黒い精霊
場所を移して屋根の上から周囲を観察すると、群衆の中に偉丈夫の出で立ちを確認する。
どうやら、逃げ惑う住人たちの避難を率先していた。
(愚かですね……)
冷めた目でそれを見下ろす。
冒険者は委託業者でしかない。相手に請われて初めて仕事ができる。
緊急時への対処や治安維持は衛兵や軍の職務。それを冒険者が取って代わるのは、越権行為に他ならない。その領分を容易く破ってしまうからこそ、クロアは彼を心中で罵倒した。
こうなると現状、竜を相手にできるのは自分だけ。
「いやぁ、実に素晴らしい。クククッ」
クロアは降って湧いた窮地に口角を吊り上げ、獰猛な笑みを浮かべる。
先日は超獣。そして今日は旭祭司が操る神気を纏った竜。自身の全力を試すにはまたとない相手。
今までこんな事はなかった。気まぐれでイシャードに立ち寄って良かった。シャルディムの元についてよかった。これだけの強敵と対峙できるのだから。
竜が片手を掲げると、その上に瓦礫が収束、大きな球体を形成した。
それを、風を劈く勢いでクロアに砲射。寸毫の差でそれを躱した。恐怖で身体が凍える。まるで背骨を直接、濡れ手で撫でられた気分だ。
一滴、朱色が落ちる。弾丸の破片が頬を撫でていたらしい。
「これは……」
躱し切れなかった。『払暁』による支援効果も付与されているというのに。
改めて竜に向き直ると、今度はそれが三つ。確実に殺しに来ていた。
一筋の弾丸が漆黒の身体に吸い込まれる。竜の巨体が僅かに揺らいだ。風を切り裂くこの弾丸、間違いなくナガルだ。
竜が姿の見えない発砲者に意識を向けた隙に接近。三つの巌を妖炎で爆砕した。
これではっきりした。この漆黒の竜は地砕竜ギガノセラス。巌を纏い溶炎を吐く擬魔法《溶岩鎧》が厄介な相手。
しかし今のところ、それを発動する素振りは見せない。
敵の権能が詳細不明である以上、使わない理由が分からない。
(実体が無いのが関係しているのか……?)
だが、その問いに答えてくれる人間は居なかった。
妖炎は強力な呪詛でもあるので、実体を持たない精霊の類にも有効な攻撃手段。それでも斬撃が効かない以上、威力の半減は否めない。決定力不足だった。
「嘆いても仕方ありませんね」
敵が死ぬまで、攻撃を当て続けるだけ。普段の戦闘と何も変わらない。
擬魔法は《岩柱》と《岩石弾》しか使わない。それでも神気で強化されている分、威力は脅威だ。それでも攻撃の軌道は単調なので、躱し切れない訳でもない。
繰り出される爪撃と牙による咬撃、そして鉄球のような尻尾の尖端と大角による刺突。神経を研ぎ澄まし、それらを巧みに回避しながら妖炎で爆撃、炎の斬撃で敵を刻み続けた。
互いの攻撃の応酬とは裏腹に、未だ消耗した素振りを微塵も見せない。
ナガルからの援護射撃も今はなく赤竜の魔女が姿を見せない辺り、刺客は他にも居るようだ。
息つく暇もない連撃。凶悪な暴威を躱し、その余波に身を晒し続けていると肝が底冷えして本能的な恐怖で足がもつれそうになる。逸る心を気合で抑え、死線の境界上で竜と踊った。
そして、分水嶺が訪れる。
(影――――?)
