Episode01 池崎正人の受難
*登場人物
・池崎正人
新入生。偏った遅刻癖で問題児となるが、持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。様々な人間関係にもまれて成長していくが。
・中川美登利
中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。並々ならないこだわりを学校に持ち、そのために周囲を振り回す。
・一ノ瀬誠
生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。
・綾小路高次
風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?
・坂野今日子
中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。洞察力に長け、容赦なく相手を攻撃したりもする。
・船岡和美
中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。明るい性格だが、今日子と同じく洞察力にすぐれるゆえ人間関係に疑問を持つこともある。
・森村拓己
正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。
・片瀬修一
正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。
春うららかな日差しの中、桜の花びらが舞い降りる。どこまでも広がる蒼穹の下、ひらひらと、ひたすらうららかに。
まさに入学式日和。で、あるのに、それなのに。
(なにやってんだろう。おれ)
無情に閉ざされた校門の前で、池崎正人は一瞬だけ途方に暮れる。
思案したのは一瞬。やはりこのまま逃げ出すわけにもいかない。
校門は登れそうになかったので、正人はぐるりと敷地の裏側へと進路を取った。建物の脇に回ったところで、ここはというポイントを見つけた。こういうことに関して正人はとても鼻が利く。
塀をよじ登り身軽に飛び下りる。入学に合わせて母親が新調してくれた革靴の底がじんと痛み、正人はやれやれとため息をついた。
(ほんとに、おれ……)
「なにやってるの?」
まさに今、自分が思ったことを言葉にされて、正人はぎくりと声がしたほうを振り返る。
「なにしてるの? 君」
髪の長い女子生徒が立っていた。
とっさのことに言葉を詰まらせている正人を数秒眺めやり、彼女はくるりと踵を返してさらりと言った。
「池崎正人くんでしょ? ついてきて」
返事を待たずにすたすた歩きだす。慌てて後を追いながら、正人は疑問を素直に口にした。
「なんでおれの名前……」
「新入生でまだ来ていないのは君だけだから」
体育館らしき建物と校舎の間の細い路地へと入り込んだところで、彼女はちらりと正人を振り返った。
「入学式に遅刻だなんて、いい度胸だね」
「ただの寝坊に度胸は関係ねえだろ」
条件反射でかみつき返す。
「……」
彼女がすうっと、瞳を眇める。正人ははっとしたが時既に遅し。
どう見ても上級生を相手に、入学早々まずかっただろうか。いや、それ以上に。この女子生徒からなんだかよくわからない威圧感のようなもの、を感じてしまい、正人は固まったままそのキツイ一瞥を真っ向から受け止めた。ここで怯んだりできないところが正人の長所であり短所でもある。
「それもそうだね。失礼な言い方してごめんなさい」
予想に反してあっさりと、彼女の方が引いてくれた。体育館脇の路地をすたすたとすり抜けて行く。どうやらそちらが正面側だったらしい。
既に式が始まって閉ざされている玄関の脇で、数人の生徒が机や段ボール箱の片づけをしていた。
「来たよ、池崎正人くん」
「いたのか」
クリップボードを持った銀縁メガネの男子生徒が正人に徽章リボンを差し出した。
「付けて。早く」
正人がもたついていると、ここまで連れてきてくれた髪の長い女子生徒が制服の左胸にその徽章を付けてくれた。
「君は一年一組だよ。席は一番左端の列で来賓席の真ん前」
きゅっと徽章の向きを整えてから、彼女はにんまり微笑んで正人の背を押し出した。
「目立っちゃうね。ご愁傷様」
観音開きの扉を少し開けながら、銀縁メガネの男子生徒が厳しい面持ちで「早く行け」と正人に向って目配せした。
