Episode 06 マイ・ガール
・池崎正人
新入生。偏った遅刻癖で問題児となるが、持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。様々な人間関係にもまれて成長していくが。
・中川美登利
中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。並々ならないこだわりを学校に持ち、そのために周囲を振り回す。
・一ノ瀬誠
生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。
・綾小路高次
風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?
・坂野今日子
中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。洞察力に長け、容赦なく相手を攻撃したりもする。
・船岡和美
中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。明るい性格だが、今日子と同じく洞察力にすぐれるゆえ人間関係に疑問を持つこともある。
・森村拓己
正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。
・片瀬修一
正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。
・小暮綾香
正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。恋愛に積極的で入学早々に「開校始まって以来のプレイボーイ」佐伯裕二と付き合うが。
・須藤恵
綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。
・錦小路紗綾
綾小路の婚約者。京都に住んでいる。美登利とも仲が良い。
呼び出されたのは始業式を明後日に控えた午後のことだった。
「それで? 紗綾ちゃんのお誕生日祝いだったよね」
「そう。なにがいいだろうか」
至極真面目な顔をして綾小路が訊いてきたものだから、
「そうねえ」
中川美登利も頬に手をあて首を傾げた。
綾小路の婚約者の錦小路紗綾嬢は、綺麗なものや可愛らしいものに目がない少女だったので、
「紗綾ちゃんなら大人っぽいものの方が喜ぶかもね」
取り敢えず入った宝石店で、美登利はぐいっと綾小路の袖を引っ張った。
「これすごくかわいい」
華奢なつくりのブレスレットだった。金の鎖にごくごく小さな三色の石がはめ込まれている。
「少し大人っぽくないか?」
「だからいいの。恋人からのプレゼントならプライドとステータスが感じられるものでないと」
「そうですね。その点、こちらのお品はおすすめですよ」
すかさず店員が応じる。
「当店のオリジナルですから、お求めやすくなっております」
結局それに決めさせられた。
「彼氏さん、優しいですね」
店員の言葉に目を剝いた綾小路の隣で、美登利はにこっとブリザードの微笑みを浮かべた。
「それ、郵送するの?」
レモンパイをぐしゃぐしゃにしながら美登利が訊く。
「京都まで届けてられんからな」
「せめてカードくらい添えなさいよ。プレゼントって課程が大事だよ」
品物だけ送るつもりでいた綾小路は言葉に詰まる。
「まあ、紗綾ちゃんはそういうあんたのことわかってるからいいのだろうけど」
フォークから手を放して美登利はカップを持ち上げる。
「体育部会の話は聞いたか?」
「いいえ。休みの間の情報はさっぱり」
「鹿島先輩は後任に安西を推すようだ」
「私はそれがいいと思ってたよ。それで副職には尾上が就くのでしょう。いいんじゃないかな」
「問題は奴らが池崎少年に注視してることだな」
「池崎くんね」
「人材育成の意味でも彼はこちらで囲い込んでおきたい。横槍を入れられるのは勘弁だな。……なんだ?」
美登利が黙ってフォークを回しながら自分を見ているのに気づいて綾小路は眉を上げる。
