17・逃げ出した令嬢、再会を果たす(中)
「私の事は放っておいて……っ!」
前世の自分に嫉妬すら覚えてしまいそうになる。
あんな風に、自分だって、彼と──
「フィーネ。私は君が何をしても許す、その気持ちに嘘はない」
コツ、と床を踏む音が聞こえ、彼の声が近付く。部屋の中に入ってきたのだ。
優しくて甘いフェローの声。引き寄せられそうになるのに、身体は逃げようと後ろへ下がる。しかしすぐに壁にぶつかった。
ギシリ、とベッドが悲鳴を上げたと同時に僅かに揺れ──シーツの残り香とは比べようにないほど、濃厚なモクレンの香りに取り囲まれた。ぞわり、と背中に走ったのは恐怖にも似た期待と歓喜。
震えるフィーネの耳元で、彼がソッと囁いた。
「けれど──私から逃げることは許さない」
「っ、あ、その台詞、」
「やはり思い出したんだね。目を覚ました時、隣に私がいなくて寂しくはなかったかい?」
シーツ越しに頭を優しく撫でられて、涙がぽろぽろとこぼれてくる。
たまらず彼の胸に飛び込めば、優しい手とは裏腹に強く抱き寄せられた。
「……さびしかったわ。でも……っ本当は、ずっと、寂しかった!」
「そうだね。私も寂しかったよ」
「っ、貴方と、キスがしたい」
「私もだ」
耳元で囁かれる声は、その吐息と同じぐらい熱い。
フィーネと同じか、それ以上に飢えていることを教えてくれる。
「……ワガママで、ごめんなさい。私、貴方を困らせることしか出来ない」
「なに、君と再会する前に比べれば贅沢な悩みだ。私のためだとしても、逃げられる方が余程困る」
「……ごめんなさい」
フェローのためにもフィーネが彼を一番愛さなければならないのに。きっと、不安にさせてしまった。
シーツから腕を出して彼の背中へ回す。夢とは違って引き離されることはなかった。
「いいんだよ。私こそ今まで待たせてすまなかったね。もう、大丈夫だから」
「……え?」
「計画も最終段階へ進んだし、君も順調に記憶を取り戻しつつある。だから──いい加減、その可愛い顔を私に見せてくれないか?」
急に言われて唖然とする中、シーツを剥がされそうになってフィーネは焦った。ついさっき自分が反省した事も忘れて、思わず抵抗してしまう。
シーツを被っていたせいで髪はぐしゃぐしゃで、泣いたせいできっと顔も酷いことになっている。待ち望んでいた瞬間だけれど、いくらなんでも間が悪すぎる。
「ま、待って! あ、明日! 明日がいい!」
「私もそうしてあげたかったけどね。──これは、お仕置きだから」
「ど……どうして」
フェローの声は甘いまま、一層低くなる。記憶が無くても分かった。──彼は本当に、怒っている。
それなのに新たに知ったフェローの一面に胸を高鳴らせてしまう。本当に、顔を見られなくてよかった。
「あの男に殴られそうになっても逃げなかったそうだね。言っただろう? 君は私のものだ。私の手が届かない時は、君が守ってくれないと」
「でも……裏切ってしまったわ」
「裏切られているのは君だよ。君だって不思議に思っていただろう? 元皇太子を一目見に行っただけで、皇家が婚約を強要してきた事に。──君は狙われたんだよ、第二皇子……いや第二のクソ皇太子にね」
「狙われた……?」
フェローの話は難しい。なぜフィーネがそのクソ皇太子に狙われなければならないのか。令嬢としてなんの取り柄もないし、男爵領には畑と牧場しかない。
そもそも婚約者の話をしていたはずだ。それなのに、なぜ急にクソ皇太子が出てくるのだろう。ちゃんと聞いていたはずなのに、理解できない。
そういえば婚約者が何か言っていたような気がする。皇太子の名前もなにか違うような…。
フィーネは懸命に思い出そうとしたが、急にシーツを引っ張られて失敗に終わる。死守には成功した。