二人の救援
多人数相手の場合、シャルは《似姿》と《隠蔽》で相手を攪乱し、戦術の隙を突いて切り崩していくのが常套手段。
真正面からでは歯が立たない。だからこそ、狡猾に立ち回る。
そうでなければ、今頃シャルはここに居ない。それぐらい、過酷な戦いの連続だった。その経験から、この攪乱戦術を採るようになった。
不意に、屋敷に残しておいた形代が一枚、敵襲に反応し蒼の巫女の危機を告げる。
「くそっ」
思わず歯噛みし苦虫を潰す。意識を集中させて屋敷の様子を観測。逃げ惑う巫女の姿が映し出された。戦意喪失した彼女は最早攻撃するという発想も気力も無いようだった。
落ち着け。言い聞かせるように息を吐き出し、腰に吊った縄を撫でる。
外套の男が虚像の隙を突いて猟銃を発砲。シャルを象った虚像が弾けた。
「居たぞ!」
「っ⁉」
出くわした鎧姿の斧使いが声を張り上げた。
「チッ」
舌打ちするシャルは雄叫びを上げて襲い掛かる斧使いに応戦。飾太刀の刃部を上向けて防御の構え。
振り下ろされる瞬間、太刀を振り上げ跳躍し宙返り。斧が地面を砕くのと同時に相手の頭を叩き斬る。
攻撃の瞬間は防御障壁が作動しない。その隙を狙った。頭ごと兜が真っ二つ。絶命は確認するまでもない。
それから大きく腰を落とし跳躍、屋根の上に登壇。救援のためにも、まずは指揮系統を混乱させる。唸る風を巻き上げリーダー目掛けて最接近。飾太刀を振り上げ――
「甘いな」
「――――っ」
背後の視覚から黒衣の仮面男が突如出現。その出で立ちは暗殺者そのもの。最初からこの瞬間を狙われていた。間に合え、シャルは咄嗟に防御。
《奈落の一撃》。渾身で繰り出される漆黒の短刀が結界を破壊した。
「なっ――――」
シャルはその威力の高さに驚愕した。
使用している結界術式は自身が改良を重ねた特別製で、従来の物よりも遥かに性能が良い。
それを暗殺者の奥義とはいえ、一撃で。強さが尋常ではない
絶体絶命の刹那、腰の縄が暗殺者に絡み付き動きを封じた。
『捕縛縄』。《結索》を施術された魔法具。空中で捕縛されたため、そのまま地面に落下した。辛うじて受け身を取り、落命は回避。
敵に動揺が広がる中、シャルは刀身にありったけの魔力を込め―――
「やあああああああああああっ!」
「くっ」
突貫して来た女侍が大上段から一気に振り下ろす。飛び退いて回避。シャルは標的を変更、《風迅》の風を刀身に纏わせ隙を突いて一閃。防御障壁が展開し防がれた。脇差を抜刀し斬り付けるも同じく阻まれる。さすがに硬い。
だからこそ右手で直接触れ、術式へ急激に魔力を流し込む。許容量を超過した魔力が流入し、術式が崩壊した。
術式が形成する防御障壁は堅固で《撃退術式》の防御策を施されている場合が多い。
だが《浸食》で術式と同化すれば、それを回避して破壊できる。
そもそも想定していない。戦闘中に障壁を素手で触られる状況なんて。あり得ないと断ずるのが普通だ。訝しむだけで反応できない。
動揺し瞠目した女侍の首を、翻す脇差で刎ねた。
側面から矢が迫る。振り返り飾太刀で防ぐと、背後から弾丸。十字砲火。半面に施した防御障壁が展開し事なきを得る。が、燃え盛る火球が飛来。纏う気流と障壁を焼いた。そのせいで足場にしていた屋根が崩壊した。
「くっ………」
屋内に着地し、爆煙に包まれながら顔を顰める。こういう事があるから、集団戦はいけない。
灰色の塵埃の彼方から爆発音。捕縛縄に仕込んでいた爆炎符が魔力と感応したのだろう。
統制が取れなくなってくれればいいが。そんな淡い期待を抱きながら防御姿勢で塵埃の紗幕が張れるのを待っていると、
「え―――」
脇腹に当てがわれる手甲、衝撃。壁と激突し瓦礫に塗れながら屋外に弾き出された。
《寸勁》を喰らったシャルは受け身もロクに取れず、無様に地面へ投げ出された。
「がはっ」
吐血。地面を地で汚し口内に血の味が充満した。内臓が軋む痛みに意識が飛びそうになる。繋ぎ留めるだけで精一杯。
(組合の救援は――――期待できないな)
貧民街の住人に危害が及ぶ場合には国軍と神殿より委託を受けて組合から冒険者が出張る事になっている。だが、それらしい布告をする人間が現れた気配はない。
(確かに、住人には被害が出てないけどさ……)
仕方ないので切り替える。その瞬間、纏う塵埃を火球が燃やす。
(は――――?)
