鯨飲の大河
超獣に共通しているのはただ一つ。それは途轍もなく巨大だという事。
見上げる程の巨体は、白亜の鋼殻に覆われた人面百足。一軒家程の直径がある長大な蛇腹には無数の鋭い節足が伸びて大地を穿ち、蠍や蜘蛛のように尻尾や胴体を浮かせて立つ。
蛇腹から上には屈強な巨人の胴体に節足のような両腕、肘から先には赤黒い槍のような長い棘。尻尾先端は肥大化し、赤黒い巨大な棘で覆われた鉄球だった。耳目と鼻梁が削がれた白貌は、洞穴のような暗黒の眼窩を晒す。
顔を二分する程の大口は、無数の牙が顎の上下から突き出していた。
超大な質量の顕現。その巨体と圧倒的存在感は見ただけで胸が圧し潰され、息が詰まる。
加えて、微かに漏れ出る膨大な魔力は軽くめまいを覚える程。神気解放で精神が高揚していなければ、とても冷静ではいられなかっただろう。
「この感じ、久しぶりだなぁ……っ」
ふうぅぅぅ、瞑目し長く息を吐いて気持ちを落ち着ける。シャルディムの死因は、超獣との会敵。胃の腑が縮み上がり、嫌でも当時の記憶が蘇る。
それでも――――
「もうあの頃の、僕じゃない…………っ」
両拳を握って相手を睨み付け、決然と言い放った。忌まわしい過去を振り切るために。
「ギョエエエエエエエエエエエエエエエエアアアアアアアアアアアッッ!」
「…………っ!」
天に向かっての咆哮。耳を聾する大音響が暗夜の空気を軋ませた。針で突き刺すような痛みが鼓膜に走り、シャルは思わず顔を顰める。
「アガーシュラ」
仙狐の一体、チーが超獣の名前を口にした。
白亜の軍勢で全てを飲み込む様は白き濁流、或いは氾濫の大河。
その威容を人々は畏怖の念を込めて『鯨飲の大河』と綽名した。
身を乗り出すアガーシュラはこちらを見下ろし、暗い影を落としてくる。シェムヘドが恐れ慄き、情けない声を漏らしていた。
真っ二つに裂けた口を限界まで開くと、眼窩と口からミミズ型の魔物、スクリブルを吐き出した。
白亜の全身で背中の方が刺々しい甲殻に覆われ、口の上下に鉤爪状の長い角のようなものが生えていた。
ボトボトと滝のように落ちていくと、最初の方は下敷きになり圧死して紫紺の体液をぶちまける。シェムヘドは既に飲み込まれており存命が確認できない。
(まあ、生きてないだろうけど)
復讐相手が死んだというのに、大して気分も晴れなければ何の感慨も沸かなかった。
(あんまり苦しんで死んだように見えなかったから、かなあ………?)
跨る雲鳥を南に走らせながら、そんなことを考えた。
スクリブルはシェムヘドたちの死体や乗り捨ててあった雲鳥を鉤爪で引っ掻き、滴る血を啜り肉塊を細切れの挽肉に変えると、今度は共食いを始めた。
互いに引っ搔き合い、滴る紫紺の血で喉を潤す。
アガーシュラはその間、じっとその場に立ち尽くすだけ。身体の表面を振動が揺らし、脆い鋼殻の一部が剥落して地面に落ちた。
壊れた無数の欠片はやがて人間大のアガーシュラとなってスクリブルを一方的に襲った。
赤黒い棘で滅多刺しにされると成す術がないのか、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
環足動物の蠕動よりも節足動物の蠢動の方が速く、餌として喰い潰されていった。
そして、スクリブルを捕食した自身の分身とも言うべきそれらを、アガーシュラは地面ごと食い散らかした。
咀嚼する口端から緑の体液が零れる。全くもって意味が分からない。最初から自分で直接シェムヘドたちを食べればいい話ではないのか。
「やっぱ理解できそうにないね。超獣とか」
後方に派した形代で様子を観察していた。その光景は不合理の極みだった。
「そんなの、必要ない」
並走しているチーは事も無げに切り捨てる。
このまま南進すれば、数日で岩柱群へと到達するがそこまでは超獣の魔力が続かない。途中で魔力切れとなって消失するのがオチ。
だからこそ、シャルは魔力の尽きるまで時間稼ぎをしなければならない。
失敗すれば、城塞都市を襲うだろう。神殿を中心とした結界が侵攻を阻むとしても、周辺の村はただでは済まない。そうなれば食料の備蓄にも不足が出、都市の経済にも悪影響が出るのは必至。それだけは何としても避けたかった。
