翻弄
虚像が偵察の視界に入り敵に報告された。それを受けて虚像を動かす。ベッドに着地させ、彼らが目を奪われている隙に『爆炎符』を飛ばし、壁の穴から外に出して結界と接触させ起爆させる。結界が壊れた。
「結界が破壊されましたっ」
急報に戦慄が走る冒険者パーティー。視線が巫女に集中している僅かな間。シャルは袖から紙縒り状にした『爆炎符』を三つ取り出し、広間の方へと這わせた。狙うは巫女と盾役の鎧男二名。
「逃がすか!」
「いや待てッッ!」
鎧男が鋭く言い放ち、斥候役を踏み止まらせる。
「まだ外の見張りから、脱出したという報告は聞かない」
「でも、《隠蔽》―――」
「それも確認できてない。そのための見張りだ!」
《隠蔽》。相手の視覚から姿を消失させる隠匿の結界。二人が被っている外套に施した術式。しかしどうやら、それを看破する術を持っているらしい。
そしてあの鎧男、思った以上に聡明だ。シャルは厄介な相手の登場に顔が険しくなった。
しょうがない。虚像を動かしベッドから降ろし、半壊した扉からでもその姿が見えるようにした。
これで時間稼ぎをする。紙縒り状の呪符はまだ気付かれていない。
「散々逃げたように偽装したのに。まさか、一瞬でバレるとはね。大した頭脳だ」
『腹話術』。呪符に魔力を注いで声を発する術法。台詞に合わせて口元を動かす。そして不敵に笑う表情も。
「毒婦はどこだ?」
「ふん、教える義理はないね」
鼻で笑い、軽装の男の問いをはぐらかす。部屋の四隅の内、自分たちの居る場所の対角線に視線を一度だけ送りながら。相手の耳目を引き付けるように虚像を動かしつつ、並行して『爆炎符』を物陰から物陰に這わせて標的の後頭部へ。ゆっくり、物音を立てず慎重に近付ける。
「それよりも。君ら誰かと勘違いしてない? 『血霧』なら死んだよ」
この国の巫女を誘拐して。冒険者なら、誰でも知っていることだ。
「見え透いた嘘は止めろ。調べは付いてる」
(誰だよ。バラしたヤツ……)
人の口に戸は立てられぬというが、シャルは情報を流した奴を殺したくなった。
「ちょっと待って。成人すらしてないこんなガキに、あんな大量殺人ができると思う?」
「そのガキが、大勢の冒険者に囲まれているのにも拘らず、冷静に応じている時点で違和感しか覚えないが?」
ぐうの音も出ない。今更見逃す気はないことを漸く悟る。
「そんなにあの女が大事か?」
「違う。たまたま助けただけなのに、僕と関連付けられてお前らに殺されるのが不憫と思っただけだよ」
嘘は言っていない。時間稼ぎの結果、紙縒り状の『爆炎符』は巫女の背後に回り込んだ。
外から竪琴の音色が風に乗って流れて来る。吟遊詩人が使う魔術、『楽奏術』。
戦闘能力の向上を指向する魔法支援。数の暴力と合わさると相乗効果でかなり厄介。
だが、まずは巫女。回復役であり結界術の専門家を排除するのが最優先。
戦闘の際に存命だと難易度が跳ね上がる。下手を打てば状況が詰む程に。
「唵っ!」
起動鍵語を口にした巫女が再び結界を展開。また閉じ込められた。彼女がそれを報告し男が良し、と首肯した瞬間。
「唵」
呪符を起動させ巫女の後頭部を爆砕。炎が閃き血肉が焼け爆ぜる。回復できないよう頭部を焼失させ、彼女は即死した。
彼らが『爆炎符』を無警戒なのは、無理もない。
術式の暴走を攻撃に転用するという、常軌を逸した発想を実践するのはシャルだけ。
従来の符術にはない。故に、相手の不意を突くことが容易にできた。
肉の焼け焦げた臭いが煙と共に広がった。手甲の女が悲鳴を上げる。皆が巫女の首なし死体に気を取られている間、残りの二つを鎧男二人の後頭部に飛ばし唵。貼り付けた呪符は二人の頭を吹き飛ばした。鎧が音を立てて瓦礫に沈む。
通常、彼ら盾役の鎧には結界と同程度の防御力を誇る防御障壁が施術され、攻撃によって反射的に起動しそれを防ぐ仕組みになっている。
けれど、それは同時に欠点も存在した。密着した状態からの攻撃に対し、全く反応しないという欠点が。
