Episode 03 長い一日
*登場人物
・池崎正人
新入生。偏った遅刻癖で問題児となるが、持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。様々な人間関係にもまれて成長していくが。
・中川美登利
中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。並々ならないこだわりを学校に持ち、そのために周囲を振り回す。
・一ノ瀬誠
生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。
・綾小路高次
風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?
・坂野今日子
中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。洞察力に長け、容赦なく相手を攻撃したりもする。
・船岡和美
中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。明るい性格だが、今日子と同じく洞察力にすぐれるゆえ人間関係に疑問を持つこともある。
・澤村祐也
文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。
・森村拓己
正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。
・片瀬修一
正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。
・小暮綾香
正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。恋愛に積極的で入学早々に「開校始まって以来のプレイボーイ」佐伯裕二と付き合うが。
・須藤恵
綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。
文化祭当日は申し分ない快晴で、生徒たちの日頃の行いの良さを天が証明してくれたようだった。
早朝からゲートや看板を設置する生徒たちの歓声を背に、文化部長澤村祐也は未だ建設途中の建物の概要を見上げていた。
「おはよう、澤村くん」
声だけでそれが誰か澤村にはわかる。
「みどちゃん」
おはよう、と振り返る。
中央委員会委員長の中川美登利が隣に立った。
「芸術館、間に合わなかったね」
「うん……。でもほら、これはこれで目立っていいかも。なにができるんだろうってお客さんも看板を見てくれるでしょう。ここに生徒募集のポスターも貼ってあるし」
「そうだね。興味持ってもらえるよ、きっと」
澤村はくすりと笑って美登利の長い髪に指を伸ばした。
「髪の毛絡まってるよ」
「朝バタバタしちゃってさ。そういえばお母さんがうるさく言ってたなあ」
「少し時間あるなら結ってあげようか?」
「お願いしようかな」
澤村は嬉しそうに頷く。
「澤村くんの演奏、午後だよね? 絶対聴きに行くからね」
「ほんとう? それなら張り切らないと」
良い音が出せそうだと澤村祐也は微笑んだ。
青陵学院は、中等部と高等部を擁する私立の進学校である。創立されてから十年足らずと歴史はまだ浅い。この地域の古くからの名門校である西城学園と『西の西城・東の青陵』と並び称される所以だ。並外れた進学率とそこそこの実績で地域の衆目を集めているが、その神髄は極めて高い生徒たちの自治力にある。「克己復礼」を教育理念に掲げ、「清く正しく美しく」をモットーに自立心あふれる生徒たちが傍若無人に活躍する。大いなる可能性にあふれる…………要するに、異彩を放つ学校なのである。
いよいよ文化祭当日。今日は放送部の腕章を付けた船岡和美が開口一番に放ったセリフは「やばい」だった。
「やばい、やばいよ。大正レトロカフェ。百合香先輩の本気、半端ないよ」
「もう既に長蛇の列だろう。誘導員を増やしたほうが良さそうだな」
「ち、がああう!」
黒板に張り出された人員配置図を確認している綾小路に船岡和美は精一杯叫ぶ。
「そういうことじゃなくて! こう、キュンだよキュン。女給さんやばいよ。キュンキュンだよ」
「グラウンドの巡回係を二人ピロティーにまわすか」
「でもね。あたしが自分を許せないのはね、佐伯氏のギャルソン姿にときめいてしまったことなの……」
「坂野くん。連絡を頼む」
「了解です」
「ねえ、ねえ。坂野っちも見てごらんよ」
「いやですよ」
携帯電話を取り出しながら坂野今日子は冷たく言い放つ。
「目が腐ります」
ですよねーと和美は肩を竦めた。
「それでは船岡は突撃レポートに行ってまいります」
びしっとマイクを振り上げ和美は文化祭実行委員会本部を飛び出していく。
「あいつは今日一日あのテンションでもつのか?」
風紀委員長のぼやきに坂野今日子は「さぁ?」と首を傾げた。
「なんだかもう、訳がわからない」
げっそりと池崎正人がつぶやく。
「まだ午前中だぞ」
