『血霧』と呼ばれた少年
再びライトブルーの巫女装束に袖を通すと、壁際に置いてある自身の双剣と剣帯を装備し終わったと告げると、少年が振り向く。それと同時に、斧がドアを突き破った。
「うおっ 頭っ⁉」
ドア越しに顔を出したガラの悪い男が、首を刎ねられた死体を確認して驚愕の表情を浮かべる。
少年はその男に飛び掛かり、双肩に足を掛け脳天に白刃を叩き込む。
血に染まった刀身を引き抜くと、頭に手を乗せ中空で身を翻してから着地。身を低く駆け出すと、部屋の外に消えた。
それから、扉の向こうは怒号と悲鳴が入り混じる阿鼻叫喚の地獄と化した。
胸に拳をあてがい恐る恐る覗き込むと、少年は背中の大きな飾太刀は抜かず、血を啜る脇差で血煙と共に舞っていた。
魔力による肉体活性もない。それでも誰も少年を止められず、剣や盾を持ち出しても太刀打ちができずに一方的に殺害されていった。
「くそっ ドアが開かねえ!」
「窓も、どうなって――」
窓を割ろうとした男を斬殺。そこでふと、メルティナは疑問に思った。着替えている間、ドアに衝撃音が全く響かなかったのは何故だろうか、と。
(結界術…………?)
予防回復術式。魔道士が使う攻撃遮断の魔術。それが先程は扉、今は部屋を覆っているとしたら、逃亡できない現状も理解できる。手にしていた護符が触媒の呪符だとしたら、得心が行った。
「ガキが、調子に乗るなよ」
法衣姿の男が杖を構える。すると、火の粉を散らす火球が杖の先に出現した。
「喰らえっ!」
鋭く言い放つと、少年目掛けて火球が飛んだ。部屋の中が爆発に包まれた。
「やったか?」
裾で顔を覆っていた法衣の男が煙に目を凝らす。突如、気流が乱れて焼け焦げた下半身の死体が床に倒れ込む。
「っ⁉」
メルティナと男が屍に気を取られていると、上から少年が躍り掛かって男の首を刎ねた。また一人、鮮血の泉に沈む。その後も男たちは抗戦も逃亡も許されず、ただ死体だけが増えていく。
(まさか――――)
『血霧』。
聞いた事がある。年端も行かぬ少年の身でありながら、殺戮の限りを尽くす魔道士の冒険者が居ると。
行く先々は常に血風が吹き荒れ、血煙と怨嗟を纏いながら進む先は、深紅に染まった修羅の道。
故に、『血霧』。
だが、『テルテュス事件』で死んだはず。ならば、目の前の少年は一体何者なのか?
少なくとも、群青の狩衣は神殿守護職の物。つまり彼は神職者。
だが清純な神職のイメージとは裏腹に、あどけなさを残す彼は躊躇いもせず十数人の男たちを斬り捨てた。
最後の一人が血に沈み、水を打ったような静寂が訪れる。
「ケガはなかった?」
メルティナを気遣い歩み寄る少年。そこに惨殺の後悔も、殺戮に対する愉悦も存在しない。
ただ、屈託なくメルティナを慮る優しさだけが、仮面を被るその顔にあった。
「…………」
目の前に広がる殺戮の現場に戦慄し、青ざめるメルティナ。
「? どうかした?」
不思議そうに首を傾げる少年。寧ろ、無感動な彼の方が異常だった。
何かを察知したのか、唐突に振り返って虚空を見詰める少年。顔を顰めたかと思うと踵を返し、魔力を解放し肉体活性。物凄い剣幕でメルティナに襲い掛かる。
「きゃああああああああっっ!」
両腕で顔を覆い悲鳴を上げた。少年はそれを抱きすくめ、部屋に広がる血の池に飛び込んだ。それと同時、広間の屋根が崩壊。破砕音が盛大に轟く。
濛々(もうもう)と立ち込める砂埃が部屋に侵入して来た。少年は抱きすくめるメルティナを促しながら立ち上がると、頭から外套を被せてから入り口の脇に張り付き、ゆっくりとしゃがみ込む。
そこには、崩れた屋根を足場に数人が立っていた。
鎧から法衣まで装束はバラバラ。統一感の欠片もない集団は冒険者のパーティーと相場は決まっている。そんな彼らは周囲を睨め付け、誰かを探しているよう。しかし、すぐに寝所であるこちらに視線を寄越した。バレている。
「神職になっても殺戮趣味は相変わらずだな。ええ? 血霧ゥゥ!!」
「なにが趣味だよ」
軽装の鎧に身を包む男の挑発に、血霧の少年が毒づいた。
「まさかお前が、よりにもよって『毒婦』を手籠めにするとはな。お似合いで良いじゃないか!」
「…………っ」
空を仰ぎ大笑。毒婦。忌まわしい二つ名にメルティナは消え入りたくなった。奥歯を噛み締め、声を押し殺す。
不思議そうに向ける少年の視線に耐えられなくて、顔を逸らし俯く。良かった。濁った血溜まりが何も映さなくて。
そっと、胸元で握った手を少年の手が包み込む。伝わる温もりが沁みる。
「大丈夫。君は、僕が護るよ」
反射的に顔を上げた。すると目が合う。赤鬼の半面越しに灰色の瞳が、真剣な眼差しで見詰めていた。
メルティナはその視線から目を離せなかった。
土埃が立ち込める中。しゃがみながら息を潜めて気配を殺し、広間の様子に耳を傍立てる。
「なにが趣味だよ」
好き勝手に吠える広間の男に小さな声で毒づく。冒険者と思われるが、顔は知らない。外見の特徴も数年前に得た情報にもない。
つまり、全くの初見。血霧の少年、シャルディムは警戒を強めた。
それから男は興味深い事を云っていた。『毒婦』と。
(毒婦、ねえ………?)
