Episode 13 鳥のようにうたう
*登場人物
・池崎正人
新入生。偏った遅刻癖で問題児となるが、持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。様々な人間関係にもまれて成長していくが。
・中川美登利
中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。並々ならないこだわりを学校に持ち、そのために周囲を振り回す。
・一ノ瀬誠
生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。
・綾小路高次
風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?
・澤村祐也
文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。
・森村拓己
正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。
・小暮綾香
正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。恋愛に積極的で入学早々に「開校始まって以来のプレイボーイ」佐伯裕二と付き合うが。
・須藤恵
綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。
・宮前仁
美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。
現生徒会会長一ノ瀬誠の圧勝でもって選挙が終わったその日の放課後、澤村祐也は音楽室のグランドピアノの脚下で蹲っている中川美登利を見つけた。
「みどちゃん」
「すごい顔してるよね、私」
震える手で顔を覆って低い声で言う。
「そんなことない。みどちゃんはいつもかわいい」
澤村は微笑って椅子に座る。
「子どもの頃となにも変わらない」
静かに曲を弾き始める。
子どもの頃、自分はなにも取り柄がないと思っていた彼は、仲間の輪に入るのも怖くて音楽室に隠れ、唯一弾けるピアノを弾いていた。
ある日、気がついたら窓の外から頬杖をついた女の子が自分の演奏を聴いていた。目が合うとにこりと笑って褒めてくれた。
『きれいな音だねえ。天国から聞こえてくる音楽みたいだよ』
身を乗り出してそう言った彼女の方が、空からの光を受けて、まるで今そこに降りてきた天使みたいで。
あのときから世界が変わった。君がいてくれたなら、なんだってできる、なんだってやれる。
芸術館から響いてくるピアノの音を中央委員会の一年生三人組も体育館の片づけを手伝いながら聞いていた。
「この曲クラシックじゃないね」
「イーグルスのデスペラード」
片瀬がすぐに答える。
「歌詞がいいよな。フェンスを下りて門を開けなよって」
ふうん、と気のない返事をして拓己が小さくつぶやいた。
「怖かったね、美登利さん」
「終わったんだから良かったよ」
やっぱり片瀬がいつもの調子で言うから拓己は思わず笑う。
「おまえって大物」
池崎正人は黙って体を動かしながら中川美登利の顔を思い出す。感情を焼き切ったような冷たい美貌。
選挙運動期間の一週間、三大巨頭は皆が皆、似たような固く冷たい表情で他を寄せ付けなくなった。軽口をまったく叩かなくなり終始無言で己の仕事にのみ集中する。
例外といえば例外なのが一ノ瀬誠で、立候補者として表だって演説を行い支持を訴えるのだから当たり前だ。
だが、行き合う生徒たちに笑顔で対応していた誠が彼らに背中を向けた瞬間薄皮を落とすように表情を変えるのを目撃したとき、どっちがこの人の本当の顔なのだろうかと正人は怖くなった。
それでなくともこの期間の一ノ瀬誠は精力的で、他の候補者の誰よりも演説の回数をこなした。
普段のあれは省エネモードでどこかに蓄電しているのかもしれない、本多崇と拓己がこそこそ話しているのが聞こえたがとても笑える気になれなかった。
公約担当の綾小路は二度行われる討論会に向け、広く浅く抽象的、かつその場でいくらでも解釈を取り換えられる公約作りに余念がなかった。
一方で他陣営のそれに対しては針の穴をつくように、どんな些細な矛盾や詐称も見逃さずにすかさず攻撃する。日々変化する情勢を網羅しようとフル回転の状態だった。
そして、表の対策員が綾小路であるなら中川美登利は裏の対策員だった。
まさに暗躍、すなわち情報戦。今回最大の対立候補は現広報委員会委員長、向こうも情報のプロだ。
早い段階から工作員を総動員して印象操作を行っていたことは明白、のみならず一ノ瀬陣営を攻撃する怪文書がばらまかれた。これもまた出所は明白。
「やり方が卑怯だ」
しつこく立て続けにまかれる怪文書に本気で怒った正人だったが、
「この半分はこっちがまいたものだよ、自作自演」
拓己に教えられて心底ぞっとした。
そんなことは知らない生徒たちから見れば広報委員会側はしつこい陰湿な悪者に映る。あちらも事実無根なわけではないから弁明するにも微妙な立場になる。
「言っただろう。美登利さんはとっても怖いって」
これによって動揺した相手陣営へ美登利が次に打った手は候補者本人への誹謗中傷、完全な人格批判である。
