晴れない雲
爆発によって通りを彩る両脇の建物が軒並み倒壊。砂埃が幾重にも道を覆う。
やがて塵埃の霧が晴れると、魔女は再び上空にてゾグレフを睥睨していた。不遜極まりない。
恐らく彼女は意識を保つので精一杯だから、より積極的な戦闘行為ができない。
そうならば、それ程脅威とは映らなかった。足を組むふてぶてしい態度も、もしかすると虚勢を張っているだけなのかもしれない。
「どうした? もう終わりか?」
「ったく、さっさと片付けなさいよね。痛くて仕方が無いのよっ さっきから!」
煩わしげに吐き捨てる赤竜の魔女。彼女が顰めた顔には、紅く光る術式と思しき幾何学模様が迸っていた。
(さっきから、誰に――)
話し掛けているのか。自分ではないことは確かだ。ならば、と勢いよく振り返るが、背後にはそよぐ風だけ。何もない。しかし疑問が残る。何故、自分に向かって風が吹き付けて来るのか。横殴りの風がそれを吹き飛ばす。風の軌跡を眼で辿るも、やはり何もない。
(まさか――)
本能が身体を衝き動かす。後ろに向かって振るって白刃をすくい上げれば、重い金属音と衝撃。
背後に視線を向ければ、精霊化を果たしたシャルディムが眼前に大太刀を構えて大鎌と鬩ぎ合っていた。吹き付ける風は《風迅》の術式。気流に乗って神気が頬を撫でる。神気解放。敵の出で立ちは純白の狩衣姿。
「紛い物の、尖兵が……っ」
即座に体を切り返して大鎌に力を籠めた。神気と魔力で膂力を強化、それでも五分。
獣声で唸りながら横蹴りで相手を吹っ飛ばす。距離が空いた直後、すぐさま追撃。
《闇雷》。黒い雷が迸り、シャルディムへと殺到。
「唵」
呪符を取り出し障壁を展開。術式同士が衝突し相殺された。
「ぐっ……」
兜の下で苦悶に顔を歪めた。代償系は自身の生命力を糧とし効力を強化する術式。
術式によって削られた生命力は、暗黒神の眷属を武器に憑依させ《血刃》で相手からそれを奪い取り回復する。それが暗黒騎士の定石だった。
現状、今のゾグレフに《血刃》は使えない。頼れるのは手持ちの回復薬だけ。
『余光』は本当に直接戦闘には向かない権能だ。それでもやるしかない。自分に言い聞かせる。
《邪炎》。黒い炎が宙を駆けて燃え盛るも、障壁に阻まれ相殺。爆炎が巻き起こる。
煙幕から抜け、気流を纏いながらシャルディムはゾグレフ目掛けて屋根を疾駆。速い。術式の補助がある分、速度ではあちらが有利。追い付かれるのは時間の問題。
(それでいい……)
接近戦が苦手という意識を敵に擦り込めば、それだけ罠に嵌めやすくなる。
逃走劇の末、ゾグレフとシャルディムは同じ屋根の上で対峙した。最短距離を奔る時こそ勝機。相手に手を付き出し、術式を発動。《暗霜》。身を切る冷気を発する無数の氷柱が直線状に突出して敵に迫る。氷柱が相手に迫る瞬間、その手に光るものが見えた。御守。
《反射》。自ら放った術式が跳ね返って来る。
「チッ」
防御障壁は使えない。喰らうまいと横っ飛びで回避。路地に降り立つ。そこに吹き付ける強風、敵が来る。
身構えた先に居るシャルディムは風を纏っていなかった。驚愕に目を剥くゾグレフに影が落ちる。
《似姿》。敵は頭上だった。飾太刀の斬撃を咄嗟に受ける。続く二撃、三撃と凶刃が襲う。
刃部を宛がい、鍔迫り合いに持ち込んだ。しかし息つく暇はない。
敵は膠着を保ちながら片手を離すと、腰元の脇差に手を掛けた。殺られる。押し下げに抗えば、相手は鍔迫り合いを解除。間隙が空く。
「おあっ!」
気合一閃。逆手抜刀による奇襲を石突きで叩き落とす。
シャルディムはすぐさま脇差を手放すと、今度は大太刀からも手を離した。狩衣の懐から短刀を取り出す。
大鎌を振るおうとすると、右手が独りでに揚がった。
視線を寄越せば釣り針の鉤爪が手甲に食い込んでいた。自由が利かない。迫る白刃は脇差の鎧の隙間を狙った一撃。咄嗟に身体を捻って受け流す。
