第7話 番外編 お嬢様。
隣国に仕事で来ていた旦那様に拾われたのは4歳ぐらい。誕生日もわからない孤児だった。僕は着るものも食べるものも寝る場所も与えられ、ボドワン子爵家の使用人として生きることになった。
兄弟のいなかったお坊ちゃまに可愛がられ、仕事の合間に読み書きも教わった。
一通りの仕事をこなせるようになった頃…お嬢様がお生まれになった。
「来てごらん、ディディエ。僕の妹だよ。」
お坊ちゃまに連れられて初めてお嬢様を見た。驚くほど小さかった。
お嬢様はすくすくと育った。なかなかのお転婆で、乳母の手に負えないときは僕が呼ばれた。中庭で駆け回るお嬢様を捕まえるのが上手になった。いつも抱きかかえてお連れする。
「私ね、大きくなったらディエのお嫁さんになるの。」
おとぎ話より無理な話です。
お嬢様にせがまれて、寝る前に絵本を読む。
お嬢様がお気に入りの、王子様がお姫様の窮地を救う話。ありがちですが。
毎晩のように、同じ話を読み聞かせします。
ある時、乳母に叱られているお嬢様を見かけた。
「どうしましたか?」
困り果てた乳母に声をかけると、大事にしていた絵本の挿絵に色を塗ったらしい。
彩色され綺麗な黄色で塗られていた王子様の髪色が、茶色に塗りつぶしてある。
「だって、だって、私の王子様の髪は茶色なんだもの。私ね、大きくなったらディエと結婚するんだもの。」
あら、まあ。と、乳母が笑っている。
お嬢様はぷうっと頬を膨らませたお顔もかわいらしい。
お坊ちゃまの勉強の時間は、机を並べることを許可された。お坊ちゃまが旦那様に頼んでくれたらしい。
お坊ちゃまが貴族用の学院の高等部にはいられてからは、僕宛に教科書とノートを送ってきてくださる。僕は屋敷の仕事が終わった夜中に、貪欲に勉強した。
お嬢様の教育係を申し付かって、読み書きを教えている。もうすぐ8歳になられるが、読み書き計算は難なくできる。難しい本も読める。それでも、寝る前には呼ばれて、あの、お嬢さまが落書きをした絵本を読み聞かせするのが日課だ。お嬢さまは絵本の挿絵を見ずに、何か言いたそうな顔で僕を眺めている。
「どうしましたか?お嬢さま?」
「私、ディエと結婚するの」
「お嬢様?私は平民です。しかも孤児ですよ?お嬢さまとは身分も何もかも釣り合わないんです。」
そう言って僕は笑った。
「じゃあ、私も平民になればいいの?」
「そうやすやすと言うものではありません。貴族には貴族の務めがございますでしょう?」
「……」
そのあと間もなく、ジュリエンヌお嬢さまの婚約が決まった。お相手は伯爵家の嫡男殿。身分も何もかも、釣り合う相手だった。
僕は旦那様の勧めで、学院に通わせていただけることになった。
お坊ちゃまが学院を卒業されて、アカデミアに進むことになったタイミングだった。小さな借家で、寮を出たお坊ちゃまのお世話をしながら、半年で学院をスキップして奨学金を取り、僕もアカデミアに進んだ。
お坊ちゃまの卒業に合わせて、一緒に帰る。
久しぶりに会ったお嬢さまは、まぶしいくらいに美しくなっていた。まさに小さな淑女。
お坊ちゃまと旦那様の領地経営の補佐をしながら、お嬢さまの勉強も見た。
さすがに…もう王子様の出てくる絵本を読めとは言わなくなった。
婚約者のダミアン様が訪ねてくる夏に、いつも教授の手伝いでアカデミアのサマーセミナーに行かせていただけたのは、僕には幸いだった。お嬢さまと婚約者殿の寄り添う姿など見るのは忍びなかったから。
これが現実だ。
僕も…お嬢様の絵本の魔法にかかって、少し夢を見ていたのかもしれない。
万に一つもありえない夢など、見ない方がいい。