魂魄破壊
結界の中で敵の身体は跡形もなく消え去った。確かな手応えにシャルは拳を握り締める。
「よし」
ここまでは順調。問題はここから。遠隔操作でシャルの元に
虚空を飛翔する漆黒の弾丸。音の壁を斬り裂いて《霊柩》の結界に侵入、ルシフェルの魂魄を貫いた。それでも弾数は十二。敵の数が多過ぎた。
《奈落の(アビス)一撃》。術式破壊の範囲外で待機していた暗殺者の双子。彼女らがナガルの狙撃銃を使って放った。
「ふふん、どんなモンよ!」「命中、なのです!」
手応えにはしゃぐ二人の顔が脳裏に浮かんだ。
魂魄への直接攻撃。それこそが、この作戦の肝。
あらゆるものに照準を当てられる通天無尽の能力があればこそ、実現可能な作戦。
魂の形は不可逆。決して元には戻らないからこそ、魂魄融合という術式が成立する。
魂とはあらゆる生命の根幹。魂魄のない身体は滅びゆくのが宿命。
「どうだ……?」
事前に神気を陰獣に付与し、一時的に霊格を高めていた。そのため、《奈落の(アビス)一撃》通常よりも遥かに威力がある。これで魂魄が破壊し尽くされていれば問題はない。
だが、即死攻撃を喰らっても未だ魂魄は健在。それでも、次の一手は既に決めてある。
《霊柩》の結界を全て眼前まで引き寄せ、投げ付けたのは複数枚の爆炎符。
「唵」
一斉に起爆。燃え爆ぜる結界内で術式の崩壊現象が起こった。ルシフェルの嘆きと同様、爆炎符もまた魔力や《アニマ》の結合に悪影響を及ぼす。
爆炎が収まる間、シャルは確認のために本体が拘束されている結界を見る。
魂魄が健在なら、器たる身体もまた然り。エブリシュカは新しく授かった黄金の双眸、『焼尽』の魔眼で炎に包み込んでいた。
しかし、予想外の事が起こる。再生速度が加速し、身体の創出が爆発的に進む。
五体全てが復元し切らない大きさに狭めて展開するも、膨満に膨れ上がる身体に障壁が少し撓んで来た。
絶技による結界の再発動には時が少し必要だ。そこがもどかしい。
それに対し、朔夜たちが攻撃を加えて再生を阻害する。
「こっちは大丈夫。シャルは魂魄に集中して!」
(ボクたちが結界を保持するよ)
「みんな……」
仙狐たちの呼びかけに応じて《仙狐招来》。結界の元へと馳せ参じ、魔力を通して結界の耐久度を上げる。
「……わかった」
朔夜の激励に首肯し、シャルは改めて自分のなすべきことに向き合う。
余り時間はかけられない。魂魄の完全消滅を期してシャルは再び掌大の結界と向き合った。
琵琶を取り出し、飾太刀を納刀して撥に持ち替える。結界を少しだけ広げると、指を一本差し入れた。
ナハティガルナの言葉がずっと疑問だった。
何故、魔力と《アニマ》の紐帯を乱す不協和音を撒き散らす本体が、その影響を全く受けないのか。声というのは内と外、同時に響く。ならば尚のこと、その音波攻撃で自壊してもおかしくはない。
考えられるのは二つ。
一つは、自壊に耐えるために超速の再生能力が身体に付与されているという推論。
もう一つは、魂が逆位相の振動を放って中和している場合。
超獣とは人智を超えた理外の存在。人間の常識を当てはめるだけ無駄。
だからこそ、指に魔力を流し間隔を研ぎ澄まして魂の周波数を感じ取る。
「…………やっぱりか」
魂が振動していた。敵が音波攻撃をすることから、対抗手段の一つとして念のために琵琶を入れて来て正解だった。
ルシフェルの体内で起こっている逆位相の周波数による毒音波の相殺。それを今度は魂魄に対して行い、魂魄の振動を止める。
振動を増幅して崩壊させようかとも思ったが、魂への直接攻撃がそれに当たるとして見切りを付けていた。
指先の神経を通じて伝わる、魂の囁き。感覚を研ぎ澄まして傾聴し、そこから逆位相の周波数を導き出す。
「よし」
ハッキリと振動を聴き取ったシャルディムは胡坐を掻いて膝に琵琶を乗せ、弦を奏でた。
意識を今は演奏に集中。自身の音感を頼りに弦の抑え方、撥の鳴らし方を試行錯誤して逆位相の周波数の再現を画策。
結界内での音の響き方に傾聴。共振か相殺か、弦を鳴らす度に確認。一音一音に張り詰めた神経を更に尖らせた。
一口に周波数と言っても、その音域は広大。これは正直、運の要素が強い。博打も良い所だ。
それでも、やるしかない。過密な集中で浮かぶ汗が額から頬に伝う。それすら顧みない忘我の境地で、シャルは琵琶を弾き続けた。
やがて、それを引き当てる。結界内の消音が確認できた。手応えに打ち震え、尻尾が逆立つ。
畳み掛ける。正確に一定の周期で弦を鳴らし続け、三十弱の魂魄がユニゾンする振動をひたすら打ち消す。
確証はない。しかし他に妙案がない以上、試すしかない。
