鈍色の空
ヴァイスとの念話を切った直後。漆黒の鎧に大鎌を携えるゾグレフは自身の聖印に魔力を注いで権能を使う。
住宅地の路地裏で城壁のすぐ足元のここなら、誰にも見つからずに済んだ。
「我が権能は『余光』。太陽が過ぎ去りし空に残る淡い闇」
突き出した左手からは、細い煙が立ち昇る。町の上空にまで達すると、鈍色の薄雲の如く急激に面積を増大させていく。
権能を発動させ雲が形成されていく途中、貧民街の方で急速な魔力の高まりと神気の放出を感知。
あそこにはディオンとヴァイスが居た筈。ゾグレフは慌てて家屋の壁を駆け上がって屋上に着地。そこで目にしたのは、ディオンとヴァイスの仲間割れ。
「何を馬鹿な事を……っ」
ゾグレフは顔を顰め苦虫を嚙み潰す。しかし、よく見ると新手の参戦を目撃。苦悶するディオンの絶叫を聞いた。物理攻撃を受けないために精霊の姿になっている現在は無防備で、攻撃の直撃は生存が危ぶまれる。
立て続けに致命打を受けたディオン。それでも、聖印は彼の死亡を告げることはなかった。
安堵したのも束の間。足場の屋根を木っ端微塵に吹き飛ばす砲撃を喰らった。
「なんだと…………っ」
驚愕を浮かべるゾグレフ。纏った煙をなびかせながら別の建物に飛び移った。
「まったく、ゴキブリみたいにしぶといの」
忌々(いまいま)しげに吐き捨てるのは、眼帯をした少女。屋上にて小柄な身の丈と遜色ない大砲を構えていた。シャルディムたち、神殿側の冒険者であることは一目瞭然。
「貴様……っ」
「話すことは何もないの」
矢継ぎ早に連射して来る。逐一それを躱し、距離を取った。腕を振り上げ合図を送り、配下の者に迎撃を指示。灰色の装束で両腕に大爪を装備する前衛、灰色の法衣で杖を構えて魔法を繰り出す後衛。それぞれが有機的に連携して相手に襲い掛かる。
「無駄なの」
少女は冷たく言い放つ。足元の屋根を爆破すると、彼女の姿が消えた。
すると、直上から魔力によって形成された砲弾が襲来。三発あったそれを二つ躱し、不可避と悟った最後の一弾は防御障壁で受けるしかない。続く弾丸の雨は悉く配下たちに命中。回避に成功しても、後続の弾幕によって死は免れない。一網打尽だった。
『余光』は発動完了までに時間が掛かる。その間、他の攻撃手段を取ることができない。
故にディオンやヴァイスに実働を担ってもらい、発動までの時間を稼ぐ算段だった。
それにしても、
「貴様。周りに被害を拡大させて、何とも思わないのかっ⁉」
眼下では突然の被害に飛び交う怒号、逃げ惑う人々が右往左往していた。
神の力の源泉は『信仰』そのもの。つまり、イシャードの民の生存には価値がある。無為に殺されて良い訳はない。
相手はビルギットという冒険者。先日この地に来たばかりの新参者。但し、先の超獣との戦闘で攻撃手段などは判明済み。
この地には縁もゆかりもない。それにしたって、無差別に暴れ過ぎだ。分別が無いと言える。
「知らないの」
「は?」
ゾグレフは目を白黒させて聞き返した。
「お前が避けるから街に被害が出るの。被害を嘆くなら、さっさと私の砲弾の餌食になるの」
「なんだそれは……っ」
苦々しく吐き捨てる。
「市民を気にする辺り、色々と企んでそうなの。この場合、さっさと終わらせた方が得策なの」
容赦なく大砲を構える少女。このままでは自身の命が危うい。『余光』の発動完了まではもう少し時間が掛かる。
「くっ…………」
尻尾を巻いて逃げるしかなかった。
(だが、ただでは逃げん!)
