断大根
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
我々はどうして個々人で好き嫌いがあるのだろう? 考えたことはあるかい?
後天的に育まれるものもあるかもしれないが、先天的なものもあると思う。気がついたら、これが好き、あれは嫌いと、許される範囲で近づけたり遠ざけたりしようとする。
個々人の嗜好だから、あまり気にするようなものでもない……とはいっても、貧弱現代人は差別大好きな性格をしているからな。多かれ少なかれ。
自分が好きなものを相手が嫌いだったり、その逆を知ったりしても意外に思うことしばしば。ときにとがめるようなことも口にしたりする。
でももし、その理由が説明できるのなら。
これまで口うるさくいってくる相手を黙らせることができるかもしれない。そして、自身が説明したくないのも、その厄介さからかもしれない。
僕が以前に体験した話なんだが、聞いてみないか?
僕の父は大根を食べない人だった。
大根といえば、家の内外を問わずに食卓へ並ぶ機会の多いポピュラーな野菜のひとつ。これがはっきり嫌いだという人は、全体で少なめかもしれない。僕の知り合いにも、大根苦手な人はまわりにいないと話したときもあった。
しかし、父の分に大根が並ぶことはない。おでん、みそしる、ブリ大根……最後などは大根がなくて、ブリィ! とでもいいたいような魚づくしだ。
給食などで同じものをみんなで一緒に食べるとき、ひとりだけあるものを残しているのはちょびっと恥ずかしい。指導する先生側も、好き嫌いはいけません! とばかりに食べるまで他のことを行うのを許してくれないこともある。
ゆえに父のあからさまな大根避けは、僕にとって少し腹に据えかねるものだったんだ。
そしてある日、ついに大根のことについて追及したのだけど、父はすぐに指を口にあてて「しーっ」のポーズ。
「大丈夫だ。あと三日もすれば、逆に大根をたらふく食べることになるから。それまで、この話はご遠慮しとけ」
意味が分からなかった。
しかし、実際に三日が経ってみると、家族そろっての食卓にはいつもにも増して大根を使った料理ばかりが並んだ。
そればかりでなく、父用に盛られるお皿にはすべて大根が乗っかっている。
多めなんてもんじゃない。オンリーだ。
輪切りからいちょう切り、短冊切りとバリエーションに富ませながら、複数の皿へ乗っかっている。ご飯もおかずもないままに。
父はその大根を黙々と食べている。食事中、口数は少なめとはいえ、話題を振れば応答はしてくれる父が、このときは完全にむっつりとしていた。
いったい何本分の大根が父の胃袋へおさまったのか。自分によそられたぶんを淡々と処理しきった父は、ひと足早いご馳走様から席を立ってしまった。
その後も妙なことがあった。
普段、父は母と一緒に二階の寝室で眠るはずなんだ。それが今日は一階の風呂場近くの和室。床の間がある一室へ布団を敷いていたんだ。
今日はこちらで寝るのだという。確かに、いつもとは様子が違った。
何をするつもりなのかと、僕はまた父へ尋ねてみる。
歯磨き途中だった父は、ほどなく口をゆすいで僕へ向き直り、言った。
「興味があるのなら、今日の23時ごろにこの部屋をのぞいてみるといい。障子はかすかに開けておくから、そこからな。だが、くれぐれも音を立てないようにしてくれよ」
なんだか、鶴の恩返しでのぞき見するシーンのようだった。ただし、向こうからのぞいてみろと誘われるとは。
でも、一連の疑問に決着をつけるいいチャンス。僕は23時の5分前にはすでに一階の和室前。障子のすぐ横にスタンバイしていた。
家じゅうの明かりは、すでに消えている。
父の部屋の蛍光灯は、笠をそなえた数本の丸型蛍光灯。そのオレンジの明かりを灯す電球のみが、室内を照らしていた。
開けてくれた障子は、父の寝る場所をまたぐ形でベランダ側の窓へ視界の通じる位置にある。そこの窓も、カーテンのすき間からほんのわずか、ガラス面をのぞかせている。
ちょうど、月の光がそこから差し込んで、父の布団にかかってきていた。
その光がすうっと動き、父の口元にまで届いたとき。
盛大な水音が、部屋から響いてきた。この感じ、食べ過ぎや飲み過ぎで胃腸があげる悲鳴に似ている。
父が目を閉じたままげっぷをした。長い長いげっぷで、鼻や口がひくついてしまうくらい。
そのできたわずかなすき間へ、どっと月の光が入り込んだように思えたよ。
ほどなく、父の布団へ隠された部分が激しく上下動する。
それはお腹の上に赤子か何かを乗せていて、それが暴れているかのような落ち着きのなさだったけど、父は目を覚ます気配を見せない。されど、げっぷは続いている。
ややあって。父の口や鼻からのぞき、流れていくのはあの様々な形の大根だちだったんだ。
さすがに輪切りのものはなかったが、胃である程度は崩された、切り干し大根のそれに似た形でお目見えする。
それらは宙へ浮かぶと、差し込んでくる月の光の道へ誘導されるように窓へ向かい、どんどんと消えていったんだ。
声を出したくなるも、父との約束もある。手を口にあてて、大根たちが運ばれ終わるまで待っていたよ。
翌朝、父に聞くとあれは断食ならぬ断大根とでもいうべきものだと言われた。
父は生まれたときより、あの月の光の向こうにいる何者かに気に入られたらしく、彼らに極上の大根を献上するために、普段は大根をとらぬようにしているらしかった。
目で見た以上は疑うのは難しい。ただ、単なる好き嫌いに思えても、実はわけがあるんじゃないかと僕は考えるようになったのさ。