こちらはまだまだ余裕がある様子で森村拓己が正人をたしなめる。
朝一番に寮生総出で叩き起こされ、普段より二時間早く登校させられた。
ゲートの設置やら、グラウンドのベンチとテントの配備、その後には校内の巡回と、正人はもはや疲れ果てていた。
挙句の果てになぜか今、正人は背中に見知らぬ女の子を背負っている。
「迷子の女の子には優しくしなきゃ」
自分は身軽にしれっと言う拓己に突っ込む気力も正人にはない。
養護教諭が詰めている学院側本部に女の子を預け、軽くなった肩を回しながら正人はようやく一息ついた。
学院側本部テントのあるグラウンドでは、サッカー部の招待試合が行われている最中だった。
観客席の左右に並んだ模擬店では、運動部の面々が弁当やお茶を売っている。
「昼飯どうする?」
携帯で実行委員会本部と連絡を取っていた拓己が正人を振り返った。
「手が空いたなら今のうちに昼休憩にしていいって」
「おれはここで弁当でいいけど」
というより、得体の知れない仮装をした生徒たちであふれかえっている校舎内では、とても気が休まらない。
「そうだね。天気もいいし。少し暑いけど。あ、でもさ、後でちょっと調理部のケーキ屋さんに行ってみようよ」
「ケーキ屋ぁ? なんで?」
「仲いいだろ? 須藤や小暮と」
仲良くした覚えはまったくない。
生返事をしながら正人はさっそく弁当屋を物色し始めた。
「一ノ瀬はどこだ!?」
文化祭実行委員会本部に生徒会副会長の長倉が飛んできた。
クラスの女子が差し入れてくれた鯛焼きを口にくわえたまま中川美登利が振り返る。
「一ノ瀬がいない!」
もぐもぐと鯛の頭を飲み込んでから美登利が問う。
「ケータイは?」
「応答なし」
「ということは、呼び出しの放送をしても無駄だよね。放っておけば? OBの対応くらい他の生徒会メンバーで……」
「そうもいかないぞ」
携帯で何か報告を受けていた綾小路が気難しい顔で見返った。
「西城へやった偵察隊の話では、高田がこっちに向かってるらしい」
「まじか!」
「阿呆なの、あいつは。なんでわざわざ出張ってくるのさ」
「うちが気になって仕方ないんだろうな」
しっぽを飲み込み、湯呑のお茶を飲みほしてから美登利は立ち上がった。
「見回りがてら探してくる。ここはよろしく」
廊下に出た美登利はまず、一番気になっていた三年生の大正レトロカフェの様子を見に学食のある一階へと下りていった。
学食前の廊下は込み合っていて、窓を隔てたピロティーにもつづら折りに順番を待つ人の列ができていた。ピロティーを挟んで向かいの調理部のケーキ屋も、大正レトロカフェとは被らないメニュー展開が功を奏したらしく、まずまずの客の入りのようだった。
「盛況盛況」
ひとりほくそ笑み、美登利は「さて」と考える。誠を探すなら人気のない場所を巡らねばならない。
渡り廊下から戸外へ出ようとしたところで池崎正人と森村拓己に会った。
「美登利さん」
ふたりとも外にいたのか額が少し汗ばんでいる。
「見回りですか?」
「誠を探してるんだけど、どこかで見なかった?」
「グラウンドでは見かけませんでしたけど。捜すの手伝いますか?」
「いいよいいよ。まだ休憩中でしょう。今のうち見たいところへ行っておいで」
「あ、じゃあ。これどうぞ」
拓己がペットボトルの水を差し出す。
「ぼくら調理部に寄ってくんで」
「ありがとう」
ふたりと別れて校舎をぐるりと回る。ちょうど学食の裏になる位置。こちらに人がいる気配はなさそうだ。
引き返そうとすると、厨房の扉が開いて人が出てきた。ギャルソン姿の三年生、佐伯裕二だ。
無言で凝視する美登利にバツが悪そうな顔をして、佐伯が唇を曲げる。
「笑いたきゃ笑えば?」
「いえ、まあ……」
そう言われると笑いたくなってしまって美登利はさすがにそれをこらえる。
「似合ってますよ、とっても」
やっぱりバツが悪そうに佐伯ははーっと息を吐いてその場にしゃがみこんだ。自販機で買ったらしいコーヒーを取り出す。
「もしかしてお昼休憩ですか?」
「うん」
同じようにしゃがみながら美登利は持っていた袋を差し出した。
「それならこれどうぞ。道すがらいろいろもらったんで」
「……サンキュー」
フライドポテトやらタコ焼きやらワッフルやら。
「人気者は大変だな」
「人気者っていうのかな」
美登利は少し首を傾げる。
「じゃあ、恐怖の番長」
揶揄が混じった言い方に美登利は余裕の表情で微笑んだ。
「先輩は実は優秀なんだから、最後の一年くらいちゃんとしたらどうですか?」
「よけいなお世話だよ」
「ですよね。ところで、一ノ瀬誠を見ませんでしたか?」
美登利は立ち上がり、ついでという感じで尋ねてみる。
「北校舎の階段上がっていったぞ。あれ、何時頃だろうな……。図書館にいるんじゃないのか」
「え……」
思わぬ有力情報に素で反応してしまう。そんな美登利の様子に、こちらも珍しく素の表情で佐伯がぷっと吹き出した。
夢を見ていた。子どもの頃の夢だ。
昔昔、自分の家の近所に天使がいた。愛らしいとしか言いようのないその外見。仕草。行儀の良さ。大人も子どもも夢中になって彼女を褒めたたえた。
