皮膚が爛れ、血管が黒く浮き上がる。

 目は充血し、口からは血泡がこぼれ落ちた。


「や、やめ……クロス……クロス……っ!」


 最後に浮かべたのは、涙で濡れた笑顔だった。

 それが、エリスという少女の最期だった。


【古城 地下牢】


「……なんだと?」


 クロスは膝から崩れ落ちた。

 盗賊の一人が吐き捨てるように言う。


「あの女なら死んだよ。No.6様の実験でな。使えねえ体だったんだろ、ははは!」


 笑い声が耳を裂く。

 胸の奥から、音もなく何かが崩れ落ちていった。


「……嘘だろ……そんな、わけ……」


 涙がこぼれた。叫び声も出なかった。

 剣を握る手が震え、視界が歪んでいく。


 エリスは、いつも自分の隣にいた。寒い夜は火を灯してくれた。怖いときは手を握ってくれた。

 その温もりが、もうどこにもない。


「クロス、立て。次の襲撃に出るぞ」


 誰かが背中を蹴った。だが、もうどうでもよかった。世界は音も色も失われていた。


 暗闇の底で、クロスの心にひとつの“何か”が芽生える。それは希望ではなかった。怒りでもなかった。


 復讐。

 この古城も、ブラッドムーンも、七芒星も。

 すべて、滅ぼす。


 その夜、クロスは涙を流しながら、心の奥底で静かに誓った。


 それ以来、クロスの心は壊れていた。涙も、後悔も、悲しみすら、とうの昔に乾き果てた。

 残っているのは、殺意のみ。


 サリヴァンを殺す。

 七芒星を殺す。

 ブラッドムーンを、根こそぎ滅ぼす。


 だが同時に、冷静な自分もいた。


 ――今の自分では、絶対に勝てない。


 七芒星は一人一人が災厄と呼ばれる存在だ。サリヴァンなど、その中でも比較的戦闘力が低い方でさえ、触れることすら叶わない。

 真正面から挑めば、殺されるのは自分だ。


 だからクロスは動き出した。静かに、冷徹に、着実に。


 冒険者襲撃の任務に出るたび、クロスは標的の遺体を丁寧に漁った。強者が身につけていた魔導鎧。深層素材で鍛えられた剣。希少な魔具。

 すべてを奪い、保管し、試し、鍛え続けた。


 血に濡れた剣は、次第に彼の手の一部となり、盗賊団の中でも一目置かれる戦力へと変わっていく。

 それでも、まだ足りない。サリヴァンには届かない。


 次にクロスは、サリヴァンが残した研究資料を密かに漁り始めた。

 数百もの被験者記録、失敗体の解剖記録、そしてわずか数体だけ、「適合」と書かれた成功体のデータ。


 その共通点を、彼は一つ一つ、独学で解析した。

 肉体構造の変異率、魔力耐性の推移、血液との親和度…


「……やはり、あれか」


 クロスが辿り着いた答えは一つだった。

 第四層の盗賊たちすら恐れて近づかない、縄張りの外を彷徨う、古き吸血鬼・ヴァンパイア。

 数百年を生きるとされる奈落の古き獣。その血こそが、最も強い力を引き出す鍵だった。


【奈落 第四層 外縁】


 月明かりさえ届かない奈落の夜。

 クロスは一人、瓦礫と廃墟の海を進んでいた。

 周囲の空気は腐臭と死の気配に満ち、普通の盗賊ならば数分で精神が壊れる。

 だが、彼の瞳には迷いがなかった。


 黒衣の影が、廃城の塔の上からゆっくりと舞い降りてくる。

 人とも獣ともつかぬ輪郭。

 白磁の肌と、血のように紅い瞳。


 ヴァンパイアだ。


「人間風情が、ここまで来るとは……」


 ぞっとするような声が、耳の奥を撫でた。

 クロスは答えず、静かに剣を構える。


「……お前の血が、必要だ」


 戦いは死闘となった。

 吸血鬼の爪が空間を裂き、クロスの肉を抉る。

 しかし彼は退かない。命を削ってでも、その血を奪うためだけに剣を振るう。


 やがて、相打ちにも等しい一撃が、吸血鬼の胸を貫いた。


「……愚かな人間よ。だが、その執念…悪くない」


 血を吐きながら、ヴァンパイアは笑い、己の心臓に指を差し入れた。そして、真紅の液体を掬い、クロスの口へと押し込む。


「生き延びてみせろ。人の枠を超えて」


【古城 地下室】


 数日後――。


 クロスの体は焼けるような激痛に苛まれていた。

 血管が膨張し、皮膚が裂け、骨が軋む。

 それでも、彼は決して呻き声ひとつ上げなかった。


 それが、エリスのためだからだ。


 そして、夜明け前。

 クロスはゆっくりと瞼を開いた。


 その瞳は、もはや人間のものではなかった。深紅の双眸が、暗闇を切り裂くように輝き、周囲の魔力を吸い寄せる。


 聴覚が鋭敏になり、石壁の向こうの足音すら聞き取れる。反応速度は倍以上に高まり、空気の流れが手に取るようにわかる。

 そして…体の奥から、底知れぬ力が湧き上がっていた。


「……これが、()か」


 クロスはゆっくりと拳を握った。

 それは、失われたすべての悲しみと憎しみを燃料にした“覚醒”だった。


「待ってろ、サリヴァン……」


 かつて涙に濡れた少年の瞳は、もうどこにもない。

 奈落が生み出した赤き瞳の怪物が、今静かに動き出した。

キャラクター紹介 No.11

【解剖医のサリヴァン】

盗賊団ブラッドムーンの幹部にして、七芒星セブンスターが誇る“狂気の医術師”。自らを「天才外科医」と称し、命をただの素材・研究材料としか見なさない冷酷無比な男。奈落で採取した魔物の血液や臓器を人間の体へと無理矢理移植する禁忌の研究を繰り返し、その成果を“進化”と呼ぶ。

人体の構造と魔力循環に精通しており、戦場では解剖学的な弱点を正確に突く精密な攻撃を行うほか、自ら改造した肉体兵器を操るなど、生物学的な恐怖を戦術として利用する。残虐性と好奇心が入り混じったその本質は、敵味方を問わず人々に“最も関わってはならない男”と恐れられている。

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