琥珀色の長髪をした端麗な蒼の巫女に、改めて視線を向ける。
「…………」
恥じ入るように顔を俯ける巫女。影を落とすその端麗な面立ちの美貌に翳りは見受けられない。
大方、僻みか何かだろう。自分と同じで。シャルは内心でそう結論付けた。
しかし、蔑称で呼び自分と関連付けた以上、逃がしてはくれないだろう。可愛そうに。彼女の不憫を想った。
そして、居た堪れなくて項垂れる彼女の手をそっと包み込む。白雪の柔肌は滑らかで、少しひんやりしていた。それを自身の手の温もりで暖める。
「大丈夫。君は、僕が護るよ」
驚いた顔を上げる巫女。約束は守る。決意を眼差しに乗せて彼女を見詰めた。
少しの間、見詰め合う二人。互いに名前も知らぬまま、惹かれ合うように。
近付く足音を耳が捉え、すぐさま入り口に張り付き状況の変化を見極める。
偵察のために土色の外套を羽織る青年と、深緑色の旅装姿の女性が寝室へと近付いて来た。
外套の青年は大きな猟銃。旅装姿の女性は双剣。恐らくは狩人と探索者。斥候にうってつけの職業だ。だが、目付けは良くない。
冒険者は冒険者組合(ギルド)に登録すると、特殊な技能を持った種々の職業に就くことができる。狩人も探索者も冒険者が就ける職業の一つ。シャルは神職になった今も魔道士に就いていた。
シャルは腰の鞄から術式が揮毫された呪符を取り出す。魔力を込めて飛ばし、部屋の奥の壁に貼り付け、
「唵」
起動鍵語。途端、爆炎が轟き木っ端微塵に砕けた。塵埃の紗幕から外の景色が垣間見える。
『爆炎符』。不完全な術式が暴走して爆炎を撒き散らす自爆攻撃。爆煙に紛れ、外套の下で脇差を握り直す。
崩れた壁の穴が粉塵を吐き出して広間へと流入。二人が警戒して壁に張り付くのを尻目に、人型をした呪符、『形代』を使って状況を俯瞰した。
魔力と意識を送った形代から見える景色。広間に陣取るのは軽装の男以外だと重装備の戦士二人。
それと白と緋色の巫女装束を纏う少女。離れた位置に灰色の法衣姿の男に大手甲の女、他にも神官と思しき青と白の貫頭衣の男。
それから、周囲の建物の屋上に数人。たった一人に大層な事だ。乾いた笑みが漏れる。
男たちが警戒した様子で状況確認。壁の穴の情報はすぐに共有された。
「ヒビキが屋敷全体に結界を張っている。逃走は有り得ない、ヤツらはまだ寝室だ!」
「へぇ、結界ねぇ……」
シャルの口から思わず不敵な笑みが零れた。結界術をどれだけ研鑽を積んでいると思っているのか。格の違いを見せてやる。心の中でほくそ笑んだ。
「あ、あの――」
「静かに」
蒼の巫女を制すると、次なる呪符を取り出す。
「祭儀神の清澄なる水鏡よ。夜映えの月の如く、今一度泡沫なる姿を写し取れ《似姿》」
『符術』。結界術とは違う、呪符のみを媒体とした術式。シャルの虚像が入り口付近の天井に張り付く。これで罠に嵌める。