抱擁
「そうそう。今日の料理当番に聞いて来た限りだと――」
指折り献立をそらんじる。食卓の充実ぶりから、神殿の経営が成功し安定しているのを実感した。以前、訪れた城塞都市の神殿の食糧事情とは雲泥の差。
「アニスに聞いたと思うけど、結構裕福でしょ?」
えっへん。少し誇らしげに胸を反らす。
「はい。本当に、すごいと思います」
首肯し素直に称賛を送った。
「別に特別な事はしてないけどね。冒険者時代と、同じ事しかやってないし……」
ベッドの上で嬉々として尻尾を揺らし、頬を上気させながら視線を逸らす。
「シャルディム君は――」
「シャルでいいよ♪ みんなそう呼んでる」
破顔し、親しみを込めた目を向けて来る。
「………、何歳なんですか?」
遮りに戸惑いつつも、聞きたかったことを尋ねた。
「十五。今年の十一月で、十六になるよ」
成人になりたて。それなのに、誰も成し遂げた事のない神殿の財政再建をやってのけた。
「にしても、大分落ち着いたみたいだね。何かあった?」
首を傾げて覗き込んで来るシャルディム。言われるほど、自分は酷い顔をしていたのだろうかと疑問が浮かんだ。
「はい。エブリシュカやソルベージュとレドベージュに会って……」
メルティナは彼女たちの事を思い出し、綻ぶ顔には優しさが滲む。
「僕の事で何か言ってなかった?」
怪訝な表情で尋ねる少年。双子が彼の尻尾について言及していたのを思い出す。
「いえ、特には……」
取り敢えず、黙っておこう。そう結論付け言葉を濁した。
「ふ~ん……」
疑惑の眼差し。ある程度の予想が付いてそうだった。
「―――さてと。そろそろ本題に入ろうか?」
チラリとドアの方を油断なく一瞥しながら呟く。
「え?」
「アニスってさ。噂好きだからか、よく他人の話を立ち聞きしたりして、結構油断ならないんだよね。まあ、悪気がないのは、判ってるんだけどさ……」
仕方ないよね。と、苦笑を浮かべて溜息を零した。
「これから話す事は、できれば誰にも聞かれたくないからね」
真っ直ぐメルティナの目を見詰めて来るシャルディム。先程までの柔和な空気が一変した。
目が逸らせない。固唾を呑んでシャルディムの言葉を待つ。
「連中の言う通り、僕の異名は『血霧』。『テルテュス事件』で死んだことになってる冒険者さ」
『テルテュス事件』。
デューリ・リュヌにおいて巫女の最高職である物忌み。それに選ばれた少女を『血霧』が誘拐した事件。法外な身代金を要求して各地を逃げ回り、最後は『血霧』と少女の死で事件は終了した。
少女を誘拐から救出するため、各国で多くの冒険者が動員されるも悉く殺され、貴族や商人など、民衆にも死傷者を出した最悪な事件。冒険者の間では、そう伝わっている。
「解ってると思うけど。事件については緘口令が出てる以上、話せる事は何もないからね?」
メルティナは無言でうなずいた。真剣な表情に拒絶の意思が見て取れる以上、言及は態度を硬化させるだけ。
ただ、それでも。彼が『血霧』と知った以上、聞かずにはいられない事があった。
「どうして、『血霧』と呼ばれるようになってしまったんですか……?」
かねてからの疑問だった。こんな優しい少年が何故、殺戮者と呼ばれるようになったのか?