「あんたも随分池崎くんを評価するようになったね」
「もともと彼を発掘したのはおまえさんだろうが」
微妙に不機嫌な様子の美登利に綾小路は訳がわからなくなる。
「わかった」
いつの間にか見るも無残だったケーキはきれいに空になっていた。フォークを置いて美登利は微笑む。
「そのへんのことは私に任せて」
一ノ瀬誠や宮前仁らに比べればそう長い付き合いではないが、美登利が良からぬことを企んでいそうな気配は綾小路にもわかる。問題は、誰に対して良からぬことであるのか、であるが、それを洞察できる力は綾小路にはなかった。
新学期を迎えた朝。日焼けした生徒たちが賑やかに挨拶を交わす中、船岡和美も中川美登利のもとに飛んで来た。
「美登利さーん。会いたかったよ」
坂野今日子もにこにことついてくる。
「夏休みつまんなくてさあ、坂野っちも暇そうだったから一緒にプールなんか行っちゃったよ」
「間違えないでください。船岡さんがしつこいから私が一緒に行ってあげたのですよー」
うっすら小麦色の和美に対して今日子は日焼けもせずに真っ白な肌のままだ。
なんだかんだ仲の良いふたりに美登利は苦笑する。
「さてさて、肝心の池崎少年は時間までに来るのかな」
うきうきと校門の方を窺い見る和美。
「池崎くんが遅刻しないかどうかクラスの男子と賭けたんです」
今日子の説明に美登利は眉をひそめる。
「だってさあ、池崎くんの校門前ダッシュ、名物だよ、もはや名物」
「和美さんはどっちに賭けたの」
「それはもちろん、あたしは池崎くんの根性を買ってるからね」
また池崎正人か。いつの間にやらどうなっているのか。
もやもやした気分で嘆息する美登利を、坂野今日子がじっと見ていた。
今日はやばかった。夏休み中には早寝早起きで実に健康的にすごしていたのに、今朝にはまた目覚めが悪くて自分でも不思議だ。
「心理的要因てやつじゃないか?」
からかうクラスメートに馬鹿抜かせ、と返す。正人がそんなにナイーブだったことなどない。
「委員会行かないのか?」
「やだよ、始業式からなんで」
「帰省のお土産置きに行くんだよ。坂野さんにお茶入れてもらってさ、みんなで食べよう」
「やなこった」
片瀬修一と森村拓己と押し問答していたから正人が昇降口に下りたのはあらかたの生徒が下校した後だった。
あくびをしながら靴を取り出していると、
「ねえ、ちょっと」
「……」
「ねえったら!」
うるさいなと振り返ったがそこには誰もいない。首を傾げているとシャツの裾を引っ張られた。
「どんくさい人ねえ」
女の子がいた。付け加えるならば、えらく可愛い女の子だ。
スカートに段々の付いた白いワンピースを着ていて、さらさらの長い黒髪にレースのリボンを結んでいる。黒目の大きな瞳がまっすぐに正人を見上げている。
「ねえ、聞きたいことがあるの」
「って、おまえどこから入ったんだよ」
「ここからよ。見てわからないの? どんくさいうえに目まで悪いのね」
正人はむっと唇を尖らせた。
「ガキが遊びに来るところじゃねえぞ。さっさと帰れ」
「失礼な人ね、レディーに対する口のきき方も知らないなんて男じゃないわ」
「誰がレディーだ」
子ども相手にむきになっていると、小暮綾香と須藤恵がやって来た。
「だあれ? その子」
「知らねえよ。勝手に入ってきたみたいなんだ」
恵が膝を屈めて彼女に問う。
「なんの御用? お兄さんかお姉さんがいるのかな?」
「わたしは高次に会いに来たの。高次はどこ?」
「たかつぐ?」
「そうよ。綾小路高次。高次のところへ連れていって」
風紀委員会室に行ってみたが綾小路は留守だった。仕方がないので次に彼が居そうな中央委員会室に向かう。
「今度はどこに行くの?」
手をつないでいる恵に紗綾が問いかける。
「中川先輩のところだよ。そこに綾小路さんがいなくても捜してもらえるだろうし」
「美登利のことね」
「わあ、先輩とも知り合いなんだ」
「お友だちよ。わたしは美登利みたいになりたくて髪を伸ばしたの」
「わかるよ。中川先輩すてきだもん」