安堵する余裕はない。右手が拘束から解放されたと思う間もなく、鎧に左拳が宛がわれていた。
「しまっ――」
《寸勁》。神気と魔力で強化された拳を喰らったゾグレフは、後方に吹っ飛ばされた。
「ガハァッ」
瓦礫の山の下敷きになった彼はそこから這い出すと、込み上げて来る血を吐瀉。板張りの床が汚れた。威力が内蔵にまで浸透していた。
ほうほうの体で視線を前方に戻せば、キラリと閃く赫灼。灼熱の豪火球が石壁を呑み込みながら驀進。ゾグレフは、猛然と突き進む豪火球が生み出す赫焉の閃光の中に消えた。
建物が爆発。灼熱と閃光が周囲に大気を叩く轟音を響かせた。
〇 〇
爆発の粉塵が舞う中、シャルディムは浮遊するエブリシュカと共に立ち昇る黒煙を眺めていた。快晴の空も今は鈍色。
「色々聴き出さなくて良かったの?」
「うっさいわね。燃やすわよ?」
両の肩口に張り出した赤竜が口の中から火の粉を散らす。それにしても、彼女はいつにも増して刺々(とげとげ)しい。
彼女の体表を走るのは恐らく何かの術式。ともすれば精神が高揚しようというもの。
だが、それに反しエブリシュカの顔は険しい。シャルは疑問符を浮かべて首を傾げる。
「っていうか。なんでそんなにピンピンしてるのよっ ズルくない?」
「まあ、精霊に睡眠欲は無いし……」
「ケッ!」
シャルの言葉に対し、鼻息を荒げそっぽを向くエブリシュカ。敵の権能による強烈な催眠効果に抵抗している身としては、理不尽に思っているのだろう。
危害を加えて来る訳でもないので、シャルば静観を決め込んだ。
「あ、そう言えば。オヴェリア様から何か――」
「旭祭司から襲撃を受けてる」
どうやら、事前に連絡を取っていたらしい。忌々しげに吐き捨てた。余程、腹に据えかねた事があったに違いない。これ以上刺激しないように注意を払う。
「それっていつ頃の話? 今は――」
不意に、聞き慣れない旋律が二人の間に流れた。煽情的な意匠の胸元に手を入れると、彼女はスマホを取り出した。
「何?」
(ドコに入れてるんだ……?)
言葉には出さず沈黙を貫く。エブリシュカはというと、辛辣な言葉で不機嫌を隠すことなくスマホ越しにオヴェリアと話し込んでいた。
ややあって、
「面倒なことになったわ。オヴェリア、来れないって――――チッ」
通話を終えたエブリシュカは、憎々しげに歪めた顔で舌打ち。先程の会話は互いの現状確認。オヴェリアの戦艦フォルネウスは中破で戦線を離脱。朔夜とゼルティアナは竜騎兵とイシャードに向かっているらしい。
他の十二仙はそれぞれ駐屯地にて旭祭司との戦闘と、配下による市街地での攪乱戦術によってその場から離れられない。
十二仙の英雄がもたらす安心感。それと攪乱戦術による混乱、それに期待と不安が綯い交ぜになった結果だろう。これが敵の陽動作戦なら、効果は如何なく発揮されていた。
「取り敢えず、メルティナだけは死守しろって」
言われるまでも無い。敵が片付いた以上、長居は無用。すぐさま神殿に引き返そうと足を向けた。
それにしても、
「ちょっと。なんであの雲、いつまで経っても晴れないのよっ⁉」
声を荒げるエブリシュカ。
旭祭司が作り出したと思われる鈍色の雲。倒して時間もそれなりに過ぎたというのに、今なお雲は上空で鎮座していた。確かに不自然極まりない。
(他の誰かが、操っているのか……?)
そうとしか考えられない。権能について自分たちは理解が足りていない以上、憶測の範囲を出なかった。
晴れることない曇天。見上げながら走っていると、突如として黒い影が雲を掻き分け落下して来た。
「「⁉」」
空からの落下物。それは濃紺の羽毛に覆われた大怪鳥。そのまま羽ばたくことはなく、力なくシャルの目の前にある家屋に頭から突っ込んだ。




