前編
久しぶりに夢をみたんだ
それはとても心地よいものだった
いつもは夢をみてもすぐ忘れてしまうのだけれど
その夢を忘れることはなかった
それがこの物語の始まりだったんだ
大人、成人、社会人と言われるようになってからは同じようなルーティンを繰り返す毎日
もちろんその中でも楽しいことはたくさんあった
いや、繰り返していく毎日の中で楽しい記憶を貼り付けていた
辛い、悲しい、悔しい、苦しい
そういった感情はその瞬間では爆発的な威力を発揮するが、人間は生きていく為の構造上忘れるという能力を身に付けたのだろう
そんな都合の良い記憶を阻むような夢をみた
それは忘れることのできない、でも忘れてしまいたい恋の記憶
あの時の選択を振り返り、あの時の感情を噛み締める
走馬灯のような夢
今になってもついこの間のような感覚、それは夢が創り出した特別な時間軸
別れの記憶なのだけれど、それが心地よく感じてしまう矛盾
そんな不思議な夢を忘れられない理由をずっと考えてしまっていた
後悔しているとか、未練があるといったわけではない
けれど何か引っ掛かる
そんなもやもやした気持ちで過ごしていたある日のことだった
別れてから何年も連絡をとってないあの夢の住人から連絡がきた
それはごく普通の日常会話
少し驚いたが、普通の内容に普通に返事をした
何年も連絡を取っていなかったのだが、共通の友人から彼女の近況は耳に入っていた
結婚し子供も二人いて、今は東京に住んでいる
まぁその程度の情報だが、それ以上知ろうとも思わなかったし幸せに過ごしているのなら良かったと思っていた
連絡してきたのも何か懐かしくなったのだろうと
その程度の感覚だったのだが
何やら様子がおかしい
会話が少しづつずれている
いや、ずれているのではなく会話が昔のままになっている…
少し噛み合わない会話の中で、記憶が蘇ってくる
彼女からのメッセージに合わせて返事をする
あきらかに現在の彼女からではない内容のメッセージ
確信的な一言
「来週の花火大会楽しみだね」
来週の金曜日は花火大会…それは当時…
確かその日は仕事が長引いて結局行けなくなってしまって…
「そうだね」
一言打ち込むとメッセージは返ってこなかった
あれから返事は返ってくることはなく、花火大会当日になった
とはいっても現在は当時の日程とは違い実際の花火大会は違う日だった
そんな現実離れした話はあるわけない
けれど、何年も連絡してないのにあんなメッセージを送ってくるのか?イタズラ?ドッキリ?
それに今日は仕事帰りに友人と飲みに行く約束をしているのだ
これは酒のツマミになる話として持っていくのが普通の感覚
自分にそう言い聞かせ、今回も花火大会には行けないという結果になるだろう
結局友人との飲み会ではその話題を出すことはなかった
そんなことは忘れていた
馴染みの顔が揃えばくだらない話で盛り上がる
楽しい昔話が延々と走り回る
時間が全力疾走で駆け抜ける
ふと時間が気になりスマホを見るとメッセージがきていた
「どうしたの?まだ仕事?」
一気に現実に戻される
いや違うだろ
夢に引きずり込まれたといえばいいのか
スマホを凝視してる様子を気にしてか、友人から心配されたがなんでもないと口が動いていた
「そろそろ次の店に行くか」
いつもの友人達の提案が遠くに聞こえた
「ごめん、まだ仕事が」
それまで動いていた指が止まる
そしてまた動きだす
「ごめん、今終わって向かってる」
文字を打ち終えると、友人達に今日は帰ると伝える
揃いも揃って驚いた顔をしていたが、自分自身もこの選択に驚いていた
あとから聞いた話だが、あの後は早く帰った理由を色々考察して盛り上がったみたいだ
ほんとにくだらない話が好きな最高なやつらだよ
店を出たあとは記憶を呼び起こす
確かあの日はあそこの駅で18時に待ち合わせたはず
残業が確定して遅れるメッセージをいれて
打ち上げ時間には間に合うように
最終的には間に合うどころか会うこともできなかった
あの時のあの場所に近づくにつれ、記憶が蘇る
彼女は一人で花火をみていたんだ
行けないと送ったあとは、仕事中に鳴っていたスマホを無視していた
別に確認することぐらいできたのに
色々と面倒で理不尽なことが最悪のタイミングで重なったことによりやけくそになっていた
そして最悪なことはさらに加速し、スマホを落として壊してしまったのだった
人間の記憶は不思議だ
パズルのように組み合わさって、再び完成する
あと少しで着くというところでメッセージが届く
「先に行ってるね」
このメッセージは確か…
昔のまま…
遅れる、行けないとう返信じゃなく向かう、行けるという返答では変わらない
流行りのタイムリープのようにはいかないのか
何かしらに期待していた気持ちに釘を打たれた感覚だ
「ごめん、すぐ追いつく」
それでも息を切らして会場に着いた
そこは当然只々真っ暗で静かな河川敷
スマホを確認すると、あの時メッセージを無視し始めた頃の時刻だった
現実はこんなもんだよな
空想の世界の主人公になったかのように、はしゃいでいた状況が馬鹿馬鹿しくなっていた
あいつらとまた合流するかと思っていたときだった
スマホの着信ランプが花火のように、真っ暗な空間に輝いた
「残業頑張れ~!たーまーやー!」
メッセージと一緒に花火の動画が送られてきた
その花火は今までの人生で一番綺麗で、暖かく感動的だった
自然と笑みが溢れていた
「まーの棒はいらねぇよ」
一人なのに思わず声が漏れた
あの日は、いやあの頃は自分のことしか考えてなかった
馬鹿馬鹿しいのは俺だ
かけ違えたボタンをそのままにせずに、少しの手間でかけ直せさえすれば、あの日の花火は一緒に観ることができたんだ
何か答えが出たような気がした
過去を引きずる性分ではないと自覚していたけれど、無かったものにしてはいけない
「あの後はどうしたんだっけ…」
しばらくその場で考えていたが、別れた事実しか思い出せずにいた
余韻を残していたスマホの光がふっと消え、また暗闇の世界に戻った
俺の悪い癖が出ていた
違うだろ、建設的に考えるんじゃなくて素直になればいいんだろ
もう一度スマホに光を宿し、文字の花火を打ち込む
「ありがとう 花火綺麗だね 一緒に隣で観たかったな」
送信するとすぐに返信がきた
彼女からメッセージではなく着信だ
俺は少し固まっていたが、応答ボタンを押した
「もしもし…」
僅かな沈黙のあとに彼女が一言、涙ぐんでいるような声だった
「遅いよ…」
「ごめん…」
「ううん、そうじゃなくて…」
「えっ?…」
「後ろ…振り返ってみて」
言われるがままに振り返ると、小さな光が近づいてくる
「えっ?はっ?」
「気付くの遅いよ…はははっ」
近づけば近づくほど確信的になってくる
何も言えず呆然としている俺の目の前に迫ってくる
スマホなんて必要としなくてもその声ははっきりと聴こえた
「久しぶり…なんでしょ?」
そう問いかけられても声が出せずにいた
目の前に彼女がいること、それにその彼女がどう見ても当時のままの容姿であることがとても信じ難いことだった
「あっ、えっ?変わって…なさすぎ…歳が…えっ?」
「おじさんになったね、でも変わってないね」
中編につづく