責任の在り処
再び訪れる沈黙。メルティナが「あの」と呼びかける。拳を握り、切実そうな顔は何故か紅潮していた。
「私は…………。私は、シャルが好きです」
「は?」
いきなりの告白にシャルディムは狐につままれた顔を浮かべた。
「プレッツィオの言う通り、貴方が私を助けたのは、色々と良くしてくれたのは、確かに打算だったのかもしれません……」
その通りだ。プレッツィオの見立ては正しい。メルティナが場末の劇場で踊りを披露していたのを見た瞬間、その流麗な舞は素晴らしいと思ったし優艶な美貌は人気が出ると直感した。
だからこそ、シャルは神殿に引き入れた。誘拐された時、好機が降って湧いたと歓喜した。
それでも。と、メルティナは言葉を続ける。
「私は嬉しかった。救われる想いがしました。私に見返りを求めない貴方の行いを目の当たりにしている裡に、気が付けば視線で貴方を追うようになり、好きになってしまいました」
頬を赤らめながら、潤んだ紺碧の瞳が揺れている。その眼差しに見詰められるシャルの鼓動は早まり、向けられる好意に心が揺れ動いていた。
でも―――、
「ごめん」
「――――っ」
顔を逸らしながら呟いた。それでもメルティナが反射的に息を吸ったのが分かった。
「そう、ですよね……」
彼女は苦笑しながら視線を床に落とす。気落ちしているのが痛いほどわかる。その様子を見ていると、シャルもなんだか落ち着かない。
気持ちは嬉しい。それは本当だ。
普通、殺戮者としての自分を知ってなお、好意を示してくれるのはありがたい事だ。
シャルディムもそれは十分わかっている。
それでも、
「君を、異性として見たことはない」
共に過ごす夜の逢瀬が心安らぐ一時であったとしても。
シャルはそれ以外で彼女と接点を持つことはしなかった。共に鍛錬も少しはしたが。
相変わらずシャルは空いた時間は部屋に引きこもり、全て結界術の研究に費やしていた。
デートなんて、した覚えがない。巫女装束の発注する際も、イェイユと一緒に居た。
改めて、シャルはメルティナを客寄せの道具くらいにしか考えていなかった自分の酷薄さを思い知り、そして愕然とした。
「テルテュスさん、ですか……?」
震える声を必死で抑えながら、メルティナは問い質す。シャルも素直にうん、と返事した。
謀略によって夭逝した少女、テルテュス。
聡明でおしとやかで健気な彼女のことを、シャルは今でも想い続けていた。
もう既に顔なんて思い出せないのに。それでも、想いを寄せていたという記憶だけは忘れていない。
隣で長く吐く息が聞こえる。そっか、という呟きが漏れるのを震える獣耳が拾った。
静寂の帳が二人に降りる。無言のまま、時間だけが過ぎていった。
「後悔、してるんですか?」
死なせてしまった事を。目線を合わせないメルティナが聞いて来た。
「うん………」
守りたかった。でも、守れなかった。死なせてしまった。殺させてしまった。後悔しない日なんて、一日たりとて無かった。
「――もしかして。自分のせいだとか、思ってないですよね?」
「…………どういう意味だよ?」
メルティナは自分のことを糾弾したいのだろうか。お前のせいで死んだのだ、と。
「別に。ただ、『はい』か『いいえ』で答えて欲しいだけです」
相変わらず彼女は顔をこちらに向けてくれない。
メルティナの真意は分からない。それでも、自身の正直な答えは『はい』に決まっている。
答えを聞くと、彼女はシャルに向き直って告げた。
「……、シャル。貴方って、けっこう馬鹿なんですね?」
「なっ――――」
言うに事を欠いて馬鹿とは何事か。少年を見下ろし冷淡な態度の彼女にシャルは鼻白む。
「お前に何が分かるんだよっ!」
夜の静寂を斬り裂く怒り。
立ち上がって怒気を孕んだ両拳を握り、メルティナを睨み付けた。
「では、聞きますが。その人は、貴方といたことを後悔していたと。そう言いたいのですか?」
少し呆れた様子を見せるメルティナ。それがシャルの癪に障った。
「ああ、そうだ。だから――」
「わかりました。質問を変えます」
手を差し出して言葉を遮る。コホン、と咳払いをすると、
「貴方と旅をしている時、彼女は一度も笑ったことはなかったと。そういう事なのですか?」
