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「こちらです」
部屋の前まで案内してもらい、部屋の中に居たメイドに事情も説明してくださり、私はすぐに替えのドレスに着替えることができた。
ドレスに着替え終わった後、ようやく少し頭も冷静になり、部屋の外で待ってくれていたゾイス様に慌てて近付き、お礼を伝える。
「ゾイス様ありがとうございました。お陰ですぐに着替えることができました」
「それは良かったです。せっかくの夜会でドレスが汚れたままでは大変ですから」
にこやかにそう話すゾイス様の顔をまともに見られず、赤面しながら顔を俯かせてしまう。
……ただ、この後はどうしようかしら。
ゾイス様のスマートすぎる対応には本当に感謝の気持ちしかないけれど。
ドレスの汚れを口実に帰ろうとしていた身としてはこの後も特にすることはなく。
せっかく替えのドレスにも着替えたし、夜会のお開きまで待つべきなのかと悩んでしまう。
「どうかしましたか?」
「……あ、いえ。ただ……替えのドレスに着替えさせていただけたのは大変ありがたいんですが、そろそろ帰ろうかと考えていたところだったので、この後どうしようかと……」
変に誤魔化しても仕方ないかと思い、つい本音を話してしまう。
ゾイス様は不思議そうな顔をした後、私の話を聞いて「ああ」と頷いてから、
「それなら会場に戻って私と踊ってもらえませんか?」とにこやかに手を差し出してきた。
あまりの衝撃的な誘いに、今度こそ私の思考は停止してしまう。
え、今、ゾイス様は何て言ったのかしら。
『私と踊ってもらえませんか?』って言った……?
それとも私の聞き間違え……??
怒涛の思考の渦に呑まれ、何の反応もできずにいると、
「ローゼ王女殿下?大丈夫ですか?」
心配そうに私の顔を覗き込んでくるゾイス様に、慌てて何とか思考の渦から抜け出した。
「だ、だ、大丈夫です……!」
「それなら良いんですが…」
ほっとしたような表情を浮かべるゾイス様の姿にうっかりときめきそうになる。
でもすぐに自分の体型を思い出して、『いやないないない』と理性を取り戻す。
「それで、ローゼ王女殿下、どうでしょうか?」
「えっ……えーっと……私としてはお断りする理由なんてありませんが……ゾイス様は私で本当によろしいんですか……?」
「もちろんです。ローゼ王女殿下と踊りたいので」
笑顔でそう答えるゾイス様。
理性を取り戻したばかりだというのに止めてほしい。心臓に悪すぎる。
「……そ、それなら、よろしくお願いいたします」
差し出された手にそうっと自分の手を重ねた。
ゾイス様は「こちらこそよろしくお願いいたします」と言いながら、先程と同様のスマートさで会場まで私をエスコートしてくれた。
会場に戻ると、既にダンスは始まっていて、多くの人々が音楽に合わせて踊っている。
しかし、私達に気付いた人々は驚いたようにこちらを呆然と見つめてきた。
い、いたたまれない……!
男性陣は唖然とした様子で、女性陣も驚きつつも、悔しさを滲ませるような表情をしている方々が居て、思わずその方々から目を反らした。
緊張や人々の視線に慣れていなくて、ゾイス様の手を思わず離したくなってしまう。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、ゾイス様は私の手を掴む手にさらに力を入れ、腰に回している腕にも力を入れてぐっと引き寄せてきた。
私は驚いて声を上げそうになったけれど何とか堪えた。
「大丈夫ですよ。私に合わせていただければ」
「は、はい…」
ゾイス様はにこやかな表情で、優しく囁いてきた。
その言葉に頷きながら迷惑は掛けないようにするため、ゾイス様に合わせることだけを意識する。
その内に、不思議といつの間にか人々の視線も気にならなくなってきて、ゾイス様のエスコートにだけ集中できるようになっていた。
ホール中央付近まで歩いた後、ゾイス様は音楽に合わせて動き出した。
私も何とかそれに着いていこうと、集中しながらダンスを踊った。
ダンス自体はレッスンで習っているから、問題はないはず。
緊張はしているけれど、ゾイス様の上手くリードしてくださっているから足がもつれることもなく何とか着いていけてると思う。
段々と踊っている内に心に余裕もできてきて、ゾイス様も優しい眼差しで私を見つめてくれている。
その眼差しにどきどきしながらも、数刻前まで怯えていたのが嘘だったかのように心から楽しめていた。
楽しい時間はあっという間で、演奏が終わって、ダンスも終了した。
「ゾイス様、ありがとうございました。とても楽しかったです」
「ええ、私もローゼ王女殿下と踊れて楽しかったですよ。良ければもう一曲このまま踊っていただけませんか?」
また手を差し出されて驚きながらも、今度はすぐにその手を取ることができた。
