湯けむりの中で
メルティナは通された脱衣所で汚れた巫女装束を脱ぎ、手拭いを片手に大浴場へと足を踏み入れる。
立ち昇る湯気で視界が僅かに曇る中、人も疎らな浴槽の端の方に膝を着く。桶でお湯を掬い、数回かけ流して血と汚れをそそいだ。
「あら? 見かけない顔ね」
豊満な胸をぷかりと湯船に浮かせながら近付いて来るのは、薄紅色をショートボブにした女性。
見た所、メルティナと同年代。頭の巻いた小角に、腰から伸びる黒い小翼。鏃のような先端の細長い尻尾から淫魔族であることが分かる。人目を惹く金色の瞳を細めて妖艶に笑う様子は、同性のメルティナでも少し心が揺れた。
「その血の臭い。アナタ、冒険者でしょ?」
「…………貴女は?」
警戒しながら尋ねる。血の臭いに忌避しない辺り、同業者の可能性が高い。
火照った頬で艶めく微笑を浮かべ、湯船の縁にもたれる彼女。水面から浮かぶ背中には、刻まれた精緻な魔術式が小翼の影から垣間見えた。
画数が尋常でない。彫り込んだ際の痛みはどれ程であっただろうか。伴う激痛を鑑みると戦慄し絶句した。
「アタシはエブリシュカよ。見ての通り、冒険者。アナタは?」
「メルティナ、です。私も、冒険者を、しています」
首を傾げるエブリシュカに、少し調子を取り戻したメルティナはたどたどしく自己紹介。
「そう。よろしく~♪」
にっこりと相好を崩し、ひらひらと手を振るエブリシュカ。その物腰の柔らかさから、悪い人ではなさそうだ。彼女の印象をそう結論付け、安堵する。
身体や髪をお湯で丁寧に洗い流し、メルティナも湯船の中に腰を落ち着けた。お湯の温度は額に汗を浮かべるほどの熱さ。
しかし今はそれが心地よく、内側から温まる。
お湯の浮力に包まれて身体が軽い。疲労が解け出るような感覚がこの上なく気持ちよく、思わず顔が綻んだ。気が緩み、自然とエブリシュカとの会話が弾む。
「ふ~ん、そっか。メルティナって、巡礼者なんだ♪」
巡礼者とは神楽を舞うことによって《アニマ》を収斂し、それを攻撃に転用する魔法職。
冒険者は職に就く際、神殿で洗礼を受けて紋章を刻まれる。メルティナの右手には巡礼者固有の紋章が刻まれていた。
「ち・な・み・に♪ アタシは召喚師だから♪」
前かがみになると谷間を押し広げて召喚師の紋章を見せて来た。いちいち煽情的で、明らかに男性受けを狙っている。いかにも性欲が強く開放的な淫魔族らしい。
「それで。泣き腫らしたみたいだけど、なにかあったの?」
座り直し膝を立て微笑するエブリシュカが、顔を覗き込むようにして尋ねた。
「その、色々ありまして……」
言葉を濁すと「そう」と短い返事に止め、それ以上は追及しない。その配慮が嬉しかった。
「いやっほ~~♪」
「なのです~♪」
至近距離で噴き上がる水柱が二つ。二人は頭から跳ね上がったお湯を被ってしまった。
「ちょっと、バカ双子っ 何してくれてんのよ!」
怒りに任せて両拳を握り、いきり立ったエブリシュカが声を荒げる。立ち上がって程よい肉感の肢体が露わとなり、ふくよかな胸板が揺れた。
「「ぷはぁっ」」
勢いよくお湯から顔を上げた二人の少女。彼女たちはエブリシュカを無視してメルティナを取り囲む。
「え、と………」
双子というだけあって、外見は瓜二つ。白磁の肌に短く尖った耳は森人の証。榛色の髪はセミロング、飴色の双眸が好奇の眼差しを向けて来るので、思わず顔を引き攣らせてたじろいだ。
「ねえねえ。さっき、シャルと居たけどさっ」
「しっぽをモフモフ、させてもらったのです?」
「もふ、もふ………?」
言ってる意味が分からなくて、聞き返してしまうメルティナ。
「そうだよ。モフモフで、すっごい触り心地が良いのっ♪」
「病みつきになるのですっ♪」
「はあ………」
二人は上気した頬で顔を輝かせながら力説。その勢いに気圧されて言葉が出て来ない。
「ちょっと、二人とも」
呼び掛けたエブリシュカ。双子が振り返った瞬間、バシャッと顔にお湯を掛けた。