ルシフェルの爆発的再生が絶えず結界内で起こり、終いには三十弱あった個体が一塊の不定形となって空間を満たす。それを朔夜たちが攻撃して破壊。仙狐たちが障壁を保持し続ける中で。
それに意識が引っ張られてはいけない。集中を研ぎ澄ませ、弦を爪弾く。
一分、二分。そして五分。振動を響かせ続けた魂は、次第にその活力を失っていった。
十分。ここで一旦弦鳴を止めてみる。琵琶が奏でられなくても、震動が死んでいるのを確認できた。だが、震動していないだけで魂魄は未だに存在し続けている。
身体を封印している結界も限界が近い。焦る気持ちを抑え、油断なく息を長く吐く。
(まだだ……)
シャルはまだ諦めていない。皆が見守る中、琵琶を再び飾太刀に持ち替えた。
今度は刀身に結界を展開。最後の能力を使う時が来た。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああっ!!」
一塊にした《霊柩》目掛け、大上段から渾身の力で斬り下ろし。結界同士がぶつかり合う事で起こる対消滅。結界に付与していたこの特性は、テオドロスも考え付かなかった。
先に魂魄が入っている結界を全て対消滅。次いで、身体が入っている結界に別の結界をぶつけて消去。
それに伴い身体は勿論、魂魄も消滅。全て跡形もなくなった。
ゼルティアナに再び狙い定めてもらう。しかし、彼女は首を横に振った。ルシフェルの魂はもう、どこにも存在していなかった。
不協和音も聞こえなくなり、静寂が訪れる。
「やった…………、やった!」
確かな手応えに湧き上がる歓喜。思わず拳を握り締めた。保険として最後に残しておいた一手は使わずに済んだ。
魂魄の消滅をエブリシュカにも報告。魔眼の使用を止め、代わりに朔夜が桜色の爆炎で敵が存在していた空間に止めを刺した。
耳を聾する嘆きが響き続けた荒野に再び静寂が戻って来た。
度重なる戦闘と、強大な敵を前にした極度の緊張による激しい消耗。
誰もが疲労の極致に達し、肩で息をしていた。
「終わったな」
「うん」
「一件落着、じゃのぅ」
「長かった」
戦闘の終焉を口々に寿ぎながら、帰路に就く。送迎のために痴情へ降りた火竜の君の元へと足を向けた。
「ほら、さっさとしなさい。新手の超獣が来る前に、ずらかるわよ」
超獣は神気に反応する。散々それを撒き散らした以上、敵がいつ来るかは分からない。そう思えばこそ、皆が我先にとエブリシュカの元へと走った。
その時。火竜の君は殺気立った顔を浮かべると、頭上に形成した豪火球を投擲して来た。
「なっ――」
大気を焼き焦がしながら着弾したのは後方、先程までルシフェルの本体があった場所。
「な、何が……?」
呆気に取られたシャルが後ろを振り返る。立ち込める爆炎が取り払われた瞬間、それは姿を現した。
再生能力の爆発。炎の中から無数の蠢く触手がぬめりを伴い無秩序に、無尽蔵にそこに溢れ出た。
朔夜とゼルティアナが動く。吹き荒ぶ桜吹雪を舞い散らせ、無数の矢を展開して殺到して来る触手に攻撃。一時は完全に消滅するも、再び爆発的に増殖した。粘液を飛び散らせながら。
「なんと。魂が、消滅したというのに……っ」
まだ抵抗しようというのか。老兵もまた、その執念深さに顔を険しくしていた。
ぬらぬらと粘液に塗れ、虚空を這い回る触手の群れ。獣頭や翅はなく、ただ粘液を滴らせ蠢く突起だけが氾濫する。
「クソッ」
シャルもまた結界を展開。《要塞》の自動修復を付与して三重に張る。無限に膨れ上がる触手たちが互いを圧し潰しながら狭い結界内でひしめき合っていた。
「駄目だ、魂が確認できん。これでは……っ」
「キモ……っ」
ゼルティアナでも狙い定められない。先程、触手にやられかけた朔夜は生理的嫌悪感に総身をくねらせ震え上がっている。
「来い、ヴィレンヴィア!」
かつてクロアの妖刀に取り憑いていた怨霊の名をシャルは口にした。呼応するかのように、飾太刀の白刃が紫炎に包まれた。
炎に神気を流し込み、結界内に突き入れる。たちまち紫炎が燃え広がった。
妖刀は魂を喰らう。魂の直接攻撃を思いついた時点で飾太刀の妖刀化は考えていた。
紫炎は呪詛の炎。相手を焼き尽くすまで消えることはない。
藤色の結界で紫の妖炎が激しく燃え盛る。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」
魔力と神気を薪とくべ、細胞の一欠片すら残さず焼燬する。燃えカスすら焼き尽くす炎も、やがては消え去った。
「…………っ」
妖刀を杖代わりに、疲労困憊のシャルは肩を上下させ息も絶え絶え。
もう、頼むから死んでくれ。中身のない藤色の結界を前に、心の底からそう願った。




