悪夢
三か月前―――
シャルディムには、旧友との再会と言って出て来た。
別に嘘は言っていない。彼と初めて会ったのはもう、二十年以上も前なのだから。
大分昔に閉山した廃坑の中。地下深部であるにもかかわらず、広い伽藍洞のような内部は真昼みた
いに明るい。
天井に浮かび燦然と輝く大きな光球。それが発する真夏の日差しのような陽光が洞窟内を満たしていた。
『天照』の権能。彼らが祀る神によってもたらされた奇跡の能力。
肌に焼け付く疑似日光。作物を育てるのに十分な光量を放つので、地下水脈と合わせれば廃坑内で自給自足が可能だった。
白昼の廃坑内、白い法衣を着たヴァイスを先導するのは、同じ法衣のフードを目深に被った男。
名をシャムザ。ヴァイスのかつて友であり蒼魔族。青白い肌に側頭部から後ろに突き出した双角が特徴。
獣魔族、淫魔族、そして蒼魔族。これらを総じて魔族と呼称されたりする。
これらは約三百年前、『魔王』と呼ばれる強大な魔力と驚異的な身体能力を持つ異形に率いられ、北の大陸から海を越えてやって来た。
それからおよそ百年後。魔王は斃され、残された彼らの一部の種族が常世神に恭順を示して人類側に寝返った。ヴァイスやシャムザもその末裔に当たる。
しかし、百年の間に積み上がった怨恨は根深く、互いに忌避感や差別意識を持つ者も少なくない。そのため魔族は社会的地位が低く、食い詰めて犯罪に身をやつす者も多い。
それが一層の軋轢を生む悪循環。そんな負の連鎖からヴァイスを引き揚げてくれたのがシャルの師匠であるテオドロスだった。
しかし、シャムザは―――。
「? どうした?」
「………いや。昔の事を思い出していましたにゃあ」
そうか。それだけ言うと再び前を向きヴァイスを先導した。
通されたのは、洞窟内でも開けた場所。そこには一様に白の法衣で身を包んだ数人の男女。彼らは異教徒。その中でも幹部に相当する役職を持つ者たち。彼らが入り口の脇から奥に掛けて二つの隊列を組んで並び立つ。
『黎明破曉』。それが彼らの組織名。紛い物の神々に支配されたこの世界を壊し、衆生が救われる輝かしくも新しい世界を作る事を命題に、約二百年前から活動している。
そこにシャムザ自らが参加していると聞かされ、ヴァイスの組織の中へ足を踏み入れた。
そこで知らされた、約一万年前の真実。
異教徒が常世神を、紛い物と罵る理由。
どれも荒唐無稽ではなく、説明を受ければ得心が行った。
だからこそヴァイスは分からない。自分は一体、何を信じればいいのか。
『ワレヲシンジタテマツレバ、カナラズヤスクイヲ。キュウサイヲ、アタエヨウ』
ヴァイスは正直、自身が救われる事に興味はない。
ただ、慕った師を亡くし、守ると誓った少女と死に別れた少年。彼の魂が救済されて欲しいとは思っていた。
「さあ、わが友ヴァイスよ。今日は君に我らが同胞、その中でも指折りの実力者たちを紹介しよう。信徒たちを束ねる指導者たち。『旭祭司』だ!」
神殿は異教徒を許さない。見つけ次第抹殺、というのが鉄の掟。そして内部情報もある程度は分析済みで、幹部クラスの存在はヴァイスも知っていた。
シャムザを入れて十人。中には仮面を付けている者まで居て素性が判然としない。
声を張り上げ、ヴァイスを哨戒するシャムザ。祭司の彼らの反応は薄く、聞いているのかどうかさえも怪しい。
「よろしくお願いいたしますにゃあ」
フードを取り、恭しく一礼した。
正直、教団の教義も存在意義にも興味はない。
ただ一点。衆生を救う、というのが気になった。
それをどのような手段を講じて実現するのか。神殿の尖兵として、知っておかなくてはならない。
デューリ・リュヌの最大戦力である『神刀十二仙』と連携するという選択肢もあったのだが、下手に接触して異教徒から疑惑の眼差しを向けられても困る。故に、これはヴァイスの独断。
『ソロッタカ……』
(なっ―――)
鼓膜ではなく、頭に直接響く声。ヴァイスは思わず辺りを見渡す。が、松明の明かりが届かない場所は闇が広がるだけ。人影どころか、気配すら感じられない。
突如、隊列の狭間に炎が噴き上がる。床の上に祭壇や術具の類は見当たらない。
