2-3
二人で喫茶店の中に入る。空いている席は半分くらいで、ちょうどヴァイオレットの背後の席が空いていたから、そこに座ることにした。
「シエルは何を飲む?」
「コーヒーで」
「私は甘いのにするわ。あ、デザートもある。一緒に頼んでもいい?」
「ご自由に」
メニューを見ながら楽しそうにしているルージュを尻目に、俺は背後の会話に意識を集中した。
「どう? 魔法学園では楽しくやれている?」
「うん、楽しくやれているよ、母さん。魔法使いも普通の子らと変わんないよ。今日もみんなで王都まで来て遊ぼうって話をしていたんだ」
「え? 貴方はそれでいいの? 私の相手なんかしていないで、友達を遊んできた方がいいんじゃないの?」
「いいの。先に予定を詰めていたのはこっちだし。それに、私には少人数だけど、楽しい友達がいるから。私が大人数が苦手なのはよく知ってるでしょ」
「わかってるわ。でも、心配なのよ。貴方が魔法使いだなんて、想像もしていなかったの。急にこうなってしまって、今でも普通の子と同じような生き方ができないか、ずっと考えているの」
「私はもう魔法使いなの。だから、後戻りはできないよ。安心して。まだ戦場にはいかないし、私はとっても強いから」
「あの人の遺言なんて、聞かなくて良かったのに。貴方は魔法使いになんてならない方が良かったのよ。こんな優しい子が人を殺すような世界で生きていけるはずもないもの」
「大丈夫だから。私はこの道を選んだの。あの人じゃなくて、私が、魔法使いになることを選んだんだよ。だから、安心して。私は大丈夫だから」
どうやら母娘のお話らしい。
聞くに、ヴァイオレットは後天的な魔法使いのようだ。俺やルージュ、その他大勢の、魔法使いの親を持つわけではない。他の魔法使いから魔法を継承した魔法使い。
魔法使いは出自を二つに分けられる。
親が魔法使いの、先天性の魔法使い。生まれたときから魔法使いとして生き、自らに流れる血によって魔法の力を受け継いだ存在。
そして、他者の魔法使いの素養を引き継ぐ、後天性の魔法使い。魔法使いは死ぬ直前、他人に魔法を譲渡することができるという。魔法使いという種の生存本能とでもいうのだろうか。そうして魔法を手渡された存在は、元の魔法使いの魔法ともども素養を受け継いでいく。
前者の方が一般的で、実際に学園にいる魔法使いもほとんどが先天性の魔法使いだろう。魔法使いが死んだ時にちょうど近くに一般人がいること自体が稀だし、一般人はそれを引き継ぐ方法も知りはしない。それらの条件が整っていてなお、魔法使いになるという意志を持つ者だけが魔法使いへと至る。
「あの時止めておけば良かった。貴方は魔法使いになるべきではなかったのよ」
母がすすり泣きを始めて、娘は「だから、大丈夫だって。心配しないでよ母さん」と慰める。
魔法使いの戦う戦場を見た後では、母の気持ちもわからなくもない。人の命は簡単に散っていく。王国中で魔法使いは花形の職であるとプロバガンダは行われているが、一向に家族が帰ってこない家庭も少なくない以上、どこまで通じているかも怪しい。内情は知れば知るほどに残酷なものとなっていて、魔法使いの親ならまだしも、一般の親からすれば心配はひとしおだろう。
息をついて顔を上げると、ルージュと目が合った。
「ほら、シエルも食べなよ。美味しいよ」
ルージュのところまで鮮明な会話は伝わっていないようで、彼女はいつの間にか届いていた飲み物と甘味に舌鼓を打っている。
ルージュにこの話をしても、きっと『なにそれ。そういうものでしょう』と返ってくるだろう。魔法使いとして生まれた以上、それ以外の人生は存在せず、後悔のしようもない。だから何も後悔することがない。
逆に途中から魔法使いとなった人間は、悩んでしまうものだろう。この選択は正しかったのか。魔法使いに本当になるべきだったのか、と。
これこそ、選択肢の差。自分の人生を選べたのかどうか。
選んだ方が悩んでしまうというのも世知辛いものだ。
「お母さんはヴァイオレットのことが心配なの。貴方は仲良くする相手を選んでしまうから、きちんと魔法使いとしてやれているのかもわからない。魔法使いの中でうまくいっていないかもしれない」
「そんなことないってば」
「本当は皆の集まりに参加できなかったんじゃないの? 私と会うのを言い訳にしたんじゃないの?」
何故だろう、俺の心も痛い。