ある一定以上の間合いと攻撃速度があって、障壁は初めて反応する。接近する物に際限なく展開しては、逆に使い勝手が悪い。
更に手札を切る。鞄から青い宝珠を四つ取り出した。
宝珠は魔術の触媒である魔晶石に術式を刻印し綺麗にカットした物。それに魔力を送って式を展開。石を依り代に、白銀の長毛が麗しい大きな狐、仙狐を四体召喚した。《仙狐招来》。そこへ《似姿》を四枚発動。銀狐の頭数を増やす。
壁の穴から結界に張り付けた『爆炎符』でもう一度破壊。突破口を作り、会話させていた虚像を脱出させた後で術式解除。続いて銀狐と虚像を外へ向かわせ見張り役の方へと差し向けた。
『血霧』と叫ぶ怨嗟の声が聞こえたが無視。銀狐たちに釣り出され、彼らはヤクザたちの半壊した屋敷を後にした。
風がそよぎ、静寂が訪れる。
「はい。ちょっと手、出して」
相変わらず外套を被ったまま納刀し、魔晶石をちりばめた指輪を取り出す。それから空いた右の手の平を彼女へ伸ばした。
『聖印』。この大陸を鎮守する常世神との誓約の証。それが右の掌に刻まれている。
「…………」
無言でおずおずと差し出された手。長い白魚の指に《反射》の結界術を施した指輪を通す。そして発動させた。
「ちょっと、ここで待ってて」
「あの――」
「時間がない」
後で。《隠蔽》の外套から抜け出し、立ち上がる。
「天翔ける風神の羽根よ。疾く、疾く、疾りて飛べ。《風迅(ブリーズ)》」
足に張り付けた呪符が風を舞い上げ、身体に纏う。広間に出ると一足飛びで屋敷の外へと出た。
シャルの周囲を包む舞い風が空気抵抗を減じ、高速移動を可能にしていた。
「よし」
飾太刀を抜刀し、駆け出して敵の一団を追う。
事前に相手の後方に形代を配しており、状況を俯瞰しながら《似姿》を操り仙狐たちと連携させていた。
召喚師が呼び出した幻獣は、竜を彷彿とさせる容貌に長い尻尾。漆黒の長毛に覆われた人間大の犬、ブラッグドッグ。恐らく、これが《隠蔽》を看破する手段。彼らは精霊と同じく、隠蔽結界を看破する事ができた。
召喚師とブラッグドッグは辺りを注意深く見渡してシャルを探す。だが、無理だ。彼らの死角となる場所を選んで距離を保って走っているから。
注意が他に逸れている間に仕留める。仙狐の核となっている宝珠に魔力の経路を通して思念を送り、《似姿》を先頭に仙狐三体を向かわせた。他の一体と三体で相手方を攪乱し、救援に向かわせない。
種々の幻獣を召喚。《似姿》の虚像がそれをすり抜けて召喚師に肉薄。その隙に他の三体で漆黒の犬を強襲。攻撃を喰らい魔力による実体化が解けると、召喚師が屋根に投げ出され
た。すかさず首元に牙を突き立て絶命させる。彼の死を嘆く悲鳴がこだました。
シャルは魔力による肉体活性で更に加速すると敵パーティーの前方へと先行。
魔力を解放する。
ドクン、大気を震わせる鼓動。シャルの身体が急激に成長、それに合わせて魔力量も跳ね上がる。
『精霊化』。死亡の際に欠けた魂魄を幻獣や精霊の魂で補填する事で異形化し、膨大な魔力を獲得できる魔法現象。シャルは死んだ際に聖獣である仙狐で補填した。
全身に先程よりも倍以上の魔力が漲り、シャルの身体が急激に成長した。
更に右手の聖印を魔力で起動させれば、常世神と結んだ経路から魔力が流入して来て魔力量が倍増す。
溢れ出す魔力を体内に押し留めて内圧を高めて身体の抹消部にまで行き渡らせ、更なる身体強化を図った。
長身瘦躯の青年へと変貌したシャルは《似姿》を同じ姿に変えて彼らの前方に飛ばす。
突然の出現に彼らの間で動揺が広がる、そこを突く。虚像と仙狐をけしかけ、炎を吐き散らかして連携を分断。盾役の鎧女を一体が引き受け、斥候役二人を虚像で牽制。
仙狐たちも火炎を吐き散らす一方、幻術で分身を生み出し、更なる手勢で翻弄した。
法衣の男は二体で仕留めさせ、リーダーと思しき軽装の男は残りの一体で足止め。確実に数を減らしていく。