直談判
一泊した村から戻って来たその日の晩。エブリシュカは、再びヴァイスの元を訪れていた。
「こんな時間に、何か御用ですかにゃあ?」
目を細め、人の好い愛嬌のある笑みを作るヴァイス。しかし、柔らかい物腰に反して警戒の程が窺えた。その証拠に、左の手の甲は一度たりとも見せて来ない。
(やましいことがあるって、言ってるようなもんじゃない)
まどろっこしいのは嫌いだ。煙に巻かれる前に核心に迫る。
「で? こないだアタシに何をしたの? その左手の物が何か、関係してるんじゃない?」
ふてぶてしく相手を見下ろしながら、腰元に隠しがちな左手を指差した。
その指摘に長身瘦躯の獣人は猫目を見開き、顔を強張らせる。やはりそうだ、正鵠を射た。
「…………アレは、ただの《活丹頸》ですにゃあ」
《活丹頸》は武闘家が習う回復術。気を送り込んで自己治癒力を強化し回復させる拳技。
「はっ 苦しい言い訳ね。そんなもんくらいじゃ、あの消耗は回復できないから、言ってるの」
エブリシュカの《火竜皇后》は強力な分、反動も大きい。それこそ、解除した後は必ず魔力切れを起こす程に。
そしてあの時はアガーシュラの大魔法を喰らっていた。それが、大したケガもなく魔力切れだけで済んだなんて、明らかにおかしい。
《活丹頸》に回復魔術のような効果はない。精々、《治癒》と同程度。
だからこそ、辻褄が合わない。
「取り敢えず、何もお変わりないようで良かったですにゃあ」
両手を開き相好を崩すヴァイス。気さくな態度も、ただの見せかけ。騙されてはいけない。
「……本気で言ってるの?」
「勿論ですにゃあ」
注意深く観察。噓は言ってない。
「――――なら。あのクソガキに施術しないのは、なんで?」
「…………、やりましたにゃあ」
「そうね。通常の《活丹頸》なら、確かにやってたわね」
でもそれは、エブリシュカに施したものではない。
「ナハティガルナに、バレたくないとか?」
「何を、ですかにゃあ?」
不思議そうに首を傾げるヴァイス。いい加減、見苦しい。
「アンタが、『黎明破曉』の間者だってことを、よ」
「…………」
まるで射殺すような、苛烈な視線。一部の隙も逃さず虎視眈々(こしたんたん)と待ち構える獰猛な獣。そんな風采をエブリシュカに見せ付けて来た。
殺気はない。だが、喉元に鋭利な爪牙を宛てがわれているようで息苦しい。
恐怖に皮膚が粟立ち背筋が凍る。反撃の準備が既にできているのにも拘らず。
しばし、互いに無言のまま時が流れる。
軋る程張り詰めた空気の中、ヴァイスがおもむろに口を開く。
「吾輩は、誰も裏切っては居りませんにゃあ」
「敵か味方か、なんて。そんな話はしてないハズよ?」
彼が溜め息を吐いて肩を落とすと、踵を返して窓辺へと歩み寄った。生憎の曇りで月は出ていない。
「吾輩の左手には、『黎明破曉』幹部の証である聖印が刻まれていますにゃあ」
「――――っ⁉」
掲げた左手の甲に魔力を通すと、独特な紋様が浮かび上がる。冒険者の刻印とは意匠の趣が違う。
やはり。エブリシュカの見立ては正しかった。
「コレを使ってあの子を起こさないのは、今はゆっくりと休んで欲しいからですにゃあ」
窓越しに外を見詰める横顔は穏やかで、細めた目には優しさが滲む。
「とにかく。今はまだ、『暁の巫女』に手を出すつもりはないにゃあ」
「暁の、巫女…………?」
聞き慣れない単語にエブリシュカは眉を顰めた。
「詳しい話は、ご依頼人から聞くといいですにゃあ」
その後。ヴァイスは口を閉ざし、疑義を呈しても何も答えなかった。
仕方ないので踵を返し、自室に戻ってからオヴェリアに事の詳報したのは言うまでもない。
にしても、ヴァイスは良く分からない。敵なのか味方なのか、そこが曖昧で判然としない。
『まあ、あの白猫ちゃんには手を出さない事。正体バラして何もしないってことは、行動を起こさなくてもいい何か根拠があるってことだから。藪蛇厳禁。いいね?』