「それは……っ」
シャルは答えに詰まって目を逸らす。それが既に答えだった。
事件当時、仲間たちが旅を面白いものにしようと気を遣ってくれた。お陰で戦闘の殺伐とした記憶よりも、楽しい思い出の方が多い。
降り注ぐ日差しの中。シャルに振り返り、にこやかに口角を上げる少女。
そんな記憶が今も胸の奥に。大切にしまってあるシャルディムの宝物。
「なら少なくと、後悔はしていなかった筈です」
だから、どうしたというのか。事の詳細も解らない人間に何が分かるというのか。
彼女が後悔していないからといって、シャルが守り切れなかった事実に変わりはないのに。
「……じゃあ。それとこれと、何がどう関係あるんだよ?」
シャルはつい、不貞腐れたように口を尖らせてしまった。
メルティナの真意が読めなくて結論を聞き出そうと話を促した。
「後悔していないということは、ですね。シャル。テルテュスさんは、自分でその決断をしたということです」
胡乱げな瞳で見つめ返すシャルに諭すように、穏やかな口調。
「………つまり。テルテュスが僕らと一緒に行くことを、自分で決めたってこと?」
「そうです」
首を縦に振るメルティナは即答した。そしてこうも続ける。
「自分で選択したということは、その死も含めて自分の責任ということです」
少女は自分の大切なもののために、自らの未来を選び取った。テルテュスには、彼女なりの理由があってシャルたちと行動を共にした。
その理由は他の誰の物でもない、テルテュス自身の物。
悲劇的な結末も含めて、全て彼女の――――。
「だったら、貴方が責任を感じるのはお門違いですし、自惚れです」
傲慢ですらある。
「でも――」
「彼女には、自分でつかみ取りたい未来があった。そのために、命を懸けた。その想いを、意志を、貴方は無碍に扱うのですか?」
「ちがうっ」
反射的に首を振って否定した。
そんな事はしたくない。問い質すメルティナにシャルは口を噤んだ。
「僕は………っ」
どうして、彼女の死を自分の罪だと思ったのだろう?
どうして、自分の不甲斐なさに憎悪を抱くのだろう?
どうして、彼女に未来を見せられなかったことを後悔し続けているのだろう?
――――そして、思い至る。
自分にとって大事なのは、彼女の想いではなかったことに。
大事だったのは、自分の心。
自分のせいにしておけば、気が楽だった。
自分が至らないだけならば、努力すればいい。講ずる手段に工夫を凝らせばいい。
それだけで解決できるなら安いものだ。
でも、それでも解決できないなら。自分の実力云々の関わりがない所で物事の趨勢が決してしまうのなら、その先に待っているのは絶望でしかない。
自分にはどうすることもできない。それが現実として突き付けられたなら、絶望するしかなかった。
絶望は嫌だ。全てに対し無気力になってしまうから。
事実。それで一度、死にかけた。母親と貧民街で暮らしていた頃。
子どもは大人に勝てない。だから母親を自分が守れなかったのも仕方がない。
そう納得していた矢先、貧民街の浮浪者が一人、シャルディムに呟いた。
『復讐をしないか? お前には才能がある。母親の仇を取るんだ』
復讐。それは、シャルの生きる糧となった。
やがて復讐は果たされ、努力による状況の打開はシャルの行動指針となった。それを否定するのは苦痛だったし、何よりそれに代わるものが無いのが苦痛だった。
だからこそ、現実から目を逸らしシャルは固執した。
「シャル……」
立ち上がったメルティナが両腕を伸ばし、優しく抱き留める。ふわりと薫る、甘やかな香りが鼻孔を掠めた。包み込むような抱擁でシャルの心が安らぐ。肩を震わせ強張っていた身体がほぐれるのを感じ、目を瞑って彼女の背中に手を回す。頬を掠める琥珀髪が芳しい。
彼女に促され、シャルはひとまずベッドに腰を落ち着けた。
メルティナが肩を抱き寄せながら頭を撫でて来る。くすぐったくて耳を揺らした。
心の波紋が、次第に収まっていくのが分かる。
「テルテュスさんとの思い出。少し、私に聞かせてもらえませんか?」
一つだけで良いので。穏やかで玲瓏な声が耳に心地よい。