はあ、と奇しくも同時にため息をついて、正人と綾香は顔を見合わせる。
「悪いな、付き合わせて」
「別に。池崎くん女の子の扱い下手そうだし」
前にも誰かに同じことを言われたような。
「あらまあ、紗綾ちゃん」
「美登利」
あいにくここにも綾小路はいなかったが、金目鯛せんべいやらのっぽパンやら温泉饅頭やらを食していた面々が珍客を出迎えた。
「どうやってここまで来たの?」
「川久保のくるまでよ。駐車場で待ってくれてるわ」
「それはそれは」
坂野今日子が淹れてくれたお茶を紗綾は上品に飲む。
それを見ながら何か考えているふうだった中川美登利が船岡和美に何か囁くのを正人は目撃してしまった。
和美はにやりと笑って部屋を出ていく。当の美登利も、今日子に何か言いつけてから慌し気に出ていった。
何かよからぬことが始まる気配を肌で感じて正人はぞっとする。
――あなたが私を止めて。
言われたことを思い出し、正人は少なからず動揺する。
追いかけた方がいいのだろうか。皆の方に視線を向ける。
紗綾を取り囲んでわいわいお菓子を食べている拓己たちの向こうから、一ノ瀬誠が正人を見ていた。目が合う。誠はにこっと笑う。
なにを考えているのかはわからない。わからないが、彼がのんびりしているのなら、そうヒドイことは起こらないのではないか。
そんなふうに結論付けて正人は気持ちを落ち着かせる。
そんな正人の隣から小暮綾香が饅頭を差し出した。
小ぶりの饅頭を正人は丸ごと口に入れる。りすのように頬を膨らませた正人の顔を見て綾香がぷっとふき出した。
見回りから戻ると、留守番をしていた一年生に「女の子が来ました」と報告された。
「女の子?」
疑問に思う間もなく放送を知らせるチャイムが鳴った。
『呼び出しのお知らせです。綾小路風紀委員長、綾小路風紀委員長、よーく聞いててくださいね。「錦小路紗綾嬢の身柄は預かった。返してほしければ剣道場に今すぐ来ーい」以上、中央委員会からのお知らせです。それではよろしくー』
小馬鹿にしたアナウンスは船岡和美のものだ。
それを指示したのは当然、
「なぁかぁがぁわあぁ!!」
怒りも露わに剣道場に駆けつけると、そこには本当に錦小路紗綾がいた。壁際に置かれたパイプ椅子にちょこんと座っている。
傍らには腕組をして中川美登利が立っている。
綾小路が歩み寄るよりも早く、丸めた冊子をマイクに見立てて握りしめた船岡和美が進み出てきた。
「はいはい。来ましたね、綾小路くん。それではこれより、剣道部主将尾上貞敏くんと風紀委員長綾小路高次くんとの風船割り一本勝負を始めます」
ばん、と和美が手を挙げた先には、竹刀を手に紙風船を頭に括り付けた尾上貞敏の姿。
「尾上……」
あまりのことに綾小路は額を押さえる。
「なんだそのざまは」
「察してくれ、綾小路。俺だってこんなことをしたいわけではないんだ」
硬派をもってなる尾上の苦渋の表情に綾小路は美登利の方を睨む。
美登利がにこりと笑う。その横には綾小路のことをじっと見つめている紗綾。
「えーと、すみません綾小路さん」
おっかなびっくりな面持ちで森村拓己が竹刀を差し出し、脇から片瀬修一が無表情に綾小路の頭にも紙風船を括り付けた。
今日はほとんどの部活動は休みだが、それでも校内に残っていた生徒たちが何事かと集まってきている。
「見れば一目瞭然ですが、この勝負、先に相手の紙風船を割った方が勝ちとなります。一応言っておきますとね、これ剣道の試合じゃないですからね。ルールはないですよ。先に相手の風船割ったら勝ちです。いいですね」
和美が説明する間、綾小路から目を逸らさずに紗綾が尋ねる。
「ねえ、美登利。なにが始まるの?」
「大丈夫よ、紗綾ちゃん。心配することはなにもないわ。綾小路のかっこいいとこ、紗綾ちゃんだって見たいでしょう」
こくんと頷いた紗綾のことを綾小路も見ていた。
紅白の審判旗を持った坂野今日子の指示に従い開始位置に付く。
「はじめ!」
しばし剣先での仕掛け合いが続く。どちらもなかなか大きくは仕掛けない。
退屈したギャラリーの何人かが踵を返しかけたとき、皆が驚きの声を上げた。
(巻き上げ!)