そのぐらいには私も本当に先程までのダンスが楽しかったから。
そのまま演奏がまた始まり、私達も自然と曲に合わせて踊り始めた。
「ローゼ王女殿下、差し支えなければローゼ様、とお呼びしても?」
「もちろんです」
「ありがとうございます、ローゼ様」
まさか、遠い存在だと思っていたゾイス様からこんな風にダンスに誘っていただいたり、名前を呼んでいただけるなんて。
きっと今後は今まで通りの距離感に戻るだろうけれど。
それでも一夜の夢として、とても楽しい時間を過ごせている。
デビュタント以来、こういうパーティー等には嫌な印象しかなかったけれど、たまにはこんな幸せなこともあるのね。
今夜の思い出があれば、しばらくは他の人々から嫌な態度を取られても、何とか心折れずに過ごしていけそう。
そう考えながら、私は自分でも気付かない内に笑顔で踊れていた。
一曲目の時も楽しかったけれど、緊張感は抜けていなくて。
でも二曲目の今は大分リラックスして踊れていると思う。
ゾイス様は何故か一瞬目を見開いていたように見えたけど、次の瞬間には、またにこやかな表情に戻っていた。
二曲目の時間もあっという間に過ぎてしまい、演奏が終わってからハッと我に返った。
私、いつの間にかダンスに夢中になっていて全く周囲を気にしてなかった……。
「ありがとうございました、ゾイス様」
「こちらこそ。ローゼ様と二曲も踊らせていただけて夢のようでした」
「えっ……」
そんなことを言われるとは思わず、赤面して俯かせてしまう。
さすが、ゾイス様。
女性のお相手がとても慣れていらっしゃるわ……。
お世辞だとは理解しつつも、経験が少なく、普段は王宮に引きこもっている私には免疫力が無く、思わず照れてしまうのは仕方ないはず。
ふと、会場の時計を確認すると、もうすっかり良い時間になっていて、私の予想よりも長く滞在していたことに気が付く。
「ゾイス様、本日は本当に何から何までありがとうございました。……そろそろ私は王宮に戻ろうと思います」
「そうですね。もうこんな時間ですからね。是非、馬車まで見送らせてください」
「え、でも、さすがにそこまでは…!」
「私がそうさせていただきたいんです。…ご迷惑でしょうか?」
「い、いえ!そんな!とんでもないです…!」
結局ゾイス様のお言葉に甘えて見送っていただくことになった。
予め伝えていた帰る時刻よりも遅くなってしまったけれど、待ってくれていた従僕は私にすぐ気が付いて「お帰りなさいませ」と声をかけてくれた。
そして、私のすぐ後ろに居たゾイス様に気が付いたようで、慌てて「ゾイス様…!ローゼ王女殿下をここまで送っていただきありがとうございます」と頭を下げお礼を伝えている。
「いえ、私が見送りたいと我が儘を言っただけのことですから」
「我が儘なんて…そんな…」
ゾイス様のその発言に、従僕も私も恐縮してしまう。
「それでは、ゾイス様。本日は本当にありがとうございました。素敵な時間を過ごせました」
「ええ、こちらこそ。お会いできて良かったです。ローゼ様、また近々お会いしましょう」
手を取られ、そのままぼんやりと見ていると、手の甲にキスをされた。
「なっ……!!??」
ゾイス様のとんでもない行動により、免疫力がゼロの私は、顔も耳も全身発火したように熱くなる。
混乱しすぎて、何故か他の人に見られていないかと心配になり、キョロキョロと辺りを見渡すと、従僕が手で顔を隠しながらも、指の隙間からこちらを見つめていた。
……もう恥ずかしすぎるわ……!
「おおお、お休みなさい……!ゾイス様……!!」
「ええ、ローゼ様。ゆっくり休んでくださいね」
心なしか楽しげなゾイス様に見送られながら、これ以上は堪えられない…!と、慌てて従僕に声をかけて、馬車に乗り込んだ。
何となく気になって馬車の中からゾイス様の姿を見ていると、ゾイス様は私達が出発するまで…してからも、ずっとにこやかに手を振りながら見送ってくださっていた。
その姿が見えなくなるまで私も車窓を見つめ続けてしまった。
ようやく姿が見えなくなったところで、ふぅーっと息を吐いた。
火照る顔に手を当てながら、どうにか冷まそうとしてみる。
本当に夢のような時間だったわ……。
ゾイス様と私とでは、天と地ほどの差があって、王宮ですれ違うくらいで、生涯まともに関わることなんて無いと思っていたから。
相変わらず、婚約者探し自体は上手くいかなかったけれど、今夜だけでも素敵な夢が見られて幸せだったな……。
☆
王宮に戻り、アンや侍女達、両親やお兄様達にも夜会のことを根掘り葉掘り聞かれてしまった。
皆、ドレスが汚れて着替えたという話にはすごく心配されてしまったけれど、ゾイス様に助けていただいたことを話すと、驚きながらも何故だか自分のことのように嬉しそうにしていた。
話し終えた頃にはすっかり疲れて、湯浴みをした後は、いつもの読書もする気が起きず、すぐに眠りについてしまった。