Episode 16 冬籠る
*登場人物
・池崎正人
新入生。偏った遅刻癖で問題児となるが、持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。様々な人間関係にもまれて成長していくが。
・中川美登利
中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。並々ならないこだわりを学校に持ち、そのために周囲を振り回す。
・森村拓己
正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。
森村拓己の実家に到着した日の翌朝、池崎正人は拓己に連れられて早朝の林の中を歩いていた。
「池崎って面白いよね。学校休みになると早起きするんだもん」
「耳タコだ」
正人は白い息を吐く。寒くないわけではないが正人の地元に比べれば格段に暖かい。
青陵学院がある市街地から乗り換えを経て電車で二時間程度のエリア。気候的にはさほど変わらない。
林を抜けて造成地に出る。車道の突き当りに小さな旅館がぽつんと建っていた。
『翡翠荘』
拓己はすたすたその敷地の中へ入っていく。
正面入口への踏み石の道を掃き掃除している人物がいる。
「おはようございます」
「おはよう、拓己くん」
中川美登利だった。
「池崎くん、ほんとに来たんだ」
竹ぼうきを抱えて呆れたように眉をひそめる。
「なんであんたがここにいるんだ」
わなわなと震える正人に美登利はけろりと言う。
「ここ、うちの伯母さんの旅館。長い休みには手伝いに来るの」
「聞いてない。なんで森村の実家のそばにあんたの親戚んちがあるんだ」
「なんだ、池崎。知らなかったの?」
(おまえ、わざと言わなかったくせに)
わざとらしく笑う拓己に正人はぶるぶると拳を握る。
「それにしたって、お正月には自分のお家に帰ったほうがいいんじゃないかな」
「お盆で懲りた。卒業するまでもう帰らない」
表情を曇らせて美登利は正人を眺める。
「まあ、いいけど」
掃除に戻る美登利に拓己が問う。
「神社に行くのに裏口通らせてもらっていいですか?」
「どうぞ。気をつけてね」
翡翠荘の敷地を抜けて林の中のけもの道を行くと今度は神社の境内に突き当たった。
「年越しはここで甘酒を配るんだ」
「うちの近くの神社に似てる」
「田舎あるあるだね」
ははっと笑う拓己に、正人はいや、と言い直した。
「やっぱ全然違うや」
参道の階段を上り切ってから振り返ると、そこからは一直線に水平線が見えた。朝日が波間にきらきら輝いている。
「おお、太平洋だ」
「ここからご来光が見えるよ」
「いいとこだな」
「他にはなにもないけどね」
境内には少しだが遊具もあった。拓己がブランコの一つに腰かける。
「ここで美登利さんと初めて会ったんだよ。小五のとき。前から見かけたことはあったけど、そのときはじめて話した。ぼくさ、そんときいじめられててさ」
「おまえが?」
「うん。ぼくみたいに空気読んで女子とも先生とも要領よくできちゃう優等生ってガキ大将から嫌われたりするじゃない」
「はははは……」
「くっだんない嫌がらせされてさ、なんだこのくだらない連中はって思ったら全部がくだらなく思えてきて、学校もこの町も、くだんないよ人生なんて、みたいな」
優等生がこじらせると面倒なものである。
「ここでぼんやりしてたらさ。いきなり後ろから女の子が二人乗りしてきて……」
その子は拓己が座ったブランコをものすごい勢いで立ち漕ぎした。拓己が経験したことのない高さまでブランコが振られる。
『見て! 海の向こうまで飛んで行けるみたいでしょ』
明るい声が拓己に向かって叫ぶ。
その通りだった。境内の高台を乗り越えて海の上空まで飛び立つような感覚。
(知らなかった)
小さな頃から当たり前のようにここで遊んでいるのに知らなかった。こんな景色があることを。
しばらくして漕ぐのをやめて、段々と振り幅をなくしていくブランコからその子は身軽く飛び降りた。今度は拓己の隣のブランコにすとんと座る。
ものすごく可愛い子だった。
『森村さんちの子どもでしょう』
『きみは翡翠荘の親戚の子?』
『うん』
見たところ身長もあまり変らないようだったのに、やけにその子が大きく見える。姿勢がいいせいだ。