爆炎に包まれた。光と熱が大気も含めて焼き尽くす。
(状況は、どうなっている………?)
煙に巻かれて掴めない。着弾の刹那。咄嗟に腕を突き出し、結界を発動し死を免れていた。
指抜きの手袋、手の甲部分に仕込んだ宝珠の《反射》で爆炎を反射した。
息が苦しい。目まぐるしい状況変化に身体が音を上げ、肩で呼吸し喘ぐ。
そこに近付く足音。
「終わりだ。血霧」
凛と響く女性の声。脇腹に喰らった感触からして、コイツが恐らく《寸勁》の下手人。これだけの大鎧、普通は術式の補助でなければまともに動かせない。けれど、身体を極限まで鍛える武闘家を修めているならその限りでない。
武闘家を履修済みな盾役は意外と多い。
大鎧の女騎士が分厚い大剣を空に掲げる。刀身に魔力が走り、術式が発動。辺りが眩い光に包まれた。
(反撃のチャンスはある。爆炎符を手の甲の結界で反射して、緊急脱出を――)
死ね。怨嗟の叫びと共に振り下ろされるその刹那、噴き上がる紫の炎が彼女を焼いた。
術式が不発に終わり、光は霧散。声帯を焼かれた女騎士は床に崩れた。
「いやぁ、中々面白いことになっているようですねぇ」
紫炎の火柱を担いだ白銀の甲冑姿の侍。名はクロア、凄腕の冒険者。
銀狐の半面を被る優男は、怨霊に取り憑かれた紫炎の妖刀を自在に操る。
怨 霊の狂気に呑まれずに太刀を振るうその精神力は驚嘆に値する。
冒険者組合のギルドマスターからの紹介だが、味方としては頼もしい限りだ。
屋根の穴から屋上に出ると、もう一人。彼らと対峙する武闘家はヴァイス。
簡素な道着姿、白い毛並みに長身痩躯で獣頭、ヴァイスは白猫の獣魔族。
彼は大盾と一体化した大手甲を左腕に装備していた。
「ご無事でしたかにゃあ」
「ああ。お陰様でね」
紳士然とした穏やかな声。短く謝辞を返す。
「悪いけど、この場を頼みたい」
「承知しましたにゃあ」
快諾するヴァイス。大手甲を構えて臨戦態勢。
「ええ、いいでしょう。貴方がどんな愛を紡ぐのか、見せてもらいましょうか」
クロアは相変わらず言ってることが意味不明。理解に苦しむ。
二人に殿を任せると一路、屋敷まで速やかに撤退。
「天翔ける風神の羽根よ。疾く、疾く、疾りて飛べ。《風迅(ブリーズ)》」
術式を揮毫した呪符を用いた『符術』で風を纏い、限界まで加速。一陣の風となった。
回復は後。激痛に軋む身体に鞭打ち、救援に向かった。
(間に合え―――――!)
また、守れずに終わるのは嫌だ。背中を伝う冷や汗が体温を奪い身が凍る。
込み上げる恐怖を噛み締めた奥歯で抑え付け、貧民街を風となって疾駆した。
屋敷に取り残されたメルティナは、言われるがまま『血霧』の帰りを待っていた。
血の池にしゃがみ込んでいるので、巫女装束はすっかり血に塗れてしまった。魔法でも使用しないと多分、落ちない。
「はあ………」
昼過ぎ。日はまだ高いというのに、気持ちは落ち込んだまま。
やりがいのある仕事に出会えたと思ったら誘拐され、身ぐるみを剥がされた末に救援に来たのは最凶極悪の『血霧』。
どんな厄日なのだろうか。気の滅入った顔を俯け、ゆるゆると息を吐き出した。
いい加減、しゃがみ疲れた。膝に手を付きゆっくりと立ち上がる。
(取り敢えず、ベッドに―――)
寝室に響く水音。メルティナのではない。その男は、突然現れた。
「―――っ」
入り口に立つ突然の侵入者。咄嗟に両手で口を塞ぎ、叫びそうになるのを必死に堪える。奇跡的な反射動作だった。
「? なんだ?」
深緑色の忍び装束。同色の布で目元以外を覆う男は間違いなく忍者。
彼は入り口で怪訝そうに目配せし、注意深く辺りの様子を窺う。
体格は小柄でメルティナや『血霧』よりも背が低いが筋骨逞しく横に太い、鉱人。
「絶対いる。間違いない。ゼロスの口振りからして、間違いない」
うわ言のように誰かの名を口にしながら足音を消し、器用に水音だけ立てながら手探りで虚空を掻く。捜索対象はメルティナ。考えなくても分かった。