3・婚約した令嬢、見つけてしまう
それからまもなく、フィーネは辺境伯次男のユーベルト・クルツと婚約した。
初めて会った時の印象は、好青年といったところだろうか。「彼」ではないかと少しだけ期待したが、どうやら物語のようにはいかないらしい。
両親は必死に彼の粗を探ったが、特に秀でている訳ではないが評判は良く、将来は第二皇子の護衛騎士になることが内定しているようだ。二度ほど婚約破棄しているが、どちらも相手側に過失があった。
それでも必死にごねにごねてくれたお陰で、結婚は三年後になった。両親は諦めないでいてくれるが、白紙に出来るほどの理由がない以上、このまま結婚することになるだろう。
フェローを見つけて既成事実を作る方法も考えなくはなかったが、婚約破棄できたとしても皇族の怒りを買うだけだ。両親だけでなく領民まで路頭に迷いかねない。
しかし、婚約して良いこともあった。
父が許してくれなかった、皇都の貴族子女が学ぶ学園へ──前世のフィーネがフェローと出会った場所へ編入することになったのだ。
途中からなので授業に追い付くのは大変だが、将来のことを考えないで済むのは有り難い。
皇都へは両親も来てくれていたが、婚約者に送迎されるのが申し訳なくて寮に住むようになったため、最近では手紙のやりとりがほとんどだ。
「ふぅ……」
あれからまた一年。十八歳になったフィーネは、二階のテラス席で空を眺めていた。
一人である。友人は出来ていない。なぜだか遠巻きにされているのだ。出来たところで、こんな辛気くさい顔をしている相手に付き合わせるのは申し訳ない。
フェローが学んでいた場所で学ぶのは楽しいが、どれだけ探しても、あのモクレンの木は見つからなかった。教師に尋ねても図書室で調べてみても、何の手がかりもない。
分からないといえば、フェローの事もだ。フェローチェという名前を皇族名簿で探したが、その記録もなかった。彼は確かにいたはずなのに、モクレンと同じように忽然と消えてしまった。
──諦めなければいけないのに。
寮に帰って勉強しようと立ち上がった時、ふと視界の端に何かが見えた。
麦わら帽子に黒いローブを着た年配の男性が、庭の隅に佇み、何かに水を撒いている。
こちらに背を向けているので、男性の顔は分からない。けれど、なぜか視線が吸い寄せられる。
それに、水を撒いているあの場所は──
「あ……!」
男性がジョウロを持って立ち去ろうとしている。麦わら帽子を被っているため、ここからでは顔は見えない。
思わず呼び止めようとして、慌てて口を塞ぐ。ここで悪目立ちすれば、あの時の二の舞だ。
もうフィーネは天使ではない。ただの人間で、貴族社会に縛られた男爵令嬢だ。
自由に羽ばたき、彼の胸に飛び込む翼は、もうどこにもない。
それなのに。
ふと、男性が立ち止まり、かすかに見上げるような動きをする。
麦わら帽子越しに──目が合った、気がした。
「──!!」
胸の奥から感情が津波のように押し寄せてきた。その全てが大声で叫ぶから、フィーネには何一つ伝わらない。
けれどまるで翼が生えたかのように、気が付けば荷物を放って駆け出していた。
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「っ、はぁ…っ」
庭には既に男性の姿は無かったが、ジョウロから垂れた水滴がどこかへと続いていた。
フィーネはそれを追いかけてきたが、途中で途切れており、周辺を見渡しても男性の姿は見当たらない。
切れた息を整えようと、近くにあったベンチへ腰かけた。
「ふぅ……」
ふと周りを見渡せば、学園のかなり奥の方まで来てしまっていた。
この先にあるのは無人の古びた教会と森だけだ。
「──こんにちは」
「!」
声をかけられてパッと振り返れば、神官の服を着た細身の若い男性が立っていた。似た服だが彼ではない。
落胆してしまったのが顔に出ていたのだろう、苦笑されてしまった。
「本日から、こちらの教会の管理を任された神官のハルモニと申します」
「……フィーネ・オラトリアです。神官様は……神殿から?」
「──いいえ。皇都にある大教会からです」
世間では天使の恋は叶わなかったと言われているが、実際は全て叶い、その子孫──天使の一族は今も大地に根付いている。
神殿には天使の一族しかいないが、地方の教会には人間も多いと両親から聞いている。末妹の様子が聞けるかと思ったが、迂闊な発言はしない方がよさそうだ。
とはいえ他に思い付く話題もなく、なぜか神官はフィーネを見て微笑むばかりで立ち去ってはくれない。
内心困り果てていると、神官はこちらへ手を差し出してきた。
「お時間があるようでしたら、教会へ寄って行かれませんか? 昨日一日かけて掃除と修繕を行ったので、是非ともどなたかに見て頂きたいのです」
「いえ……あの、」
「つい先程、神父様も水やりからお戻りになりましたので、懺悔室も解放しております。なにかお困り事やお悩み事があれば、是非」
なぜか教会に連れて行かれそうになっているが、行ったところで神である父はいないし、悩み事が解決する訳でもない。それにここまで来たのは──
ふと、フィーネは気付く。先程、神官は何と言った?
「……水やり? 麦わら帽子を被って?」
「ええ」
「行きます!」
差し出された手を思わず両手で握りしめれば、また神官に苦笑されてしまった。