綾小路の手から竹刀が消えていた。尾上が仕掛けた巻き技によるものだ。綺麗に空に浮いた竹刀が床に落ちる。
間髪開けず無防備になった綾小路に尾上が面を打ち込む。
が、綾小路の動きの方が早かった。横跳びに最小限の動きで尾上の竹刀をかわす。
そして軸足をそのままにもう片方の足を素早く蹴り上げる。ぱん、と乾いた音を立てて尾上の紙風船が割れた。
「一本!」
今日子が旗を上げるとギャラリーからやんややんやと歓声が上った。
「悪いな、尾上」
綾小路は自分の頭から無傷な紙風船を投げ捨てる。
紗綾のそばに駆け寄るとものも言わずにその体を小脇に抱え、ギャラリーを蹴散らして一目散にどこかへ行ってしまった。
「あらぁ、行っちゃったわねえ」
「行っちゃいましたねえ」
坂野今日子とつぶやき合い、美登利はがっくりと倒れ伏している尾上にちらりと視線を向ける。丸めた冊子でつんつんと尾上をつついていた船岡和美が肩を竦めて首を振った。
「なにをエサに尾上を引っ張り出したんだ?」
小さな声で一ノ瀬誠が訊いてくる。横目に誠を見上げながら美登利も声を潜めた。
「綾小路に勝てたら池崎くんをあげる、って」
「それで尾上がその気になったか」
「その気になったのねえ」
体面を気にする尾上がこんな茶番に付き合うほどに、体育部会が池崎正人を重要視していることが証明されてしまったわけだ。
「……にしても、あんな剣道一直線の相手に足を使うなんて。以前の綾小路だったら考えらんない」
「だな。いい感じに卑怯になった」
「誰の影響やら」
「おまえが言うな」
「また勝負したくなった?」
含み笑いで尋ねた美登利に誠も笑う。
「いいや。もう御免だね」
「高次のばか! おろしてよ、おろしてったら」
無人の風紀委員会室に駆け込んだところで、綾小路はようやくじたばた暴れる紗綾を床に下ろした。
「ひどいじゃない、人をものみたいに。どうせならもっとユーガに抱き上げてほしいわ」
顔を真っ赤にしている紗綾にはいはいと頷きながら、綾小路は膝を屈めて彼女のくしゃくしゃになった髪やスカートのしわを直してやった。
それですっかり気をよくして紗綾は綾小路が引いた椅子に素直に腰を下ろした。
「どうやって来たんだ?」
「川久保のくるまでよ」
「また無茶をさせて」
「だって、どうしても高次にお礼を言いたかったんですもの」
両足を軽く揺らしながら、紗綾は左手を上げて細い手首を綾小路の前に出した。綾小路が贈ったブレスレットが巻き付けてあった。
「とってもすてきよ。ありがとう。さすがわたしの高次ね」
紗綾はそろそろとした手付きでそれに触れながら言った。
「ほんとはね、もったいないから大事にしまっておこうかと思ったの。でも高次がせっかくくれたのにそれだとやっぱりもったいないでしょう。だから、高次と会うときにだけ、これをつけることにするの。そしたら高次に会う日がもっと待ち遠しくなるもの」
彼を見上げてにっこりと愛らしく微笑む。綾小路はあーとかうーとか言葉にならない声をもらして手で口を覆った。
「それは……良かったな」
「うん」
こっくり頷いて紗綾は両手を伸ばす。
応えて身を屈めた綾小路の首の後ろに腕を絡めて紗綾はささやいた。
「大好きよ、高次」
「結局なんだったんだ、あのガキは」
「帰り遅くなっちゃったねえ」
「腹減った……」
皆と連れ立って歩きながらぶつぶつ文句を言っていた池崎正人はでも、と思い返す。
風紀委員長のあの蹴り。きれいな、本当にきれいな上段回し蹴りだった。前に見た中川美登利の後ろ蹴りもそうだ。無駄のない、見事な動き。
その場に鞄を放り出し、正人は構える。片膝を抱え込み、膝下のスナップを効かせ、蹴り上げる。
「なんだよ、急に」
拓己がやれやれと鞄を拾ってくれた。
「なんか、体動かしたくなってきた」
「体育会系だなあ、池崎」
「部活やれよ、何か」
「やっていいの?」
「許可があれば掛け持ちや助っ人はオッケーだけど」
「それ以前に朝練に出れなきゃダメだろ、こいつ」
「そうなんだよなあ……」
自分で頷く正人に綾香や恵も苦笑する。
「本当にやりたい気持ちになれば、できるんじゃない。なんだって」
小暮綾香の言葉に正人は少し驚く。
「なによ?」
「いや……」
自分で考えて、自分で決めて、自分でやってみる。本当にやりたいことを。
(おれのやりたいことってなんだろう)
答えは出ない。