後始末
両腕に手甲を嵌めた女冒険者、タリサは怯えるように首をすくめながら辺りを見渡す。
『血霧』によってアレクセイは死に、タリサたちのパーティーは瓦解した。先程の光景が瞼の裏に焼き付いて離れない。
ガストを縛った縄を断ち切ろうと双剣で斬り付けた瞬間。縄は爆発し二人は殺された。
縄の中に何か罠が仕込まれていたらしく、剣が触れた瞬間に起爆。即死だった。
防御障壁は攻撃の際、不能になる。その無防備な一瞬を狙った狡猾な罠。徹底的に防御障壁の弱点を突いた戦術。明らかに場数が違った。
どうして、アレに勝てると思ったのだろう? タリサは今更ながら自分に疑問を抱いた。
『血霧』に姉が殺された。訃報を聞いたのは今から二年前。
孤児院で育ったタリサは、姉のような立派な冒険者になりたくて自身も研鑽を重ねた。
訃報を聞いた後は、姉への思慕が激しい憎悪に変わり復讐を心に誓った。
冒険者になり稼業を続ける傍ら『血霧』の情報集め。アレクセイとはその過程で出会った。
同じ相手に復讐を誓う仲間を募集しているとあって、二つ返事で仲間入り。
そこで恋人、デジクと出会った。
鎧で全身を覆って復讐心を押し殺し、あくまでも理知的に振る舞う。そんな彼にいつしか惹かれていた。
復讐心に胸を焦がしながらも気持ちが通じ合うのは、なんとも不思議な感覚だった。
やがて二人は思いを重ねた末に心と体を重ね、復讐を終えたら添い遂げようと愛を誓った。
だからこそ。いとも容易く爆殺された瞬間は、目の前が真っ暗になった。
膝から崩れ落ちそうになるのを気合で持ち堪え、共に誓った復讐を胸に対峙した。
だが、アレクセイを罠で嵌め殺し、仲間に殿を任せて屋敷にとんぼ返りする姿を見て悟った。勝てない、と。
復讐の狂熱は消え去り、虚しさに身体の芯が冷え切った。心が、折れた。
雇われただけの神官ニールセンや狩人のフォグオロも同じだったらしく、敵前逃亡。その後の事は知らない。
そして現在、城門の関所に来ていた。注意深く周囲を観察し、『血霧』の姿を探した。
不意に、群青の狩衣に目が釘付けになり、飛び出すほど心臓が跳ねた。
よく見ると神殿守護職の一団。あれらの中にアレが居ないか、油断なく見定める。
銀髪の獣人も、赤鬼の半面も見えない。取り越し苦労にほっと胸を撫で下ろす。
こんな所、早く出よう。宿屋に荷物を置き去りしているが、構うものか。
固く決意し、粛々と列に並び順番を待った。
多分もう、敵は追撃を諦めた。並んで待つ間、そんな楽観が心の中で醸成されていった。
漸く自分の番が回ってきた所、
「すまんが、ちょっと来てくれ」
両脇を固められ、何事かと戸惑いながら関所の施設内に通された。
不安だったところに紅茶を勧められ、その美味しさに感嘆し緊張がほぐれた。
「実は、お前に会いたがっている人が居てな……」
呼んで来る。そう言い残して役人は席を立った。
(誰だろう? フォグロ? それともニールセン?)
二人の顔を思い浮かべる。二人とも忍者のグレオよりは胡散臭くないから、まだ信頼できる。
しかし、『血霧』が即時反転を強要するグレオの秘策とは何だったのか?
恐らく聞いてもロクなものではないし、まともな死に方はしていない筈。そう結論付けた。
(まあ、またパーティー組まなきゃだし、一緒に旅しても――)
「間違いない?」
「ああ。言われていた外見と、一致している」
聞いた事のある少年の声。それもごく最近。どこだったかは、思い出せない。
連れて来たぞ。その呼びかけにタリサは答える。
「では失礼」
仕事が忙しいのか、それだけ言い残すと業務へと戻っていった。
「ありがとうございました。今度、何かお礼の品を持って来ますよ」
「ああ。期待している」
部屋の外でそんなやり取りをしているのが聞こえた。しかし、誰だろう?
