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Episode 18  石の花

*登場人物

・中川美登利

中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。並々ならないこだわりを学校に持ち、そのために周囲を振り回す。


・一ノ瀬誠

生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。


・坂野今日子

中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。洞察力に長け、容赦なく相手を攻撃したりもする。


・船岡和美

中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。明るい性格だが、今日子と同じく洞察力にすぐれるゆえ人間関係に疑問を持つこともある。


・小暮綾香

正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。恋愛に積極的で入学早々に「開校始まって以来のプレイボーイ」佐伯裕二と付き合うが。


・須藤恵

綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

 早朝の屋上は風こそなかったが身を切るように寒かった。温暖な土地とはいえ寒いものは寒い。

 園芸部部長の小宮山唯子は、マフラーを耳の上まで巻き直してから屋上庭園へと踏み出した。

 手前の花壇では寒さに強いパンジーとビオラが愛らしく健気に咲き続けてくれている。ピンク、青、黄色と彩りよく寄せ植えにしたプリムラも、そこだけ見ればもう春が来たかのような賑やかさだ。

(よかったな)

 夢に見たような空中庭園。こんなものが学校で造れるとは思っていなかった。

 唯子は花が好きだった。花はきれいで可愛い。どんな地味な野の花でも、例えばきらきらした宝石よりずっとずっときれいだと思っていた。

 花は生きているから。一生懸命咲いているから、花はきれいで可愛い。

 一番広い奥の花壇ではチューリップの芽がいくつか出始めていた。チューリップの芽は野菜なんかのひょろっとした双葉と違って、にょきっと力強く土の中から頭を出す。その意外なたくましさがまた愛おしい。

 唯子はしゃがんで土の渇き具合を確認した。水やりは放課後でよさそうだ。

 そのままぼんやり眺めていると、いきなり頬に暖かいものが触れてきた。

「おはよう」

 後ろから中川美登利が唯子の顔を覗き込んでいた。夢から醒めたような気持ちで唯子はその顔を見上げる。

 花はきれいで可愛い。でも花よりきれいなものがあることを唯子は彼女と出会って知ったのだ。

(花よりもきれいな人)

 パンジーやプリムラではとても太刀打ちできない。

「ありがとう」

 差し出されたミルクティーの缶を受け取って唯子はゆっくり立ち上がった。顔の下半分をマフラーで覆った美登利は瞳だけで微笑んだ。

「寒いのにえらいね、唯子ちゃん」

「そりゃあ部長だし。私お花大好きだし」

 缶で手を温めながら唯子は笑う。

「けっこうさ、他のみんなは花より野菜を育てようって派なんだよ。だから部で育てるのは野菜ばっかり」

「そういえば、そうだねえ」

「こんなに思い切り花畑を造れるなんて嬉しいよ。ほんとに」

 うんうんと、頷きながら美登利は唯子の袖を引いて校内へと誘った。

「ここに置くベンチね、工芸部に頼んでおいたの、いくつかできあがってるっていうから見に行かない?」

「行く行く」


「唯子ちゃん」

 昼休み、廊下の影からそっと名前を呼ばれた。声だけで誰だかわかる。

「ちょっといい?」

 科学部の杉原直紀だ。唯子はこっくり頷いて彼のそばに行く。

「あのね、石の缶詰っていうのにね、入ってたんだ、これ」

 杉原は唯子の手のひらにころんと小さな石を転がした。

「なにが入ってるのかもわからなくてね、開けてみたらこれが入ってたから嬉しくて。唯子ちゃんにあげなきゃと思って」

 彼女がきょとんとしているのに気づいて杉原はいったん言葉を止める。

「あれ?」

 大きな体の中で丸い瞳が困ったように唯子を見下ろす。

「えと、それだよね? 唯子ちゃんが見てみたいって言ってた、クジャク石って……。マラカイトのことだよね?」

「……!」

 すぐに気づけなかった自分の頭を思い切り殴ってやりたかった。

 唯子が好きな『石の花』という童話。子どもの頃から花が好きだったからタイトルに引かれて読んでみた。

 クジャク石で作られた「咲いている」鐘の形の花。これは作り話だとしても、木から舞い降りる小鳥の模様が見える石というのはどんなものなのだろう。

 今ならもう、このクジャク石がマラカイトのことで天然石の店に行けば美しく加工されたものがいくらでも売っているのは知っていた。自分が見たいと思っていたものとはまったく違うのだろうなと思って、それきり忘れてしまっていた。自分が彼にそんな話をしたことも。

 杉原がくれたのは、ごつごつした黒い岩肌に部分的に緑色の粉っぽいものが付着している、言ってしまえば本当にただの石ころだ。

「これって銅の二次鉱物なのね。十円玉に付いてる錆と同じってわかったら、親近感沸いちゃったよ。化学式見たら合成できそうだけど、人工のがあったりするのかな」

 彼のとつとつと、ゆっくりした話し方が好きだ。そして、もっともっと好きになった。

 唯子は花が好きだ。花はきれいで可愛い、生きているから。

 だけど今てのひらの中にある無生物である石ころも、唯子にとっては貴く美しいものだ。たった今、そうなった。

「ありがとう、大事にするね」

 唯子が微笑むと杉原もほっとしたように笑った。

「あのね、言わずにいたんだけどね。唯子ちゃんにお話のこと教えてもらったときね、読んでみたんだ、僕、その本を」

「どうして言わなかったの?」

「うん……読み終わったらね、なんだか、もやもやした気持ちになってしまって。ダニーロは本当に美しいものを作りたくて、山に行ってしまったんだろ? だけど結局、村へ戻ってしあわせに暮らしましたって。これってさ、理想なんか追いかけないで、ふわふわしたことばかり考えてないで、もっと現実を見て暮らしなさいって、このお話は言いたいのかなって思ったら、とても残念な気持ちになってしまって。うまく感想が出てこなくて……」