違う。俺は参加できなかったのではなく、参加しなかったのだ。
「私は参加できなかったんじゃなくて、参加しなかったの」
同じこと言ってる。
「……それに、友達くらいいるってば」
ヴァイオレットは言葉を区切った。
その後、俺は急に首根っこを捕まれた。そのまま持ち上げられ、ヴァイオレットの横に立たされた。
「これ、学園の生徒。私の友達」
指を刺される友人こと俺。
声を出しそうになるが、ヴァイオレットにすごまれてしまい、声は身体の中に戻っていった。
「え、そうなの?」
母がこちらをじっと見てくる。ヴァイオレットもじっとこっちを見てくる。殺気だ。この子は返答を間違えれば俺を殺す気でいる。
「そうです。ヴァイオレットさんにはいつもお世話になっていて。今日も、もしかしたらこういう話の流れになるかもしれないから、近くにいてって言われちゃって。お母さんは心配性だから、安心させてあげたいんだってお願いされちゃいましてね。お母さん思いの良い子ですよホントに」
ははは、と乾いた笑い。
目も泳がさずに咄嗟に良く言えたもんだ。
「そうなの……。それはごめんなさいね。この子、魔法使いになる前から偏屈で、なかなかお友達ができなかったの。それが魔法使いになって学園に通う事になって、私はずっと心配で心配で」
「わかります。正直、僕たちもヴァイオレットさんとはまだ少しだけ壁を感じます。でも、こうしてこの場に呼んでもらえて、頼ってくれたってことは友達と認めてもらえたのかなって嬉しくって」
「いい子ね。この子には勿体ないくらい。人というのは、個人じゃなくて、周りの人で決まるの。素敵な人が近くにいて、ようやく素敵な人間になれるの。うん、少しだけ安心したわ。魔法使いになっても、貴方はよくやれているのね」
母は涙ながらに微笑んだ。
ヴァイオレットは複雑な顔で、「まあ、ね」と呟く。
「この後みんなと一緒に遊ぶの? じゃあ私はお邪魔虫になっちゃうし、帰ることにするわ」
「送ってくよ」
「いいの。お友達と仲良くしてね」
母はテーブルの上にお金を置くと、俺とルージュに深々と頭を下げて、最後にヴァイオレットに笑顔を残して、喫茶店を出ていった。
しばらく無言の時を経て、母がもう遠くに行ったことを確認して、
「で、どういうこと?」
ヴァイオレットは俺を睨みつけてきた。
「まあ、座って話そう」
「ストーカーした相手と、なんで一緒の席につかないといけないの」
「そこは貸し借りなしだろ。俺はあんたのお母さんを安心させてあげたぜ」
ヴァイオレットは苦い顔になったが、了承してくれた。
俺たちのいた席に移って、俺はルージュの隣に座った。ヴァイオレットが対面に座る。
「それで? 私の後をつけて、何の用?」
「どこから気づいていたんだ」
「窓の外に君たちの顔が見えてた。学園で見たことあったし、どこにも行かないし、挙句喫茶店の中に入って隣に座ったもんだから、私目当てだったんだって思ったの」
俺にストーカーの才能はないらしい。
ここまで近づけただけで目的は達成できたか。
「それで? 何が目的? 私の弱みでも握ろうとしたの? 魔法使いって言うのはそんなに陰湿なやつらなの?」
矢継ぎ早の質問が鋭い視線と共に飛んでくる。
ルージュとはまた違う意味で圧が強い。答え方を間違えば、それだけでこれ以上口を聞いてくれなくなりそうだ。
「友達になろうと思ってな」
だから正直に答えるのが正解だ。過程はどうあれ、彼女と友人になりに来たのは本当だ。
「友達ってのはストーカーして作るものなの?」
「まさか。そもそも誤解がある。今だってストーカーとは言われているが、全部が全部俺の意図するところじゃない。二人で歩いていたらたまたまあんたが目に入って、話しかけようとしていたら店に入ってしまったんだ」
「そうだとしても、近くの席で盗み聞きする必要はなかったんじゃない?」
「偶然だよ。それに、盗み聞きしていたわけじゃない。なあ、ルージュ」
俺はルージュに水を向ける。余計なことを言うなよと念を送っておいた。
「ええ。私の場所からは何を話しているかもわからなかったわ。それよりも、ここはデザートの美味しい良いお店ね」
ルージュは優しく微笑む。
意外とルージュは臨機応変に対応できる。それを知れたことは良い収穫だ。
「小さいときからの行きつけで、よく父さんと一緒に来てたんだ。だから母さんと会うときはいつもこのお店で……、いや、そうじゃなくて。