部屋に入って来た少年を見た時。タリサは瞠目し絶句した。
血に汚れた群青の狩衣と黒袴。頭には赤鬼の半面を被った銀髪の獣人。
「さてと。お前で最後だ」
憤怒も嘲笑もない。ただ淡々と事実を述べるだけ。それが何より怖い。
『血霧』。誰よりも会いたくなかった人物が、部屋の入口に立っていた。
チリチリと首筋を焼く焦燥。じわじわと絶望が胸の内に広がる。
最後だ、の台詞。これが本当なら、二人はもう―――。
意味が、分からない。
目の前の少年は人非人の殺人鬼。それなのに何故、役人は親しげに話していたのだろう?
所作を観察した所、役人は大した戦闘力も無さそうなのに。恐怖を感じないのだろうか?
彼もまた、殺戮に加担する殺人鬼なのだろうか?
わからない。頭が疑問で埋め尽くされて混乱し、思考が纏まらない。
(いや、それしかない……)
つまり門番は『血霧』とグル。そもそも、ここは『血霧』が居を構える場所。相手にとって都合がいいのが当たり前。何故、そんな状況下で戦おうと思ったのか? 軽率さが悔やまれる。
それでも、逃げるしかない。魔力を解放し『錬功』。高速循環させた魔力は全身に力を漲らせる。手甲を交叉させ、渾身の力で壁に体当たり。
「なっ―――」
《反射》の結界に跳ね返された。驚愕に目を剥き、身を翻し着地した瞬間を狙って捕縛縄が身体に絡み付いた。手足を拘束されその場にうつ伏せに倒れる。頭を足蹴にされ口を床に押し付けられて塞がれ、言葉を発する事ができない。
「…………っ」
「この町の住人は、僕が『血霧』だって知らないからね。色々と協力的なんだ」
冒険者は別だけど。その台詞で謎が解けた。本性を隠しているお陰で守護職の一員として街に溶け込んでいるらしい。役人とも親しくなれる筈だ。
(くっ――――!)
抵抗しようにも、施された《魔封》の術式で力が発揮できない。この状況、最早死は確定的。さっきから怖気が全身を駆け巡り、皮膚が粟立ち冷や汗が止まらない。
そして漸く思い至る。何故、『血霧』の情報が殆ど流れて来ないのか。
それは簡単。目撃者を悉く殺して回っていたから。
結界術と符術。そして『精霊化』。それ以外の情報が無いから、他の手数が無いと錯覚させられる。そこが盲点。
『血霧』がタリサの背中を拳で撫でるように軽く撃ち抜く。衝撃が身体の内部に浸透し、心臓が破裂した。
『暗頸』。重さと威力を感じさせない挙動によって致命の衝撃を放つ浸透破壊の技。
タリサのような武闘家が修得するような技。通常、魔道士が使える代物じゃない。
(コイツ、底が知れない………)
薄れゆく意識の中で、タリサは思った。
〇 〇
眩しい西日に空が黄金色に染まる夕暮れ時。
メルティナは『血霧』の少年シャルディムと白猫の獣魔族であるヴァイスに連れられ、彼の所属する神殿、その奥にある寮にやって来た。
出発前。ヴァイスに自己紹介を促されるまで、シャルディムと初対面の時は本当に状況が切迫していたことを自覚した。
「取り敢えず、僕が『血霧』である事は黙っておくように」
メルティナは礼を述べた後、釘を刺された。公式には死亡扱いになっている手前、明るみに出せないらしい。神殿に着いたタイミングでヴァイスは自ら離れていった。
シャルの帰寮当初、血みどろの二人を見た神職の人たちは卒倒しそうなくらい驚いていた。
「どうしたの、シャルっ⁉」
「うん。ちょっと、この人をヤクザから助けようとしたら、因縁付けて来た冒険者たちに殺されそうになったから、正当防衛で……」
嘘は言っていない。それでもさすがに殺戮の限りを尽くした、とは言えないらしい。
どうやら、少年は『血霧』の異名を徹底的に隠しているようだ。
「はじめまして。あたしはリタラ。よろしくね」
気を取り直して名乗り出たのは、自身と年が同じくらいの小柄で明朗な女性。頭の巻き角から有角人というのが見て取れた。
「それで、あなたの名前は?」
「その、メルティナ、です……」
余り迂闊な事は言えない。少年を刺激しないよう慎重に言葉を選んで、おずおずと答える。
野暮用があると立ち去った少年と別れ、神殿が運営する公衆浴場に案内された。
12時くらいにまた投稿します。