青陵学院は、中等部と高等部を擁する私立の進学校である。創立されてから十年足らずと歴史はまだ浅い。この地域の古くからの名門校である西城学園と『西の西城・東の青陵』と並び称される所以だ。
並外れた進学率とそこそこの実績で地域の衆目を集めているが、その神髄は極めて高い生徒たちの自治力にある。「克己復礼」を教育理念に掲げ、「清く正しく美しく」をモットーに自立心あふれる生徒たちが傍若無人に活躍する。大いなる可能性にあふれる…………要するに、異彩を放つ学校なのである。
『ただいまより、生徒会入会式を執り行います。一年生は速やかに体育館にお集まりください。繰り返します。ただいまより……』
アナウンスを聞くともなしに聞きながら、池崎正人は人の流れに沿って体育館へと移動していた。その間にも何度も何度もあくびをかみ殺す。
入学式の翌日。昨日の今日だから、今朝は死ぬ気で早起きした。おかげで昼下がりの今は眠くて眠くて仕方ない。
(帰りたい)
生徒会入会式とやらの後には部活紹介が続くらしい。体育館に入ったところで我慢できずに特大のあくびがひとつ。涙まで出てきてしまう。
「おい、三大巨頭だ」
正人の前を歩いていた男子生徒たちが囁き合っていた。
「すっげー迫力」
彼らの目線の先、舞台の端に昨日の髪の長い女子生徒と銀縁メガネの男子生徒がいた。それと知らない男子生徒がもう一人。
三大巨頭って? 訊いてみようかと思ったが。
「池崎」
後ろから肩を叩かれ、できなかった。振り返ると、見覚えがあるが名前がわからない顔がふたつ。
「えーと……」
「森村だよ。寮生の。こっちの片瀬は池崎とクラス一緒だよね」
片瀬と呼ばれたほうが頷いているのでそうなのだろう。正人はよく覚えていない。
「一緒に座ろうよ。席自由なんだよね」
空いている座席へ向かいながら、なんとなく舞台の上に目線をやると、
「……」
目が合った。彼女と。笑った気がした。一瞬。
すぐに彼女は視線を反らして舞台の袖へと引っ込んでいった。
狐に睨まれたうさぎの気分。正人の野生の勘が警鐘を鳴らす。
「池崎、美登利さんと知り合い?」
目ざとくも今のやりとりに気がついたらしい森村が尋ねてくる。
「美登利さん?」
「中川美登利さん。あの髪の長いきれいな人」
「ああ、昨日、少し話しただけ」
ふーん、と森村はまだ話したそうな様子を見せたが、式の始まりを告げるアナウンスが流れてきたのでそのまま押し黙った。
「池崎、池崎」
肩をゆすると正人はようやく頭を起こした。生徒会入会式の始まりから部活紹介の最後まで、ずっと寝入っていたのである。森村拓己は呆れ気味に正人の肩から手を離した。
「もうみんな移動してるよ」
「んー」
伸びをしながら辺りを見渡し、正人は「悪い、悪い」とぼそぼそつぶやいた。
「部活の見学どうする?」
「帰ったらダメなのか?」
「終礼やってないからね、まだ。それまで見学の時間なんだよね?」
「そうだな」
言葉少なに片瀬が応じる。
「おれ、教室で寝てるわ。部活も委員会もやるつもりないし」
ばいばい、と手を振る正人をやはり呆れて見送るしかない。
「あんな奴のこと、どうして美登利さんが気にしてたんだろう」
「昨日遅刻してきたの、インパクトでかかったからな」
「あー」
確かに、と拓己はやはり頷くしかない。
「ぼくは中央委員会室に行くけど片瀬はどうする?」
「行く」
「品良く小粒に揃ってますって感じ? 今年の一年」
「上手いこと言いますね」
船岡和美の言葉にぷっと吹き出しながら坂野今日子がお茶を差し出す。
受け取りながら中川美登利は眉をひそめた。
「品良くまとまりすぎてても考えもの」
「しっかりはみ出してる子がいただろう?」
こちらもお茶を受け取りながら、生徒会長の一ノ瀬誠がのたもうた。
「ああ。一組の池崎正人」
「あの子ずうーっと居眠りしてたね! あたし放送室から見てて笑っちゃったよ」
船岡和美がぺしぺしと机を叩いて喜ぶ。
「もう、すっごい度胸」
「居眠りに度胸は関係ないって言いそうだよ、彼」
湯呑のふちを指でなぞりながら美登利がくすくす笑う。
「あれ? 美登利さん、ツボってる?」
「うーん、そうかも」
「ジェラシーだな、それは」
言うだけ言って船岡和美は立ち上がった。
「あたし部活のほう行こうっと」