黙して考える仕草を見せた後、おもむろに語り出す。
「簡単に言うとね。別の国のとある悪徳血盟に嵌められて、国内で強くて評判のいい血盟(クラン)と潰し合いになって殺し合って。それで、最終的に。一週間でクランを五つ、独力で壊滅させたからなんだ。勿論一人残らず、ね」
「え………?」
それも、割と駆け出しの頃。
告げられた衝撃の事実に、二の句が継げない。
「じゃあ、この話終わりでいい? 子供がどこで聞き耳立ててるか分からないし、教育に悪いからね」
少年の言葉からは後悔も、罪の意識も感じられない。
けれど、子供に聞かせるべきではないという自覚はあるらしい。その分別の仕方がメルティナには分からない。
何も、言えなかった。
「それよりさ。今日はここに留まるとして、明日からどうするか決めてる?」
流した。殺戮の過去を一顧だにしない。まるで、有り触れた現実の一つであるかのように。
「―――なら」
「ん?」
「どうして、私を助けたんですか………?」
勿論、助けられた事には感謝している。しかし、人を殺すのに躊躇いのない人間が、どうして人を助けようと思うのか。理解できなかった。
「今度こそは、ちゃんと助けたかったん、―――っ」
屈託ない笑顔から一転。はっとして不意に言葉を切り、顔を逸らし口元を抑える。
まるで、隠しておきたかった本音を誤って漏らしてしまったかのように。
「今度?」
メルティナは少年の顔を覗き込んだ。どこか寂寥を滲ませる物憂げな表情。居心地が悪そうに白銀の尻尾が身を捩る。
今度という事は、以前は守れなかったという事。一体、誰を―――?
「シャルディム、君……?」
「もうっ そんな事より、自分の心配が先じゃないかっ⁉ 明日とかの予定は? 活動の計画とか、ちゃんと立ってるの?」
ベッドから立ち上がり、声を荒げるシャルディム。痛みを耐えるように口を引き結び、灰色の双眸を弱弱しく揺らして顔を逸らした。片肘を抱き寄せる仕草は所在なさげで、今にも消え入りそうな儚さを孕んでいた。
それは、少年が初めて見せる弱さ。
自然と身体が動いた。メルティナはそっと包み込むように抱き締める。
「大丈夫です。安心してください」
優艶な微笑を浮かべながら、優しく語り掛けた。ビクリと震えた後、強張った身体から力が抜けていくのが分かる。
「うん………」
甘えるような声音。シャルディムはメルティナの背中に手を回し、抱き寄せて胸元に顔を埋めた。
改めて感じるのは、少年の小柄さ。
一時的な成長変化は恐らく、精霊化によるもの。それが無ければ、年相応にまだ幼い。
(こんな少年を怖がるなんて……)
メルティナは自分の臆病さを恥じた。
「今日は、本当にありがとうございました」
「うん……」
改めて、感謝の言葉が口を衝いて出た。ヴァイスと合流してからこれで二回目だが、何度言っても足りない。
「ねえ、シャル。貴方には、すごく感謝しています」
ありがとうございました。それを受けて少年はうん、と素直に返す。安心しているのが声色で分かった。心を開いてくれているようで嬉しくなり、銀髪の頭を撫でる。くすぐったそうに狐耳がピクリと跳ね付いた。可愛い。思わずメルティナの顔が綻ぶ。
無言のまま抱き締め合う二人。
どのくらい、そうしていただろうか。
「ん………」
やがてシャルディムの方から離れた。その顔を改めてみると、顔を朱に染め恥ずかしそうにそっぽを向く。
「その、ごめん………」
赤らむ頬を純白の袖で隠し、白銀の尻尾がフワリと揺れた。その仕草がいじらしい。
「こういう時は、ありがとうと言ってもらえると、嬉しいものですよ♪」
少年の顔を覗き込みながら、優艶な微笑を返すメルティナ。
その顔を見詰めて惚けるシャルディム。
「………うん。ありがとう、メルティナ」
恥ずかしそうにおずおずと、円らな瞳で上目遣い。小動物のように愛くるしいシャルの様子が微笑ましく、トロンと目尻が下がった。
「はい。よくできました♪」
再び頭を撫でてやる。差し出すように顎を引くのがまた可愛らしい。嬉しそうに尻尾が揺れるのも含めて。
堪らず再び抱き締める。わぷ、と小さく漏れる悲鳴が嗜虐心をくすぐった。
シャルの銀髪の頭に頬を乗せると、狐耳がくすぐったそうにペタンと閉じられる。
「フフ♪」
可憐な仕草にメルティナは口端を綻ばせた。
耐えかねたのか、頭を振って来たので離してやる。すると困ったように眉根を寄せたまま口を尖らせ、
「もう。くすぐたいから、やめてよ」
胸の谷間から顔を出すシャルの頬は、恥ずかしそうに桜色へ染まっていた。
「はい。気を付けますね。フフ♪」
メルティナもまた頬を上気させて優艶な微笑を零した。
今日も12時に次話投稿