やがて、アガーシュラはシャルたちの方へと顔を向けた。スクリブルが蠕動して大地を這い、小型の分身体がそれを引き潰すようにして進軍を開始。最後にアガーシュラ本体が無数の節足を蠢動させ、分身とスクリブルを踏み殺しながら駆け出した。
「そうだ。追って来い。お前の嫌いな神気の湧出点はここだ……っ」
後方の形代で追走は確認済み。手綱を引いて早駆け。できる限り距離を稼ぎたいところ。
それにしても、シャルたちに追い縋る白亜の軍勢は確かに、全てを鯨飲する大河と形容できるかもしれない。写実的に詠った先人に思いを馳せた。
ひた走る暗夜の草原。眼前には急勾配の坂と剥き出しになった巨岩。坂と岩の隘路を進むでもなく、岩を迂回することなく《風迅》で加速した疾走で急勾配を一気に登り切る。
坂の終端、崖を躊躇いなく飛ぶ。追撃の軍勢は影すら踏むことなく無様に転げ落ちていった。
崖に留まろうにも、後続と衝突し大渋滞。潰し合って緑の体液が散乱、押し出された個体がそれぞれ落下。あれでは暫く追って来れない。地面に着地し、駆け抜ける雲鳥から振り返ってその様子を見届けた。
(よし。振り切っ――――)
突如、白亜の巨大質量が暗夜の空に舞い上がった。暗雲に節足を向けながら、白貌はこちらを向いたまま。心なしか、口端が吊り上がって笑っているようにも見える。
そう感じた瞬間、皮膚が粟立ち戦慄が全身を覆い背筋が凍った。
アガーシュラが身を翻して着陸。身体のうねりだけで突風が起き、着地の衝撃で大地が砕けて落ち窪む。余波は地震となって大地を揺らし、激烈な振動で遠くの森の木々が倒れた。
地形破壊。暴れれば短時間で辺り一帯の様相が激変する。
事実、血管のように割れた暗黒の谷底や草原の真ん中にある塩の砂漠、永久氷壁の大地など不自然な場所に点在する要害は超獣の仕業とも伝わっていた。
そしてその暴虐は人間のみならず魔物たちも脅かし、生態系すら崩壊させる。
超獣は大陸に救う病魔、呪詛といっても過言ではなかった。
両腕の棘を広げ威嚇。アガーシュラが圧倒的巨体でシャルたちの行く手を阻んだ。
「くっ…………」
落ち窪んだ眼窩は闇が広がるばかり。それでも『見られている』と感じた。
剝落した鋼殻がまた分身となって湧いて出た。ぞろぞろと雁首揃えて本体の前に展開する。
まだ相手は何もしてきていない。両者は対峙しているだけ。だというのに、長大な質量を前にしていると肺が恐怖で凍り付く。
「ふぅーーーーはあ……っ」
意識的に呼吸をしてないと恐怖が全身を支配し、頭が真っ白になって発狂する自信があった。
「大丈夫?」
「心配すんな」
「俺たちがついてる」
「そ~だよ~」
仙狐たちが口々にシャルを期に掛けてくれる。それだけで緊張がほぐれ、胸に闘志の炎が灯る。大変心強い。
指輪状の御守で《反射》の結界を展開。更に雲鳥にも結界を付与。
それを皮切りに、視界を埋め尽くす白亜の軍勢が節足を地面に突き立てながら大軍勢で迫って来た。足音が地響きとなって震動がシャルの方にも伝わる。
しかし動揺はない。倉庫鞄から大弓と矢束を取り出し、敵に向かって番つがえた。すぐには撃たない。十分に引き付けてから。
震動が照準をブレさせる。それでもまだ。やがて軍勢は目と鼻の先。今、放つ――――。
鏃には宝珠が嵌め込まれており、放った瞬間に閃くと《反射》の結界が展開する。
風を斬り裂いて飛ぶ矢の勢いで障壁が軍勢に激突、敵を圧壊し蹴散らしながら陣中深く貫通していく。
《亜種・破軍弓》。ゼルティアナに聴いた《破軍弓》の概要を自分なりにアレンジし再現した。
風穴どころか空白地帯を開拓した。シャルを先頭にそこから敵陣を抜く。
後ろを見れば、後続も差し迫っていた。大弓と矢束を仕舞い、手綱をひいて疾駆。一陣の風と化した。
シャルが狙ったのは敵陣右翼で、そこからアガーシュラを迂回する形で南下を企図。
敵のひしゃげた屍を踏み潰しながらシャルたちが駆けると、同じく残骸を踏み越え空白地帯に殺到して来る分身体。飾太刀を抜刀。向かって来る敵を容赦なく斬り捨てていく。




