仲直り
「あああっ!」
不意を突かれたシャルは仰け反って矯正を上げた。
「あ、大丈夫ですか……?」
抱擁を解き、肩を震わせ喘ぐ少年に恐る恐る尋ねる。背中越しに見た汗ばんだ額、頬を赤らめ 灰色の瞳を潤ませるその顔は、嗜虐心がそそられるくらい可愛らしかった。
思わず頬を染め、口元が綻びそうになる。
「死ぬワケじゃない、から……」
こちらを振り向き、双眸に涙を一杯に湛えるシャル。声もどこか湿っぽい。
(甘えちゃってるなあ、私……)
彼の優しさに付け込んで。自分の方が年上なのに。メルティナは自分に嫌気が差して尻尾に伸ばした手を離し、沈んだ顔を俯かせ膝元に視線を落とした。
「? どうかした?」
涙を拭ったシャルが尋ねる。不思議そうに首を傾げこちらを覗き込んで来た。
「やっぱり私。居ない方がいいです、よね…………?」
優艶な微笑を浮かべようとして、ダメだった。顔が引き攣り上手く笑えない。
そんな顔を見たシャルは、ぱちくりと円らな瞳を瞬かせる。
「――――、その、ゴメン……」
バツの悪そうな顔を逸らし、すまなそうに謝罪の言葉をつぶやいた。
「いえ、良いんです。私が――――」
「見たんだ。今日、君のステージを」
「え―――?」
少年は身体を起こし正座すると、切実に言葉で訴える。
シャルは今日の初ステージを見てくれていた。壇上で楽しげに舞い踊るメルティナが印象的だったと語る。
「――――だから。雇いたいって、神楽を一緒に出演し(やり)たいって、思ったんだ」
神殿の舞い手と囃子手として。誓約上、シャルは嘘を吐けない。これは、心からの言葉。
「ありがとう、ございます……っ」
真っ直ぐな瞳がくすぐったくて。赤らめた頬を見て欲しくなくて、顔を逸らした。
視線を注がれたままの沈黙が気まずくて、背中越しの尻尾に視線を送る。
「うれしい…………」
素直な気持ちだった。胸元に手を添えれば、ぽかぽかと奥底に温もりを感じる。
誰かに必要とされている。そのことが、メルティナにとって何よりも嬉しかった。
「さっきの言葉を取り消すよ。やっぱり、僕は君と一緒に神楽を奉納したい。君となら、最高の舞台を演出できると思うから…………」
俯くシャルは一旦言葉を切る。
そして数秒の後、
「ダメ、かな?」
おずおずと、不安げな顔で遠慮がちに覗き込んで来るのがまたいじらしい。
応えなくては。メルティナもまた居住まいを正し、背筋を凜と伸ばして改めてシャルディムに向き直る。
「貴方の申し出、謹んでお受けいたします。不束な舞い手ですが、奉納には誠心誠意尽力いたしますので、どうかよろしくお願いします。」
腰を折り、琥珀髪を垂らして深々と頭を下げた。
「そんなに謙遜しないで。君の、メルティナの舞いには、他人を引き付ける魅力があるから。全然不束じゃないよ」
傾けた顔に優しい微笑を浮かべて。
「――っ はい♪」
向けられた微笑が嬉しくて、涙腺が緩んだ。込み上げて潤む紺碧の瞳を見せたくないから、笑顔でごまかした。
「改めて、宜しくお願い致します」
シャルもまた、恭しく頭を下げる。こちらこそ。メルティナが請け合うと、顔を上げて二人は無言で見詰め合う。
やがて、どちらともなく笑みを零した。
それからシャルは、メルティナを彼女の自室へと送り届けた。
「では、おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
閉じかけの扉越しに微笑み合う二人は温かな言葉を交わす。その余韻が残る沈黙の後、どこか名残惜しげな眼差しを伏せてメルティナはそっと扉を閉める。それを見届けると、シャルもまた踵を返し自室へ足を向け―――
「あのっ」
「ん?」
扉からひょっこり顔だけ出すメルティナに振り返る。
「その……守ると言ってもらえて、すごく嬉しかったです……」
潤んだ瞳を伏せ、桜色に頬を染めて恥じらいながら。
あの時、自分でもどうして口走ったのかは分からない。無意識の、衝動だった。
「そっか……、よかったよ」
そう思ってもらえて。彼女に優しい眼差しを返す。彼女は満足そうに相好を崩し。また明日と告げてドアを閉じた。
部屋に戻ると、ベッドに腰掛け、照明を頼りに撫で回された尻尾を再びブラッシング。
『シャルの尻尾って、とても可愛らしいですね。ブラッシングしていいですか?』
メルティナではない、とある少女の言葉を思い出した。
櫛を梳き入れる度、彼女の事を思い出さずにはいられない。
そう言えば、彼女が最初にシャルの尻尾をモフモフしだした。