しかし言葉を覚えていくのと比例して、天使は徐々に本性を現し始めた。
口を開けば辛辣に相手をけなし、気に入らない人間には氷点下の一瞥。美貌な故に恐ろしさも倍増する。
悪魔の方が天使よりも美しいのかもしれない。
子ども心にそう思い知った頃、とあるつわものが彼女に言った。
『ねえ、みどちゃん。ぼくとケッコンしなよ。ぼくんちお金持ちだから』
『ええ? いやだ。わたしはお兄ちゃんとけっこんするんだから』
もろに氷の眼差しを浴びながら、彼はそれでも怯まなかった。
『ばかだなあ。おにいさんとはケッコンできないんだよ。だからぼくと……』
みなまで聞かず、彼女はくるっと誠の方を見返った。
『ほんとう? お兄ちゃんとけっこんできない?』
『うん』
不安そうに歪む瞳に吸い込まれそうになりながら誠は頷く。
『ほらね。だからみどちゃん、ぼくと……』
『それならまことちゃんとする』
ぎゅうっと誠の体にしがみつき、彼女は高らかに宣言した。
『まことちゃんとけっこんする! あんたとはしない、あっちいけ!』
「あ、起きた」
「暑い」
「お馬鹿さん。こんな窓もないとこで寝入って」
冷たいペットボトルを頬にあてられ、ようやく意識がしっかりしてくる。
図書館奥の閉架書庫。静かな場所を求めてここまで入り込み、すっかり熟睡していたようだ。
「夢を見たな……。子どもの頃の。高田が出てきた」
「それ、虫の知らせなんじゃない?」
夢で垣間見たように美登利の表情が冷たくなる。
「来るんですって、高田」
誠はようやく体を起こす。
「それじゃあ、行かなきゃだな」
襟元を整えネクタイを締め直す。
「しっかりね」
額の髪をかき上げ美登利がハンカチで汗を拭く。
「私は澤村くんのリサイタルに行くから」
優しいことをしてくれると思ったらこれだ。
指で彼の髪を整えている彼女の手を握る。
「……ほら。しっかり」
美登利はその手を握り返して誠の腕を引っ張った。
手をつないだまま書庫を出て、図書館の出入り口に向かう。
防音防火を兼ねた重い扉を開けたとき、ちょうど放送が聞こえてきた。
『ただいま一時になりました。放送部、船岡和美の突撃レポート、いよいよ午後の部です! 現在私は、未だに長蛇の列が途切れない「大正レトロカフェ」の前に来ています。校門前は新たに来場してくるお客様で賑わっておりますが、なんとここで! サプライズ! 我が青陵の好敵手、西城学園高等部の高田生徒会長が来場してくれています』
「あの馬鹿」
実行委員会本部では綾小路が頭を抱えて放送を聞いていた。
『西城学園もまさに今日、文化祭が開催されているわけですが、そのような中わざわざ出向いてきた目的にはどういったものがあるのでしょうか? インタビューしたいと思います』
いてもたってもいられなくなったとき、携帯が鳴った。
「一ノ瀬か。ああ、俺も向かう」
坂野今日子に留守を頼み足早に廊下に出る。昇降口前で一ノ瀬誠と合流した。
校門前の広場には、広報委員会や新聞部の取材班をはじめ専門委員会の主要メンバーまでもが集まってきていた。
「船岡のやつ……」
「いや、これでいい」
歩き出しながら誠が早口に言う。
「情報を流さなかったことを隠ぺいだと騒がれたら選挙戦で面倒になる」
後に続く綾小路が「まさか」と眉を上げる。
「船岡はそこまで計算して?」
「いやいや。彼女のは単に……」
『ようやく我らが生徒会長がやって来ました』
マイクを握った船岡和美がにやりと笑う。
「……俺への嫌がらせだろうな」
『一般公開のプログラムがすべて終了し、ただいま実行委員会により、最優秀賞を決める審査が行われています。こちらは各利用者数、アンケート結果などを踏まえ……』
「ほら、もうひと頑張りだよ、池崎」
「がんばれ」
森村拓己と片瀬修一のふたりから励まされ、池崎正人はどうにかこうにか気力を振り絞る。
『放送部、船岡和美の文化祭突撃レポート。いよいよ最後の回となりました。ただ今グラウンドでは後夕祭の準備が着々と進められております。この時間を利用して、澤村祐也文化部長にお話を伺いたいと思います。澤村さん個人としては今年も大成功のうちにピアノリサイタルを終えたわけですが……』
「パソコン部から集計結果届きました」
「やはり一位は大正レトロカフェか」
今日子の肩越しにパソコンの画面を覗き込み、綾小路はやれやれと息をつく。
「かなりの優遇だったからな。出来レースと言われても仕方がないが」
「三年のお歴々がこれで満足して留飲を下げてくれたなら、安いものじゃない」
「選挙戦で邪魔をされる心配はなくなるか」
うんうんと美登利は頷く。
「選挙?」
後夕祭で打ち上げるロケット花火を準備しながら正人が小声で拓己に訊く。
「生徒会会長選挙。週明けには選管の選出が始まるよ」
また別のイベントが始まるのかと、正人は頭が痛くなる。
「さあさあ、荷物持って。後夕祭にはみんなで繰り出そう」
その場で仕事を片づけていた全員に美登利が呼びかける。
願わくば、この慌しく長い一日があと少し、平穏無事に終わってくれますように。
誰へともなく祈った正人を、美登利が振り返った。