和美が勢いよく中央委員会室を飛び出すのと入れ違いに、風紀委員長の綾小路がやって来た。
「一年生の名簿だ。先にこっちでピックアップさせてもらった。残りは好きにしてくれ」
「ん」
差し出された名簿を受け取ってページを繰りながらも、美登利はあまり気が向かない様子だ。
「うちは有志の子が入ってくれればそれでいいかな」
「池崎少年は?」
のんびりと誠が言うのに綾小路の瞳が吊り上がる。
「彼を入れるのか?」
「うーん」
「まあ、おまえさんの好きにすればいいが」
坂野今日子がお茶を淹れようとするのを制して綾小路が出ていく。
入れ違いに、今度はおそるおそる森村拓己が顔を出した。
「あのー」
「拓己くん。いらっしゃい」
ぺこりとお辞儀をして森村拓己は片瀬と並んで美登利の向かいに座った。
「こっちは一組の片瀬です。中等部からの内進組で……」
「知ってるよ。片瀬修一くん。入学試験の成績すごく良かったね」
「ありがとうございます」
「ふたりともうちに入ってくれるの?」
「もちろんです」
「はい」
「どうもありがとう」
満面の笑みを浮かべる美登利の横から坂野今日子が名簿とボールペンを差し出した。
翌日から風紀委員会による朝の登校チェックが本格的に始まった。
時間ぎりぎりに校門をすり抜けた池崎正人は、風紀委員の輪の中に銀縁メガネの男子生徒を見つける。委員長と呼びかけられている。
通常授業が始まり、五月の体育祭に向けクラスでの話し合いまで行われるようになる。
高校というところは滅茶苦茶に慌しい。正人の緊張の糸がぷつりと切れた。
「一週間だぞ! 一週間! 毎日!」
かつてないほど綾小路が怒っている。
「一週間遅刻続きの新入生など前代未聞だ!」
「まあまあ、落ち着こうよ」
のんびりと茶をすすっている一ノ瀬誠をぎろりと睨み、ふーっと肩で息をついて綾小路は自分も一口お茶を飲んだ。トーンダウンしつつも苦々しく吐き出す。
「寮長に厳重注意するべきでは?」
「でもさ、それだと大事になりすぎじゃない? 体育祭の準備も始まって忙しいところ余計な仕事を増やすのもさ」
美登利がおとがいをかいて反論する。
「それならどうするんだ! このままでいいわけがなかろう。俺は許さんぞ」
「うーん」
「こんにちはー」
タイミングよく森村拓己がやって来た。美登利はちょいちょいと拓己を手招きする。
「拓己くんさ、池崎くんのことだけど……」
わかってます、という顔で拓己は肩をすぼめた。
「すみません、美登利さん。今日こそはって頑張ってみたけど、あいつなにをやっても全然ダメで」
「全然ダメ?」
「ダメですね。まったく起きないです。柔道部の先輩が窓から放り投げてやるか、なんて言ったけどほんとにやるわけにもいかないし。目覚ましだって五個も使ってるのに」
「まったくダメかあ」
「そりゃ困ったね」
ははははは、と笑い合う美登利と誠を綾小路がものすごい目で睨む。
「……あー、とにかく、ね。放課後にでも連れてきて。池崎くんをここに」
「美登利さんがお話するんですか?」
「うん。お話しましょう。私が」
にこっと美登利が微笑んだ。
「池崎」
帰り支度をしていたところを呼び止められて、池崎正人は眠そうに顔を上げる。心持固い表情をした森村拓己が立っていた。
「一緒にきてくれる?」
「どこに?」
「美登利さんが呼んでる」
「美登利さん?」
「中央委員会委員長の、中川美登利さん」
「なんで?」
「なんでって……」
わかってるでしょ、という顔をされたが正人にはわからない。
「遅刻の件で呼び出されるなら風紀委員にだろ。だいたいなんだよ、中央委員会って」
ああ、と拓己はため息をつく。
「池崎は説明、なにも聞いてなかったもんね。噂もなにも知らないだろうし」
歩きながら教えてあげる、促されて正人はしぶしぶ拓己の後をついて行く。
「中央委員会っていうのは、専門委員会のひとつだけど実質生徒会の直属部署と思っていいよ。生徒会の補佐をしたり何か問題があったときには中央委員会が駆り出される。だから他の委員会みたいに定員はないし、誰が所属してるのかもよくわからなかったりする。……池崎のことは、もう風紀委員会の手に負えないって判断されたんだろう」
何度も注意はされてただろ、と拓己の声は少し冷ややかだ。
そういえば、と正人は疑問に思っていたことを尋ねる。
「三大巨頭ってなんだ?」
「生徒会長の一ノ瀬さん。風紀委員長の綾小路さん。それと美登利さんの三人のことだよ」