もっとも、その少女はもう―――
毛並みを整え終わり、櫛を置くと漸く訪れる深閑。明かりを消し、闇の帳が幕を下ろすと一抹の寂寥が胸に去来する。
『守ると言ってもらえて、すごく嬉しかったです』
たった今、言われた台詞を思い返す。心が少しむず痒い。けど、悪い気はしない。
だが、明かりを消して布団を被って再び瞑目すると意識が微睡の海へと落ちていくのを感じた。
今日は本当に色々あった。満ち足りてはいるが疲労困憊。精神的にも限界だ。
明日は、平和な一日でありますように。ささやかな祈りを捧げて眠りに就いた。
〇 〇
メルティナがシャルディムの部屋で尻尾をモフモフしていた頃。
ほの暗い廊下の上、胸元が大胆なネグリジェに着替えたエブリシュカは舎監室を目指していた。
勿論、足音は立てない。淫魔族は蝙蝠の小翼を使えば浮遊は容易だ。そこから前進するには訓練を要するので無理だが、幻獣の力を行使すれば問題ない。二頭の赤竜を出し人気のない廊下を進む。
扉の施錠は魔力を通して錠を操作、そして開錠。
音を立てず、ゆっくりとドアノブを回す。
とりあえず部屋に侵入成功。部屋の主、ヤズフィリオには気付かれていなさそうだ。その証拠に寝室からの足音は聞こえない。
このまま地に足を着けず、寝室の方まで進む。隔てるドアには鍵がない。僅かな隙間からこっそりと中を覗き見る。
丁度、肌着を脱いで色白な肌が見えた。猫背でどこか頼りないものの、実戦経験がなく腕っぷしに自身がないと言っていた割には引き締まった身体をしていた。そして両腕に金環を巻いていた。
ほのかに浮き出た筋肉の凹凸。エブリシュカもこれには思わず頬を上気させ舌を舐め擦りした。
辛抱堪らない。発情した彼女は勢いよく扉をあけ放つ。
ビクリと肩を震わせたヤズフィリオが驚愕の表情で振り返った。
「なっ――――」
絶句。驚きを隠せない表情がエブリシュカの嗜虐心を煽った。潤んだ金色の双眸に喜色を浮かべて細める。
「こんばんわぁ♪」
頬を朱に染め、恍惚を浮かべながらゆっくりと距離を詰めていく。
「フフ♪ 体格に自信ないとか言ってたけど、十分あるじゃない。自信もっていいわ♪」
「――――っ⁉」
つい、と指先でなぞればヤズフィリオが身体をびくりと震わせた。そのまま身体を添わせようとすると彼は腰を引いてベッドに倒れ込み、エブリシュカがそれに跨って覆い被さる。
「フフ♪ たまんないわぁ……♡」
陶然と頬を染め、妖艶な微笑を浮かべる。これからする事を思うと心が躍り、吊り上げた口角から零れる涎を這わせた舌で舐め取った。
それとは対照的に、ヤズフィリオの表情は冷め切っていた。怯えが消え去り、眼差しにはどこか憂愁を滲ませる。
「幸せは、求めている限りは手に入りませんよ?」
「え――――?」
唐突に掛けられた言葉。真意を図りかねて目を丸くした。
「エブリシュカさん。求めることには、際限がありません。良くも悪くも」
ただ―――、
「与えることで、満たされる。そういう生き物なんですよ、人間というものは」
向けられる真っ直ぐな視線。その真摯さを帯た眼差しは、何かを見透かしているようで――――
「…………ッ」
竜翼を羽ばたかせ飛びのくエブリシュカ。
ヤズフィリオはゆっくりと上体を起こし、静寂が流れる。
「ふ、フン。こんな時でも説教だなんて、興醒めもいいとこだわっ」
悪態を吐き、踵を返して部屋を後にした。
廊下に出てから、舎監室を振り返る。追ってくる気配はない。とりあえず一安心。溜め息を吐く。
(まったく、油断ならないわね……)
思い出しただけで戦慄が駆け巡り、背筋が凍った。身体を震わせ捩った我が身を両腕できつく抱き締め、わだかまる不安を胸の内から締め出す。
「大丈夫。まだ、あの事はバレてない……、………」
自ら言い聞かせるように。瞑目して深呼吸。地に足を着けて今は呼吸に意識を集中。
呼吸を整え、ゆっくりと心の平静を取り戻していく。
触れられたくない過去。特に、冒険者どもには知られたくない過去。
知られる訳にはいかない。何としても。
「ったく、枯れ専の気持ちが解るかとか、期待して損したわ。まったく……」
逆撫でされた神経は一向に収まる気配がない。
心を慰撫するために、やることは一つだ。
「さぁて♪ 今日は誰にしよう、か・し・ら。ふふ♡」
再び恍惚を浮かべ舌を舐め擦りし、男子棟の廊下を浮遊しながら今夜の相手を物色しに掛かった。
今日も三回投稿チャレンジ。
先週と同じで12時と17時予定。