不意を突かれて直撃を受け、目に入ったようだ。狼狽し口々に抗弁する二人に対し、
「うっさいわね、他人の気分害しておいて。いい気味だわ」
「やったなあっ」
「お返し、なのですっ」
ふてぶてしく見下ろすエブリシュカに、水切りでお湯をかけ返す二人。
「上等よ、クソガキどもっ 大人の風格を思い知るがいいわ!」
大人げなく応戦し、お湯の掛け合いが始まる。メルティナは余波の飛沫に晒された。
「ほら、メルティナ。挟み撃ちよ、挟み撃ちっ」
「レド。そっちお願いっ」
「先手必勝、なのですっ」
「ちょっ―――ぷあっ」
メルティナはお湯の直撃を喰らい、堪らず顔を背けた。
「~~、えいっ」
理不尽。そう感じて反発心が生じ、両手で書き上げながらレドベージュにお湯を掛けた。
大浴場の湯船の隅で、四人は童心に帰って互いにお湯を掛けまくる。
掛け合いに興じていると心がほぐれ、自然と口元が綻んだ。
最終的にエブリシュカが停戦を申し入れ、ソルベージュの勝利宣言で閉幕となった。
四人は肩で息をしながら、壁にもたれてお湯に浸かる
「そういえば、メルティナ。アナタ、あのクソガキと一緒だったのね」
浴槽の縁を枕代わりに、横目でメルティナを見遣るエブリシュカ。どうやら顔見知りらしい。その理由を尋ねると、
「ギルドマスターの命令でね。アイツに雇われる形でここに居るのよ」
うんざりするような表情でそれだけ口にすると、浴槽の縁を枕に瞑目しくつろぐ。
「ちなみに、その双子もおんなじよ。ホラ、自己紹介」
「アタシ、ソルベージュ♪」
「レドベージュ、なのです♪」
弾ける笑顔を向ける二人に、メルティナも自己紹介で返礼した。
「メルティナはさ、なんでシャルと一緒だったの?」
「気になるのです」
「ちょっと、二人とも。少しは遠慮しなさいよ」
屈託ない笑顔で事情を尋ねるソルベージュとレドベージュ。そんな二人をエブリシュカが咎めた。まあまあ、とそれをなだめながらメルティナは、ポツポツと経緯を語り始める。
一通り聞き終えると、ソルベージュが喜色を浮かべ、
「イヤなことあったんなら、モフモフさせてもらうといいんじゃない?」
「あの手触りは、とっても癒されるのです♪」
シャルの尻尾について力説する二人。獣人の尻尾は性感帯で、本当に親しい相手ではないと触らせてもらえない筈だ。その事を尋ねると、
「「大丈夫大丈夫♪」」
双子は破顔して頷いた。心配なメルティナはエブリシュカの方を見遣る。
「まあ、大丈夫じゃない? 言うだけならタダだし」
そういうものなのか。今一つ判然としないが、そういうものだと結論付けた。
湯上り、神殿より支給品されている楚々とした巫女服に袖を通し、今は神殿より奥の宿泊施設の寮に移っていた。
また後で。三人とは笑顔のまま別れ、ありがとうと二言三言、去り際に言葉を交わして浴場を後にした。
メルティナは同じ巫女装束でショートヘアの小柄な女性、アニスに恭しく頭を下げて良くしてもらった礼を述べる。
「本当に、何から何までありがとうございました」
風呂上がりでほぐれた身体と芯に残る火照りが心地よい。濡れた琥珀髪と上気した頬は見る者に艶美さを感じさせた。
「いえいえ、お気になさらず~♪」
柔和な笑顔を浮かべる彼女は鉱人。背丈は赤鬼の半面を被る少年よりも小さい。
「他に何か、ご要望はありますか~?」
くりくりとした飴色の瞳が可愛らしい。アニスは年上の女性だが、小動物的な魅力を感じ庇護欲を刺激する。
特にはないが、気になる事が一つ。『血霧』の、シャルディムのことだ。
「あの、シャルディム君のことなんですが……」
「うん。なぁに~?」
メルティナは躊躇いがちに尋ねる。いつから居るのか、とか。
アニスは嬉しそうに目を細め、嬉々として語り出す。
この神殿にシャルディムが来たのは、今年の一月。白猫の獣魔族であるヴァイスと一緒に赴任した。
17時に投稿します。