「二年生だよな、あの人たち」
「そうだよ。二年生にしてこの学校のトップ。それが三大巨頭」
中央委員会室の前にたどり着いていた。
いつも油を売っている生徒会長も、今はここにいなかった。
片隅でパソコンに向かっている女子生徒がひとり。あとは中川美登利と正人のふたり。
「呼び出してごめんね」
座る? と聞かれたが正人は首を横に振った。
美登利も腰かけずに窓の桟に軽くもたれかかった姿勢のまま話を始めた。
「どうにかならないかな? 君の遅刻癖」
「どうにかできるなら、とっくにそうしてる」
「そうだよね。不可抗力だものね」
「……」
「だけどそれじゃあすまないこともわかるよね?」
「停学とか……」
「まさか。たかが遅刻でそこまではならない。でも、前例のないことだから、どうしようかなあと」
反応に困る正人を見て、美登利は微笑む。
「だから私は考えた。池崎くん、あなた中央委員会に入りなさい」
「は!?」
目を剝いて正人は怒鳴った。
「なんでそうなるんだ!」
「だって、自分じゃどうにもできないんでしょう? それなら私の手下になってもらおうと思って」
すっと体を起こし、仁王立ちになりながら美登利は今なお微笑む。
「私の下に入るのなら、なにがなんでもしっかりしてもらう。それが私の手足としての最低限だから」
それこそ、窓から投げ捨てようとも。
「どんな手を使っても従ってもらう」
言ってることが滅茶苦茶だ。だけど、得体の知れない迫力に気圧されて、正人はもはやなにも言えない。
「それが嫌なら、一人でもできるところを見せてちょうだい」
どうしたら、笑顔でこんな威圧感が出せるのだろうか。不思議なほどに、その微笑みはあくまで優しく優しく……。
「自発的に努力するのか、無理やりまわりに動かしてもらうのか。どっちを選ぶ?」
「自分で頑張ります」
「よろしい。それじゃあ、明日から頑張って」
最後の気力を振り絞ってぺこりと頭を下げた正人に、ついでのように言葉がかかる。
「自発的にうちに入りたくなったらいつでも言って」
「それはない!」
なけなしのプライド。
「失礼しました!」
命からがら逃れ出てきた正人のことを、廊下で拓己が待っていた。
「大丈夫かー、池崎」
「なんかわからないけど、あの女こえええー」
「ああ、うん……」
ふっと遠い眼差しになって拓己は同意する。
「美登利さんて、とっても怖いひとだから。でも逆らったりしなければ、とってもとっても優しいよ」
「それ、フォローじゃないよな」
「よかったんですか?」
お茶を淹れながら坂野今日子が美登利に問う。
「あの子のこと、欲しいんですよね?」
「まあ、それはまた後のことかな。このままだと綾小路が憤死しそうだからさ」
「誰がだ、誰が」
突っ込みながら綾小路が入ってくる。一ノ瀬誠も後に続いてきた。
「坂野くん、これ入力頼めるか? 今日中にプリントして各部署に回してほしい」
「了解です」
「それと運動部の連中への注意文だな。体育祭直後に集中して一年生への勧誘行動が過激化しないよう……」
今日子が忙しくなったのでふたりのお茶は美登利が淹れてやる。一口すするなり「まずいよ」と文句を言った誠に容赦のないデコピンが炸裂した。おでこをさすりながら誠は文庫本を取り出して読み始めた。
「文化祭に関しても、講堂の使用条件については早めに説明しておかないと、先走った連中がやかましくなるからな」
ようやく腰を下ろした綾小路がじろりと美登利を見る。
「聞いてるのか?」
「うん……」
頬杖をついて美登利は上の空の様子だ。
「実はさ、引っかかってたんだけど。池崎正人って、どっかで聞いたような名前」
「実は俺も思ってた」
湯呑を置いて、綾小路が顎に指をあてる。はて? と首を傾げるふたりの横で一ノ瀬誠が事もなげに言った。
「生徒会長だろ。西城の、何代か前の」
ページを繰りながらさらりと続ける。
「池崎勇人。普通に考えて兄弟だろうな」
「なんでそれ、早く言わないの」
「え、だって、聞かれなかったし。わかってるのかと」
横眼にふたりの顔を見て誠は棒読みに言う。
「ゴメンネ?」
(むかつくっ)
思ったことは同じだったが負けを認めることになるのでふたりはそれ以上突っ込まない。
「四年前になるのかな、巽さんと同級なはずだから」
「あー」
思わず美登利は頭に手をあてる。