その炎を前に片膝を立て跪く祭司たち。ヴァイスもそれに倣い、その場にしゃがんで事態を静観した。
「キハ、ジュクシツツアル。『暁の巫女』ヲ、ムカエイレルノダ」
炎の中から人影が浮かび上がる。
「これは………っ」
その人影に見覚えはまだない。それでも、いずれは会う運命にあると神は断言する。
それも、ラジェスタ神殿で。ヴァイスが。
それだけ告げると炎は消失。部屋にはヴァイスと祭司たちだけが残された。
「だから君を呼んだのだ」
立ち上がり、フードを取ったシャムザがヴァイスに向き直った。
「さあ。奇跡の体現を見るためにも、君の力が必要なんだ」
熱に浮かされたような、高揚した笑みを見せた。
それが、ヴァイスにとって身の毛がよだつほど恐ろしかった。
〇 〇
腕の中で、一つの命が終わりかけていた。
「嫌だ……目を開けてくれ、テルテュス!」
左目は潰れて久しく、今は右腕も喪った。満身創痍のシャルが悲鳴交じりの声で呼びかけた。抱きかかえた少女は瞼を震わせると、弱弱しい眼差しをシャルに向ける。
「シャ、ル………っ」
むせ返り咳き込む少女。その吐息には血が混じる。
彼女は腹部に致命傷を負い、今術式を封じられていた。治療することもできず、大量の血が地面に流れ出るだけ。何もできない。
『封殺術式』。特定の術式を封じるための結界。二人への包囲網は一部の隙も無く完璧だった。
「さいご、に。これだけ、は――、――て……っ」
喀血に声が掻き消される。
「いやだ、死んじゃヤだよっ テルテュス!」
頭を振り、駄々をこねるシャルの涙が頬を伝う。
どうする事も出来なかった。ただ、自分の無力さが悔しかった。
「シャル……」
「テルテュス……」
少女はにっこりと笑いかけ、
「だ」
「い」
「す」
「き」
少年の目が大きく見開かれる。
そして。
その言葉を最後に、彼女は眠るように息を引き取った。
「う、うう………っ うわああああああああああああああああああああああああああッッ!!」
目を開くと、神殿の天井が目に飛び込んで来た。
全身が汗ばんでいる。気が付けば肩で息をしていた。
「…………」
呼吸を整えた後でのろのろと上体を起こすシャル。目覚めは最悪だった。
(また、あの時の夢か……)
『テルテュス事件』。少女に張り巡らされた策謀に絡め取られ、彼女の落命で幕を閉じた最悪の事件。シャルは『その日』を時折夢に見る。最近までは見なくなっていたのに。
理由は分かっている。
「メルティナ……」
昨日、神殿に置いておくことになった舞巫女の名を呟いた。
事件当時、テルテュスもまた巡礼者だった。
だからこそ、余計に助けたいと思ったのかもしれない。
彼女の容貌に、ありもしない面影を重ねている自分がいて愕然とした。
未だに引き摺っている。彼女がどんな顔だったかさえも、記憶の中で曖昧になりつつあるのに。
(肚を、括るしかないよな……)
彼女がここに居る限り、今度こそ。自分自身のためにも。
「メルティナは、僕が護る」
そう約束したのだから。
今日は朝餉の当番ではないので、シャルはゆっくりしていられた。
顔を洗ってから軽く身支度を済ませ、鍛錬用の木刀を庭先で振り、軽く運動をこなす。
その前後に座禅を組んで瞑想し、身体と魔力の調整を図った。
この日課が佳境になる辺りで食欲をそそる朝餉の香気が漂って来るので、木刀を仕舞ってから食堂へ向かう。
廊下を歩いている途中、声を掛けてきたメルティナが嬉々として近付いて来た。
「おはようございます。シャル♪」
腕を絡めて隣を歩く。仲直りしたからか、昨日にも増してやたらと親しく接して来るし顔も近い。仲直りしたと言っても、過剰だと思う程に。
ただ、それが直接の要因なのか問い質す勇気は、今のところ湧いて来ない。
「うん。おはよう……」
紺碧の双眸を細め、向けられる優艶な微笑みを正視できなくてぎこちなく答えた。
「おっはよー♪」
「ございますなのです♪」
「――――――っ!」
ソルベージュとレドベージュ。双子が朝から白銀の和毛を鷲掴み。感触を楽しみ尻尾を弄んだ。