「そうかもしれないけど」

 唯子は彼の大きく肉厚な手を握りながら一生懸命に言った。

「そうかもしれないけど、私たちはまだ、ふわふわしてたっていいんじゃないかな。理想ばっかり見てたっていいんじゃないかな。だってまだ高校生だよ。夢見てたっていいんじゃないかな」

「うん……」

 丸い瞳を瞬かせて杉原はまだ心配そうに言う。

「でも僕なんかさ、いつまでもふらふらしてたら、どうしよう」

「大丈夫だよ、そしたら私がカーチャみたいに迎えに行ってあげる」

「うん」

 曇りが晴れたように杉原がにこりとする。唯子も笑ってもう一度強く彼の手を握りしめた。



 帰り道の途中で。商店街のファーストフードで小暮綾香はテーブルに突っ伏している。二人掛けの小さなテーブルなので恵はシェイクとハンバーガーをずっと手に持っていなければならなかった。

(やれやれ)

 須藤恵は気づかれないよう静かにため息をつく。

 池崎正人のことになると綾香はいつもこんな感じだ。今まで強気に恋してきた綾香が正人には及び腰になる。ほんとうの恋というのは恐ろしいものだ。他人事のように恵は思う。

「やっぱり好きじゃないんだ」

 突っ伏した腕の間からくぐもった声が聞こえてきて恵はまたか、と眉を寄せる。

「やっと手を握ったんだよ。それだけでなんにも先に進まない。どうして」

 ぷっと吹き出す声が背後のテーブルから聞こえてきた。

 恵は身を固くして恐る恐る背の高い衝立の向こうを覗いてみる。

 隣の四人掛けのテーブルで、船岡和美が肩を震わせて手で口を押えていた。隣でたしなめるように坂野今日子が和美の腕をぶっている。その向かいでは中川美登利が目を伏せてシェイクを飲んでいた。

 綾香がいちばん聞かれたくなかっただろう人たちに聞かれてしまったわけである。もはや目も当てられない。

「まあまあ、そんな顔しないで須藤ちゃん」

「笑っておいてよく言いますね」

「だってさ、かわいいんだもん。なにもしてこないから好きじゃないって? そういうことでしょ」

 綾香は突っ伏したまま微動だにしない。それは顔を上げられるわけないだろう。恥ずかしいに決まってる。

 恵は一人でこのクセモノな先輩たちの相手をすることに決めてシェイクとハンバーガーを持って隣の席に移った。

「じゃあ、どう思いますか? 先輩は」

「どうもこうも池崎少年だよ? カノジョの気持ちなんてなにも考えてないに決まってる」

「どう見ても恋愛音痴でしょう、あれは」

「でも、お誕生日にバラなんかくれちゃうんですよ? わたしそれ聞いたときには鳥肌立ちました」

「確かに、確かに。そんで告白されたりしたら私だってうひゃあってなる」

 和美が言うのに恵の目が一瞬泳ぐ。

「ん? どうした?」

「いえ……」

 外野の認識では正人が綾香に告白したことになっているようだ。薄々感じてはいたが、これではますます話がしにくい。

 彼は一言だって綾香を好きとは言っていないのだ。だけどそれを言ったなら「じゃあ、どうして花をくれたりしたんだ」となるわけで。気を持たせたりしたのか、となるわけで。

「池崎くんて、天然ですよね」

 思わず恵はつぶやく。

 それまで黙っていた美登利が顔を上げた。

「つまり、いつスイッチが入るかわからない」

 恵にというより、向こうに向かって話す。

「そういう相手の真意をあれこれ詮索する前に、自分が覚悟を決めることの方が先なんじゃないかな」

(覚悟?)

 衝立の向こうで綾香は少し顔を上げる。

「確かに、心の準備は大事大事」

 和美がかぶせるように言うのを聞いて、そういうことかとまた恥ずかしくなる。

 とても自分が嫌だった。


「綾香ちゃん、元気出しなよ」

「うん……」

 定期を買いに行った恵を待ちながら、綾香は駅前の様子を眺める。

 自分は思っていたよりずっと子どもなのかもしれない。枠組み通りにしか見れていない。正人のことも、恋愛のことも。

 でもやっぱり好きだから、心はどんどん欲張りになる。好きだから一緒にいたい、触りたい。同じように自分を想ってほしい、求めてほしい。

 それは綾香にとっては当然のことで、そしてやっぱり好きだから、こんな気持ちを本人に話すことはできない。嫌われたくないから。

 堂々巡りなことをまた考えていたら、ロータリーの向かいの通りを中川美登利が歩いているのを見つけた。

 船岡和美と坂野今日子の姿はなく、今度は一ノ瀬誠が一緒にいる。綾香はなんとなくそのままふたりを観察する。

 向かいからスーツケースを引いた年配の女性がやって来てすれ違う。前を歩いていた誠が後ろの美登利をかばうように左腕を上げた。

 その手に「大丈夫」というように美登利が少しだけ自分の左手を重ね、ほんのわずかの間、指と指が絡まって、すぐに離れた。

 そのままふたりはその先のバス乗り場のほうへ行ってしまった。

 一部始終を見ていた綾香はさっきよりもずっと頬が熱くなるのを感じていた。

 指が少し触れ合うのを見ただけなのにとんでもなく恥ずかしい。見てしまってごめんなさいというこの心境。

「? 綾香ちゃん?」

 戻ってきた恵に訝し気な顔をされたが綾香はなにも言えなかった。

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