気づいて拓己は自分も背筋を伸ばしていた。するとこそこそと木立の向こうからこっちを見ている子どもたちの頭が見えた。
あの連中だ。嫌な予感がして拓己は体を固くする。
話し合いを終えたのだろう。満を持して少年たちが飛び出してきた。
『やい、森村。キサマ何様だ。よそ者と遊んでいいのかよ』
『しかも女じゃんか。おまえ女の相手しかできないのかよ』
くだらない。いつものように無視を決め込もうとしたのも束の間、すっくと女の子がブランコから立ち上がり、三人まとめて平手打ちにしていた。
『なにしやがんだ、この……』
『うるさいハエがまだ飛び回ってる』
ふうーっと手のひらに息を吹きかけ、その子は虫けらを見る目つきで三人の少年を見下ろした。
そんな目を向けられることなど人生初であろう三人は、すくみ上って参道の階段を駆け下りて逃げていった。
『クソガキってどこにでもいるんだね』
『無視すればよかったのに。相手にしても疲れるだけだよ、本当にくだらない』
『うん。わたしもああいうくだらない奴らのことは嫌いだけど』
俯いている自分の前に女の子が立つのがわかって拓己は顔を上げる。
すぐ上から拓己の顔を覗き込んで彼女は笑った。
『だからって、自分までくだらない人間みたいになっちゃうのは、違うんじゃない?』
『……』
『わたし明後日までこっちにいるんだ。明日もここで遊ぼうよ』
『あいつらも来るかも。今頃仕返し考えてるよ』
『いいじゃない。わたしいいこと考えちゃったんだ』
あまりにも朗らかにその子が笑うから、このとき既にあのような恐るべき計画が彼女の頭に描かれていようとは思いもしなかったのである。
その恐るべき計画とは……。翌日、その光景を前にして拓己は呆然と立ちすくむしかできなかった。
『バカヤロー! 出せ! この野郎』
林の中でぽっかり口を開けていた深い縦穴に突き落とされた三人が口々にわめいている。
その傍らでにこにこと穴の中を覗き込んでいた翡翠荘の女の子が拓己を振り返る。
『昨日この穴見つけてさ、使えないかなーって思ってたんだ。ここまで簡単に誘導されるなんて単純だねぇ。で、どうしようか? こいつら』
『え……』
『埋めちゃおうか。こいつらのせいで君の毎日くだらなくなってるんでしょう。埋めちゃおうか、思い切って』
笑顔がほんとうに可愛くて、彼女が本気なのかどうかがまったくわからない。
しばらくその顔を見つめながら考えた後、拓己は答えを絞り出した。
『そんなことしない。こいつらがくだらないってことと、自分がくだらない人間になるかどうかは、全然別の問題だから』
誰かのせいなんかじゃない、自分自身の問題だから。
『……』
そこらの枝で落とし穴の連中をつっついていた彼女は笑って立ち上がった。飽きたようにぽいっと枝を投げ捨てて拓己の手を取る。
『浜に行こうよ』
『え、でも』
『早く早く』
そのままぐいぐいと手を引かれ、拓己は境内の参道を下りていった……。
「ちょっと待て」
そこまで聞いて、正人が突っ込みの声をあげる。
「ほったらかしかよ、その連中」
「ほったらかしだったねえ……。まあ、わりかしすぐに発見されてさ、僕が犯人だって大騒ぎされて、怒った親に蔵に閉じ込められた。そしたらその夜、美登利さんが来てさ、蔵の窓から僕を引っ張り上げて助けてくれたんだけど、それでまた怒られてさ」
「むちゃくちゃだ」
「無茶苦茶さあ。でも、そのときもどうにかなったっていうか、最終的にはお互い悪かったねって感じで話がまとまってさ」
ブランコを軽く揺らしながら拓己は冬の木立を見上げる。
「美登利さんのやることっていつもそう。めちゃくちゃにかき回して引っ掻き回されて、かと思ったら、案外落ち着くところにうまく落ち着いてたりする」
「偶然だろ」
「かもしれないけど、そのへんの加減というか、ここまではやっても大丈夫、みたいな線引きっていうか。そういうバランスがすごいと思うんだ。だから近くにいるのをやめられない」
拓己は笑って、だけどすぐに表情を陰らせた。
「でも僕時々思うんだ。美登利さんはそうやって、いつもギリギリのところにいるんじゃないかって。わからないけど、ギリギリのところで踏ん張ってるんじゃないかって」
その危うさこそが、彼女の最大の魅力なのではないか。
「なんのことだよ」