「兄が西城で弟が青陵? 実家は山梨だよな、わざわざどうして」
「そんなことは知らないけれど」
「それもそうだな。他人の事情などここで話しても始まらない。俺は戻るぞ」
パソコンに向かっている今日子に声をかけてから綾小路は出ていった。
頭を抱えたまま黙り込んでいる美登利を誠が見る。
「なに考えてる?」
「私の悪い癖……」
「……」
文庫本に目を戻し、誠は小さく小さくつぶやいた。
「だから言いたくなかったんだよね」
誰にも聞こえないように。
翌日から、嘘のように池崎正人は遅刻をしなくなった。
「根性でどうにかなることだったんだなあ」
感嘆する拓己に舌打ちして正人はさっさと昇降口に向かう。
「帰るの? 暇なら手伝ってよ」
「やなこった」
学内は体育祭に向けフルスピードで慌しくなっていた。
「応援団の名簿できました!」
「広報委員会に持っていけ」
「プログラムの草案締め切ります」
「美術部に推敲させろ。備品のチェックは終わってるのか? 担当は?」
「綾の字ー!!」
中央委員会室で支持を飛ばす綾小路のもとに生徒会副会長の長倉が飛んできた。
「一ノ瀬がいない! どこに行った、あいつ」
「知るか」
言いつつ綾小路はそばにいた風紀委員の二人に捜索を手伝ってやるよう指示した。
「昼寝できそうな場所を重点的に捜せ」
「サンキュー」
少しほっとした様子で長倉が辺りを見渡す。
「中川がいないじゃないか」
「美登利さんならスカウトに行きました」
パソコンに向かったまま坂野今日子が淡々と応じる。
「超有望大型新人ですよ、わーい素敵」
棒読みに言いながら、キーボードを打つ指の速さがものスゴイ。
「坂野女史、なんか怒ってる?」
「美登利さんのお気に入りが増えちゃうからだよ」
ばしっと後ろから船岡和美が長倉の背中を叩く。
「やだなー。あたしも絶対いじめちゃう。その、池崎くん?」
「……どうでもいいから仕事をしてくれ」
「ほれ、放送部の進い表の草案」
ぼやく綾小路に和美はファイルを差し出した。
正門前の花壇の脇に、中川美登利が立っていた。正人を見つけて手招きする。
無視してやりたかったが無言の圧力がそれを許さない。
「遅刻ならしてないっすよ。あれから」
「うん。すごい、すごい。頑張ってるよね。だから今日は、いいものを見せてあげようと思って」
にこにこにこにこ。なんの悪意もない笑顔で美登利は後ろ手に持っていたそれを、正人の目の前に翳した。
「――――――!!」
鷲掴みに奪おうとした正人の手をひらりとかわし、再び後ろ手になりながら美登利は距離を取る。
「どうして、それ……どこで……」
驚きのあまり、うまく言葉が出てこない。
「それはナイショ」
くすりと笑って美登利は目を細める。
「それはもう、びっくりしたけどねえ、私も。まさかこれが……」
「わあああ!!」
下校途中の生徒たちが正人に注目する。
美登利がたっと走り出す。
正人は後を追いかけた。
人気のない校舎裏で美登利は改めて正人の目の前にそれを翳した。
一枚の写真。写っているのは三歳か四歳くらいの女の子だ。ピンク色のふわふわのドレスに、肩まで伸びた髪にはリボンの付いたカチューシャをしている。
「あんた、どこから、それを……」
「池崎正人くん」
びくっと心臓が跳ね上がる。
「これ、人に見られたくない?」
「う……」
「見られたくないんだよね」
「……っ」
正人はこれまで、どう転んでも理解し合えるとは思えない相手を黙殺することはあっても、取り立てて人を恨んだり呪ったりすることはなかった。しかしまさにこのとき。彼は肉親を、男の子の次は女の子が欲しかったという理由だけで幼かった自分に女の子の扮装をさせて喜んでいた母を、それを止めなかったばかりか正人の傷心を笑い話のタネにしている父を、そしてそんな過去の汚点の結晶というべき写真の数々を後生大事に抱え持っている兄を、心の底から憎いと思った。
「これ、黙っててほしいのなら、わかるよね?」
「あんた、自発的にって、言ってたじゃないか!」
「うん。だから、自発的に入ってくれるようにお願いしてるんだよ」
「…………」
ああ、狐に睨まれたうさぎの気分。正人の肩ががっくり落ちる。
勝利の微笑みを浮かべ、中川美登利が正人の手をがっちり握る。
「それじゃあ、さっそく来てもらうよ。体育祭の準備で忙しくって」
池崎正人の受難は今、始まったばかりである。