「ええ……」
釈然としないが、ここは彼女の提案を受け入れておく。
『そっちに着いたら、態度をハッキリさせるよう仕向けるつもりだから』
それまで待って。そう言われては、エブリシュカにできる事は何もない。
レニファや他の子どもたちに被害が及んでも後味が悪くなるので、大人しく静観を決め込む事にした。
報告を終え、スマホの通信を切ったエブリシュカは軍の動向を暫く見届けた後、神殿へと帰途に就いた。
〇 〇
シャルディムが目を覚ますと、そこにはよく見知った天井があった。自室で間違いない。
「…………」
右手にぬくもりを感じたので視線をむければ、メルティナが握り締めたまま眠っていた。
日の高い陽光に晒されながら、ベッドの傍らに膝を着いて今は密やかに寝息を立てている。
(う~ん。なにか、忘れているような……)
未だ覚醒し切らない頭で上体を起こすと、ぼうっと虚空を見詰めながら考え込んだ。
「ぅ…………ん……」
閉じられた瞼を揺らし、メルティナがゆっくりと紺碧の瞳を見開く。
「おはよう、メルティナ」
「あ、おはよう、ござ――――――シャルっ⁉」
驚愕を浮かべる彼女が頭突きをかます勢いでシャルに顔を近付けた。その勢いに気圧され、眠気が完全に吹き飛ぶ。灰色の双眸を白黒させた。
「もう、大丈夫なんですか?」
「う、うん……」
「ああ、よかった…………っ」
感極まって涙を浮かべると、堪らずといった風に小柄なシャルの身体をひっしと抱き寄せる。
「む、むぅ――――」
厚い胸板に顔が埋まり、息が詰まった。
「よかった。本当に、良かった…………っ」
言祝ぐメルティナは嬉しさを噛み締めるように。嗚咽で肩を震わせる彼女の言葉が耳朶を打つと、くすぐったく感じた。
意識が完全に覚醒すると、途端に記憶が蘇って来た。
あの時。腹部を棘に貫かれたシャルは、身体が真っ二つにならないように両手両足で押し止めていた。
やがて棘が伸び切ると、血を吐きながら足を掛け腕で引き抜きそのまま落下。
朦朧とする意識の中で鞄から呪符を取り出し、血で喉が詰まっていたから形代で腹話術。詠唱を省略して《祝福》。
内臓はボロボロに傷付いてはいたものの、奇跡的に喪失はしていなかったので辛くも一命を取り留めた。
《遮蔽》の障壁を利用して軟着陸すると、安堵からそのまま意識を手放した。
しかし、疑問が残る。外界から徒歩で戻る場合、イシャードに着くにはどうしても数日を要する。
今は何月何日なのか。それを確認すべく、押し潰しに来る胸元から逃れてとりあえずは人心地。
「あれから、何日経ったの?」
「あ、はい。今日で二日目ですよ」
二日。という事は、今日は神楽奉納の当日。神楽について尋ねると、
「それが。ヤズフィリオさんが、今月は自粛しようと……」
殺人事件があった手前、縁起が悪い。それと、超獣の出現で巷間が騒然としているのも手伝って客足が見込めないから、という理由もあるらしかった。
「冗談じゃない。それこそ、あのクソ共の目論見通りだし。何より、巷が不安に包まれているなら尚更、いつも通りに過ごして皆を安心させてあげるべきじゃないか」
寝ている場合じゃない。すぐにでも直談判しなくては。
「シャル?」
ベッドから出て、すぐさま着替える。黒袴を穿き、群青の狩衣に袖を通して身支度を済ませると、即座に部屋を後にした。メルティナもその後に続く。
廊下に出ると、今は昼時のためか寮の中は閑散としていた。外の中庭で遊びに興じる子供たちを見守るリタラを見付けると、声を張って呼び掛ける。
「シャル? もう、身体は大丈夫なの?」
「そんなことより。ヤズフィリオは?」
どこに居るのか尋ねると、いつも通り神殿に居るという事なのでそちらに足を向けた。
旺盛な気迫が漲る錬武館を横目に見ながら神殿の境内へ。
神殿内を虱潰しに歩いていると、やがて浄衣に身を包む森人の男が外部との連絡を司る放送室から出て来た。