抽象的な話をまったく理解できない様子で正人が顔をしかめる。
「わかんなくていいんだよ。池崎はさ」
吐き出すように言って拓己は立ち上がる。
「で、そのときいろいろわかって。お互いの名前とか美登利さんがいっこ上なこととか。青陵の話を聞いて、どうしても行きたくなったんだ。中等部は寮がないから諦めてたけど、ここよりもう少し学校に近い親戚の家から通わせてもらうことができて、嬉しかったなあ。本当に良かったよ。今じゃ片瀬や池崎と友だちになって須藤や小暮とも知り合えて」
ね? と拓己に笑いかけられて正人も素直な気持ちで「そうだな」と頷く。
参道の階段で立ち止まり拓己は海を見下ろす。
「くだらない町なんて思って悪かったなって思ってるんだ。だってやっぱり、ふるさとだものね」
そのときだけは正人も自分の故郷を思って、少しだけ切なくなった。
そうやってすごすうちに大晦日がやってきて拓己の家は親戚を迎える準備で忙しいようだった。
「ごめんなさいね。落ち着かなくて」
拓己の母親が言ってくれるのに正人はふるふると首をふる。
拓己の妹や弟たちの相手をしながらカラオケ機器の配線を手伝っていた正人は、懐かしいものを見つけてしまった。
とある演歌のカセットテープ。中川美登利に山茶花と聞いたときに思い出したあの曲だ。
曽祖母がよく口ずさんでいて正人も一緒に歌ったりしていたが歌詞がまるで思い出せない。
興味を引かれて歌詞カードを読んでみる。凍りついた。めちゃくちゃ不倫の歌だ。大人になって知る衝撃である。
丁寧に歌詞カードを戻していると拓己が来て言った。
「ごめんよ。思ってたより親戚が集まるみたいでさ、かなり騒がしくなるかも」
「いいよ、おれんちもこんな感じだし慣れてる」
「うーん……」
しばらく考えて拓己は正人を誘い出した。翡翠荘に向かう。
「あ、もうお客さんがいる時間か」
つぶやいて脇の木戸の方へ回った拓己は慣れた様子で中に入った。
裏庭を横切って広縁と濡れ縁のある小さな内庭に入る。
「淳史さん、いないかな」
濡れ縁から身を乗り出して拓己は廊下を覗き込む。
「拓己くん?」
ちょうど美登利が出てきてくれて拓己はほっとする。
「今日は着物なんですね」
「常連さんが来るからね」
紺色の着物に赤い帯といかにも仲居さんスタイルな美登利が縁側に出てきた。こうして着物を着ていると彼女の姿勢の良さや所作が際立つ。
「どうしたの?」
「今夜ぼくたちのこと泊めてもらえないかと思って。寝るだけでいいんで」
「ああ、それは大丈夫だと思うけど。おーい、淳史くん」
「んー、聞こえてたよ」
襖の一つが開いて二十代前半の青年が顔を出した。
「いいよ、ふたりともおいで」
「ありがとうございます。これ、池崎です」
会釈する正人に彼は軽く手を振った。
「よろしく」
「じゃあ、今夜お願いします」
戻る途中、拓己が教えてくれた。
「さっきのが淳史さん、美登利さんのいとこ。すごくいい人だよ。淳史さんの部屋二間続きで広いから時々こうやって泊めてもらうんだ」
そうして夜になってから再びふたりは淳史のところを訪ねた。
「やっぱりいないよね。あがらせてもらってよう」
縁側で靴を脱ぎ、昼間淳史が顔を出した部屋に入らせてもらう。
八畳間の壁際に小さな机が一つと本棚がひとつ。畳の真ん中にはこたつ、テレビはつけっぱなしになっていた。
「テレビ見て待ってろってことだと思う」
こたつに入ってチャンネルをあれこれ回していたら淳史が戻ってきた。
「ああ、来たかい」
ちょっと休憩、と法被を着たままこたつに入る。
「もうすぐ今年も終わるなあ」
「そうですねえ」
「君たち高一だっけ?」
「はい」
「いいなあ。若いなあ。戻りたいなあ」
ぐでっとこたつの天板に顎を載せて目を閉じる淳史に拓己が訊いた。
「淳史さん、写真ないですか?」
「写真?」
「美登利さんの小さい頃の。前も訊いたじゃないですか」
「ああ、うん」
目を開けて淳史は顎をかく。
「写真を撮る習慣がそもそもないからな。カメラだってないっていうのに」
「昔もですか」
食い下がる拓己に根負けしたように淳史はうーん、と考える。
「もしかしたら、だけど。本棚探してみてよ。昔昔のチラシが出てくるかもしれない」
「チラシ?」
「観光組合で新しい写真館がオープンしたときモデルを頼まれたんだ。すごく可愛く撮れてたから捨ててはないと思うんだよなあ。まあ、探してみなよ」