暗雲が低く垂れ込む中、竜の周囲だけ更に暗転。見上げると、竜の巨体と同程度の巨石が出現していた。竜が砕いた瓦礫の数々が寄り集まり、それを形成していた。
そして死角から鉄球のような尻尾が風を唸らせ強襲。躱せない。咄嗟に幼炎の爆撃で威力を相殺。緊急脱出をしたは良いが、砕いた壁の瓦礫に埋まってすぐには動けない。
特大の《岩石弾》が来る。
すぐさま妖刀に紫炎を纏う。巨岩の直撃を覚悟した時、一陣の突風が吹き荒ぶ。
絶技《上天の剣》。音の壁を突き破る峻烈な斬撃。
ただ、塵埃の僅かな切れ間から見た斬光は《斬閃》の蒼白ではなく、白金。
《滅却剣》。『悪魔祓い(エクソシスト)』の大技。
『悪魔祓い(エクソシスト)』。不死系魔物など実体を持たない敵に対して無類の強さを発揮する攻撃職。
神聖系の術式と相性がいい銀製武器の装備は、『悪魔祓い(エクソシスト)』だけに許された特別なもの。
バレットブレードや義手などを見れば機工師と勘違いしそうになるが、本人は自分でそうだと言ったことはなかった。
『大粛清』以前の殺伐とした時代では、彼のように自身の戦職が一目で分からないように振る舞うのが当たり前だった。
《滅却剣》が致命傷になったようで漆黒の地砕竜は地面に頽れ、竜の巨躯が風に散る砂塵のように儚く消えていく。
不意に、クロアたちを覆っていた光が消失した。『払暁』の加護が失われた。ヴァイスの方を見ると、漆黒の少女の足元で胴から真っ二つの骸を晒していた。その様子から絶命を悟る。
(なん、だ――――?)
グラリと視界が揺れる。突然、眩暈が起きた。体勢が崩れた瞬間、漆黒の少女の斧槍が迫る。本能でそれに応じ刃部で受け止めた。しかし威力は予想に反して凄まじく、後方に弾き飛ばされた。クロアは更に別の家屋の壁を破壊してしまった。
衝撃の拍子に憑依が解けた。途端に強烈な眠気が襲って来る。咄嗟に甲冑の隙間から露出している鎖骨の辺りにナイフを差し、出血の痛みで少しだけ持ち直す。
負傷の身体に鞭を打ち、よろよろと立ち上がるクロア。そこへ少女がゆっくりと近付いて来る。その傍らには、黒い靄のようなモノが浮かんでいた。
「ノコルハ、オマエダケダ……」
靄が言葉を発したかと思うと、その中で浮かぶ切れ長の鋭い双眸でクロアを睨み付ける。
「精霊、ですか……」
人語を話し人格を持った精霊は上位精霊と呼ばれていた。そんな存在が『黎明破曉』に居たなんて。クロアは驚きを隠せない。
「なるほど。つまり、アナタが本体なんですね?」
言葉を発したのは、漆黒の少女。突如、少女が魔力と神気を発して風が舞い上がる。
「は?」
「ナニ……?」
理解の追い付かない状況にクロアは疑問の声を漏らし、その様子に黒い靄も狼狽えていた。この状況は敵も意図していないようだった。動揺の隙を突いて少女が靄を無造作に掴んで眼前に持って来た。
「つまり、アナタは自身が作り出す影に取り込んだものを自在に操ることができる。というのが、権能のようですね」
ギリギリと力を籠めながらなおも続ける。
「ですが、ワタシのこの子を取り込んだのは悪手でしたね。こうして主導権を握り返されているんですから」
言葉の語調から、どこか得意げなのが分かった。
どうやら少女は屍人形で、遠く離れた所から死霊術師が操作しているらしい。
そして恐らくそれは十二仙の誰か。
多分、本人はこの都市には居ない。もしそうなら、とっくに出張って来ている筈だ。
距離を大きく隔てながらの屍人形の操作。それはクロアの理解を超えていた。
「グ……グ…………ッ」
敵の悔しげな声が漏れる。抵抗もできずされるがまま。最早形勢は決している。
「あまり、ワタシの神刀を舐めないでもらえますか?」
胃の腑が底冷えするような低い声。言い終えると同時、靄を完全に握り潰した。旭祭司だった靄が砂のように虚空に溶けていく。それに合わせ、屍人形の少女も徐々に砂と消えていく。
「いいですか、そこの冒険者。今すぐ神殿の例祭を止めさせなさい。敵の狙い――――」
最後まで言い終らずに少女の身体が限界を迎えた。例祭を止めて欲しいようだが、今のクロアには叶わない。
「くっ…………」
膝を着き、地面に五体を投げ出した。度重なる負傷と憑依の反動が眠気を加速させていた。
身体に力が入らない。瞼も重くなって来た。
遠くで戦闘を繰り広げる音が聞こえる。しかし、馳せ参じる事も出来ずにクロアの意識が闇に没した。