ビルギットの砲撃の被害に彷徨する群衆。その人垣を掻き分けて。
これならさすがに発砲できまい。そういう算段で逃げる。この際、頭数の方は気にしない。
「衛兵! 手当たり次第に発砲して、破壊の限りを尽くす無道の輩が出たぞ!」
更に衛兵を呼び付ける。いくら冒険者といえど、公権力には逆らえまい。
すぐに向こうから駆け寄って来た衛兵と出くわした。
「そこの暗黒騎士は、神殿に仇なす異教徒なの。直ちに捕まえるの!」
「なっ……」
声を張り上げるビルギット。機先を制された。後ろを振り返れば、大仰な大砲は姿を消していた。目下、凶器を持っているのは自分だけ。旗色が悪過ぎる。堪らず脇の細い裏路地に逃げ込んだ。
正確に言うならば、ゾグレフが暗黒騎士だったのはもう数年前の話。
常世神や源神への信仰を捨てた今、右手にかつてあった暗黒騎士の刻印は消失しているし、暗黒神の信仰による固有の術式等は使えない。
(まだなのか……っ)
鈍色の空を見上げる。発動完了までもう少し。そのもう少しが永くてもどかしい。時間の経過が常より遅く感じる。猶予が欲しい、ズタズタに喉を掻き毟りたくなるほど。
やがて、壁が立ちはだかる袋小路に来てしまった。
「観念するの」
容赦なく向けられる砲口。砲弾が連射され、防御障壁が軋み上げ悲鳴を上げていた。
着弾の衝撃波で両脇の建物が倒壊。これで逃げられる、と安堵するもビルギットが頭上の障壁を足蹴にして真下のゾグレフに再び砲弾を叩き込む。十発も行かぬ裡に障壁は粉々に砕けた。
しかし、退路はできた。再び通りに出ようとすると、塵埃が舞う紗幕の向こう側から斬撃を仕掛けてくる少女。その強襲を大鎌で受け止め、弾き飛ばすと自身も跳び退る。間に合った。
『余光』の発動が完了する。効果は強制入眠。相手を眠らせて昏倒させる能力。
市内では民衆が屋内外問わず強制的に眠らされていた。表に出ていた人たちが軒並み地に倒れ伏す。
「くっ……」
顔を顰めて頭を抑えるビルギット。おかしい。普通なら発動直後に意識を失っていても不思議ではない。
「ほう……? 『魔眼持ち』か」
それなら、ある程度の耐性を持っていてもおかしくはない。
だが意識があるからといって、権能が発動した以上は何の障害にもならない。神気を纏った大鎌を、渾身の力で振るう。
「むんっ!」
「――――っ!」
大鎌の一撃を、小柄な少女は大砲の方針で受けた。その直前、何か柔らかいものの感触を覚える。
後方に吹き飛んだ少女。壁に激突するも、それほど堪えた様子はない。
「…………ッ」
顰めた顔を、半分覆いながらゾグレフを睨む。眼帯が外れ、輝きの違う双眸が露わとなった。
「なるほど。大気を操る魔眼か」
空気の層による衝撃の緩和。それなら攻撃時の手応えの違和感も頷ける。
「だが、終わりだ」
「アンタがね」
大鎌を振り上げると、背後から影が落ちる。振り返れば赤竜の魔女。二頭、剥き出しの牙を斬撃で払いのけた。尻尾による追撃を跳んで躱し、宙返りから大上段で振り下ろす。相手は両翼を羽ばたかせ急上昇。逃げられた。
ゾグレフは駆け出して裏路地を抜け、市街地より大通りに出る。まずは敵を分断するのが狙い。相手は不遜にも、上空からこちらを睥睨していた。その身体が僅かに紅く光っている。何かの術式を表皮に施しているようだった。
「何故、そこまで明瞭な意識がある?」
大鎌を差し向けながら注意深く観察。
「その口振りだと、空の雲はアンタの仕業のようね?」
紅玉を散りばめ、光り輝く大杖で空を差しながら魔女は質問を返してきた。応える気が無い以上、会話は不毛。神殿の方を一瞥すると真紅の結界が既に張られ、神気を醸し出していた。
これでは迂闊に侵入できない。やったのは恐らくシャルディムとかいう、ナハティガルナ(紛い物)の寵児。本当に忌々しい限りだ。兜の下で顔を歪める。
「随分と余裕ね。ムカつく限りだわ」
「はっ――」
気が付くと、すでにエブリシュカが肉薄していた。前方に展開していた七頭の赤竜。その顎には火球が燃え盛る。
ゾグレフが飛び退くのと同時に一発目。大鎌でそれを両断。矢継ぎ早に二、三発目。真一文字に斬り伏せる。爆炎を突き破って四発目。掴先端の石突きで迎撃。衝撃に神気と魔力を乗せて相殺した。右下の五発目と時間差の六発目は左上。
兜越しに感じた陽炎。空を仰げば、視界を塞ぐ大玉の七発目。身構えていると、着弾の直前に爆ぜた。閃き迸出する熱と光、大気を激しく焼き焦がす。