言って淳史は仕事に戻っていった。
「だってさ、池崎」
「こん中からチラシ一枚捜すのかよ」
「美登利さんの弱点見つかるかも」
「……」
一冊一冊、本や薄い冊子類を抜き取りながらふたりはチラシを探した。
「これじゃない?」
思ったより早くに拓己がそれを見とがめた。
A4サイズのカラーチラシ。きちんとクリアファイルに入れてある。無色透明だからそのままチラシの内容を見ることができた。
ウェディングドレス風な白いドレスを着た小さな女の子と、モールの付いた将校さん風な詰襟を着た少年が一緒に写っていた。
「かわいい」
女の子の方は今より面差しが格段に穏やかな中川美登利だとわかる。三歳くらいだろうか。あどけない笑顔、まさしく天使。
少年の方は……
「これ、一ノ瀬さんかな」
拓己はそう言ったが、正人は澤村祐也かと思った。
しかしどちらにしても年齢が合わない。どう見ても美登利よりずっと年上だ。
「ということは」
考えられるのは、中川巽。
「おまえ見てわかんないのかよ」
「まともに話したことないからなぁ。いつも遠目にしか」
美形なのは同じだがあまり似ていない。茶色がかった柔らかそうな髪に茶色の瞳。中川巽は柔和なイメージの少年だ。
やっぱり澤村祐也に似ている。思っていたら淳史が戻ってきた。
「お、見つけたの。それそれ」
仕事は終わったのか法被を脱いでワイシャツのボタンをはずしながら淳史はこたつに座った。
「これ、巽さんですか?」
「そうだよ。兄妹でぜひって、コンセプトは七五三だったんだけど結婚式な感じになっちゃって、それも可愛いねって」
話しているうちに思い出してきたのか淳史は段々饒舌になってきた。
「そうだ、そうだ。この後ちょっとした騒ぎになってさ、いろんな人の目に留まっちゃってスカウトみたいなのがたくさん来て」
「へえー」
「中川さんはそういうの一切許さない人だから金輪際こんなことはやめてくれって怒っちゃってさ。気持ちわかるけどね、子どもがこれだけ目立つんじゃ心配というかなんというか」
籠からみかんを取って皮をむきながら淳史は続ける。
「さいわい巽くんもみどちゃんも賢いからさ、身の処し方っていうのが上手いからその後騒ぎもなくなったけど。美形に生まれたら生まれたで苦労があるんだね」
「あんまり似てないっすよね」
「ん? そうかな。まあ、写真で見たらそうかもね。顔のつくり自体は巽くんはお母さん似だしみどちゃんは親父さん似だし。でもやっぱりふたり一緒にいるとこ見たらさ、兄妹だなってわかるよ。空気感というか雰囲気というか」
みかんを口に入れた淳史はすっぱかったのか軽く眉を寄せ、そのままの表情で拓己と正人に注意した。
「これ見たことみどちゃんには黙ってた方がいいよ。僕が飾っておいたの見つけて怒られたことがあるから。だから適当にしまいこんじゃったんだよ」
「なんで怒るんですかね?」
「さあねえ、恥ずかしいって言ってたけど」
それから後は年末の番組を見ながら話をしていてそのまま眠ってしまったらしい。くしゅんとくしゃみをした自分に驚いて目が覚める。
ぼんやりと目を開けると中川美登利がこたつに座って正人を見ていた。
「大丈夫?」
「……」
自分がどこにいるかを思い出すまで時間がかかった。
「何時? 年明けた?」
「もう明け方の四時だよ。初詣行くかと思って来たんだけど」
話していたら仕切りの襖を開けて拓己が顔を出した。
「あけましておめでとうございます」
「おめでとう」
「おめでとう。なんで自分だけ布団で寝てんだよ」
「池崎言っても起きなかったんだよ、運んでやるほど親切じゃないし」
ふふっと笑って美登利が誘う。
「初詣行く? ご来光にはまだ早いけど」
「行きます」
「淳史くんは寝かせとけばいいよ」
まだ暗い道をライトを照らしながら歩いた。
中途半端な時間だからか神社には人気がなかった。
賽銭を入れて鈴を鳴らし柏手を打つ。
正人と拓己が参拝を終えても美登利は長いこと手を合わせていた。その姿を見ながら思う。
まだ出会ってから一年も経っていない。なのに随分といろんな目に合わされて、いろんな気持ちにさせられて、こうして一緒にいる。なんだか不思議だ。
「今年もよろしく」
拓己が言う。
「よろしく」
新しい年が始まった。