じゃあ、ここにいるのはほとんど偶然ってことね。次、私と友達になりたいってのはどういうこと? 訓練に滅多に顔を出さないサボり魔と、今をときめく有名人がなんで私に近づいてくるの?」
「特に理由はない。強いて言うなら、一人は寂しいからな」
ヴァイオレットは眉を寄せる。
「寂しくなんかない」
「ノワールがクラスの皆に声をかけていただろう? 反応しなかったのは俺たちとあんたくらいだった。そんな浮きがちなあんたを少し気にかけた。それだけだ」
「一人の私を憐れんだってこと?」
「そこまで深くは考えてない。ただ、最近俺は一人でいることが少なくてな。それが意外と心地よいことに気が付いたんだ。だからもし、あんたが好きで一人でいるんじゃなかったら、友人になれないかと思ったんだ」
「余計なお世話だよ」
どうも取り付く島もない。
しかし、今日のところはここまででいい。
楔は打てたし、ヴァイオレットがどういう人間なのかは知ることができた。
「私は好きで一人でいるの。別にお情けの友達がほしいわけじゃない」
俺みたいなことを言う。
逆にわかりやすかった。これが俺だったら、ここで詰め寄っても逃げるだけ。
「悪かった。これからは気をつけるよ」
「勘違いされるようなことはしない方がいいよ。でも、お母さんに友達だって言ってくれたのは、ありがとう。これで少しでも安心してくれるといいんだけど」
「良いお母さんじゃないか」
「心配が過ぎるんだよ。私はもう、魔法使いなのに」
少しだけ顔を伏せる。このあたりにも事情がありそうだ。
しかし、ここで一歩踏み出すのは二流。
「俺たちはもう少しお茶を楽しんでいくよ。良い店だからな」
「わかった。私は帰るよ。目的は果たしたし。会話を合わせてお母さん安心させてくれた御礼に、ここは私が払っておくから」
母が残したお金で清算して、ヴァイオレットは店を出ていった。
「どういうこと?」
「ここらが引き時だ。ヴァイオレットに対しては押せ押せじゃ通じない」
「そうじゃなくて、友達になりたいってどういうこと? 友達なら私とブロンがいるじゃない」
こっちもこっちでめんどくさいことを言う。後から話をすれば、ブロンも同じことを言ってきそうだ。
「友達は多いに越したことはないだろ」
「それは一般論でしょ。貴方に当てはまるとは思っていないわ」
どういうことだよ。
おまえから見た俺は何者なんだ。
「ヴァイオレットに何か起こるの?」
真剣な顔で尋ねられ、俺は肩を竦めた。
「どうだろうな」
「はっきり答えてよ。私には秘密を打ち明けてくれるんでしょ」
「そんなこと言ってないって」
「むむ」
ジト目で見つめられる。
俺も真剣な顔を作って見つめ返した。
「言えないこともある。俺の役割はそういうものなんだ」
「……友達でも?」
「さっきも言ったろ。友達だからこそ、言えないんだよ」
多くの情報を有した存在は、いつだって煙たがられる。そういうものだと思われる存在に昇華しなければ、抱えきれない荷物を背負ったまま沈むのは道理。
俺はおまえを背中から打ち抜きたくはない。
「わかった。ただ、辛くなったら話してね。友達だし、私は絶対に、貴方の味方だから」
どこかで聞いた言葉だと思えば、ブランシュもそんなことを言っていた。
彼女は何なんだろうか。味方なのか、敵なのか。味方であることを強調してくるが、強調し過ぎて逆に怪しくも思えてくる。
半信半疑。近すぎても遠すぎてもいけない。いつでも詰め寄れていつでも逃げられる今の立場が、なんだかんだ一番適しているのかもしれない。
喫茶店の扉が開いた。
ブランシュのことを想像したからだろうか、似た顔の男が顔を見せた。
ブロンであった。知らない女の子を連れている。
俺とルージュは即座に顔を逸らした。いや、俺たちが顔を背ける必要はないのだが、ブロンの勝負師の目を見れば、邪魔しないに越したことはなかった。
楽しそうに会話しているブロンは、俺たちに気づいた様子もない。
「気づかれないうちに俺たちも出るか」
「そうね。友達が異性を口説いている様を見るのは、ちょっと辛いものがあるわ」
言いながら、ルージュは少し楽しそうに笑った。「面白くもあるけどね」
ブロンの戦いの結果も気にはなるが、俺とルージュはそそくさと店を後にした。それからいくつかの店を回って、門限までには寮に戻ったのだった。