これは相手のイメージを徹底的に地に落とすためのものであるから根拠のないもっともらしい噂で十分だ。
怪文書には怪文書を。誹謗中傷にはこちらも誹謗中傷を。機先を制するつもりで情報戦を仕掛けてきたのだろうがダメージを受けたのはむしろ向こう側だった。
更に決定打を打つためにスパイが仕立て上げられた。本当のスパイである必要はない。陣営内の不満分子が不穏な行動を見せる。それだけで裏切りの不安と疑心暗鬼にかられた対立候補陣営は敢え無く崩壊。この後の消耗戦をすら戦い抜く余力がないことは誰の眼にも明らかだった。
ここで広報委員長は白旗を上げておくべきだった。にもかかわらず錯乱した彼はとんでもない行動に出た。わざわざ初代会長中川巽の名前を出して三大巨頭をあげつらったのである。
これが中川美登利を激怒させ、彼は容赦のない個人攻撃を受けることとなる。
直接的な精神攻撃。あの氷の美貌で蔑みの眼差しを投げられ、侮蔑と嘲りを囁かれ貶められた彼は、再起不能に追い込まれ戦線離脱。投票日前日の討論会に姿を現すこともできなかった。
最大対立候補への徹底した攻撃を目の当たりにした他の候補者たちも戦意を喪失し、敵はもう誰もいなかった。
完全勝利。誰の顔にも笑顔はなかった。ただはっきりしたのは三大巨頭による支配の拡大、それが決定づけられたということ。
「あと一年……」
そろそろと顔を覆っていた手を下ろして美登利はつぶやく。
「あと一年しかない」
「大丈夫だよ。必ず、君が望んだようになる」
「……」
氷が溶けるように涙があふれてくる。膝の上で両の手を拳に握って彼女は空を見上げる。
すべてを手に入れて、すべてを失うための、あと一年。
* * *
「冬はやっぱりこたつでみかんだね」
「うん」
「おまえらヒトんちでくつろぎすぎ」
「だってうちこたつないし」
「うちも」
「こたつはやっぱり宮前家だよね」
ぬくぬくと背中を丸める美登利と誠に宮前母が優しく呼びかける。
「ごはん食べてってね。幸絵さんが持たせてくれたお菓子いただきましょうか。みかんもっと持ってくるね」
「おばさん、ありがとう」
「おかまいなく」
つくづくこの幼馴染ふたりに母は甘い。息子にはものすごい口を利く癖に。それは不良の親分などやっていれば仕方がないが。
テレビをつけると夕方の情報番組はクリスマスのイベントやレストランの特集ばかりやっていた。
「けっ。っとにこの時期は気分が萎えるわ」
「あんたにもそういう感覚あるわけ」
「そら、可愛い子と遊びに行きたいさ、たまには」
「よりどりみどりでしょうに、総長さん」
「オレの目にかなう子がいないのよ」
「贅沢だねぇ、何様?」
「おまえが言うな」
誰のせいだと思ってる。口から出そうになった言葉を慌てて飲み込む。
向かいから誠がこっちを見ている。
(睨むなよ)
本当にこの幼馴染はめんどくさい。
「おまえら休みいつからだよ」
「二十二日が終業式」
「ああ。じゃあその午後、澤村のクリスマスコンサートか」
「だね」
「夜タクマさんとこ集まるか?」
「私パス。次の日あさイチで出るから」
「バイト? 行くのクリスマスすぎてからだったじゃん」
誠が皮を剥いたみかんを横から取りながら美登利はため息をつく。
「今年はさー、二十三日から予約でいっぱいだって。最近のカップルはクリスマスに温泉宿に泊まるんだね」
「気ぃ使うもんなのか?」
誠が皮を剥いたみかんを取って宮前が訊く。
「気を使わないように気を使いつつ、気を回すってかんじ? ちなみにそれができないのが淳史くん」
「あー、あの人そんなタイプ」
「で、夕飯のときにクリスマスケーキを頼まれちゃったりするわけよ。お客に急に言われたりしたらケーキ屋巡りで大騒ぎだよ」
美登利がまたみかんを取る。
「そのうち厨房でケーキ焼け、とか伯母さんが言い出しそうで怖い」
宮前もみかんを取る。
「旅館経営も大変だなあ」
ふたりでみかんを食べ続けていたら、怒った誠にべしっと皮を投げつけられた。
二学期最後の日はやっぱり学校全体が浮足立っているようで、
「眠い」
いつもと変わらない態度の正人がいらぬ反感を買わずにすんだことを当の本人は知らない。
帰り道、河原の芝生の東屋で拓己と綾香と恵が正人を待ち伏せしていた。
「帰り道反対だろ」
「待ってたんだよ。クリスマスの話したくて」
「学校じゃ、話しにくくてさ。時間もなかったし」
「いいけど」
座って輪の中に入りながら正人はあくびをする。
「寒いから早く決めよう」
三人は情報誌をめくりながら話し始める。正人は黙ってそれを聞いていた。
「寒いなあ」
公園前でバスを降りて美登利は白い息を吐き出す。辺りはもう暗いから余計に寒々しい。
「宮前と一緒に行けばよかったのに」
「いや、疲れた」
誠は短く答える。バス停からすぐの角がふたりの別れる場所だ。
「良いお年を、だね」
「うん」
頷いて誠は小さな包みを取り出す。
「プレゼント」
赤と緑の小さなリボンがついている。
「ありがとう」
開けてみる。
蝶のかんざしだ。アクリルの光沢で青にも緑にも紫色にも見える大きな羽。
「きれいだね。大事にする」
包みをしまって彼女は泣き笑いのような表情を見せた。
「お返しがないから、キスしてあげようか」
「うん」
むしろそれが欲しかった。
身を屈める彼の頬に彼女の冷たい指が触れた。




