賑やかな食卓
「一体、どうやってここに………?」
シャルは驚きを隠せない。
常世神は本来、鎮守府の奥深くに座して人々から隔離されている。こうして気安く人前に出るなど、例外中の例外。
「何のことはない。領内全ての神殿は『龍脈』を通じて鎮守府と繋がっておる故。それを辿れば瞬時の行き来など、我にとっては造作もない」
目を細め艶然とした微笑。それだけでメルティナの頬は火照り、心は動揺した。
地中深くに存在する魔力と《アニマ》の奔流を『龍脈』と呼ぶ。人知の及ばぬそれを用いることが造作もないとは。まさしく想像を絶した。
そして、狐の女神はシャルの聖印を指差す。
「その聖印の存在が疑われていたからな。紛うことなき真実であるという事を、皆に見せようと思ってな」
「え? それだけのために?」
怪訝な表情のシャル。確かに個人的過ぎる動機だと、メルティナも心の中で同意した。
「それが重要なのだ。神というものはな、シャル。常に人々からの信仰の対象でなければならぬのだ。人心が離れて信仰が失われ、名前すら忘れられては自身の存続すら危うい。本当にこの世界の理は、神にも人にも平等なのだ」
子供に言い聞かせるように。優しい玲瓏な声が、空間に染み入るように響く。
「では、シャルディム。その聖印に、我が良いというまで魔力を込めよ」
「食事中なんですが?」
「なら、すぐに終わらせよ」
女神は笑みを崩さない。掣肘を却下され、溜息を零し渋々(しぶしぶ)承諾するシャル。誰もが女神の絶艶なる美貌に当てられ、口を利けない。寧ろ、言葉自体に無形の圧力すら感じてしまう。
行きます。小さく呟くと、席を外して半眼に目を伏せ魔力を解放。身体から漏出した魔力が魔風となって周囲に吹き付ける。
シャルは突き出した右手に魔力を注ぐ。漏出した魔力が一転、右の掌に収斂されていった。
聖印はやがて魔力と感応し、淡く青白い光を発した。注がれる魔力量が増えるに従って輝きを増し、聖印の大元であるナハティガルナも内側から青く光り出した。桁違いの魔力が吹き付けて来る。
「――――うむ。もう良かろう」
鶴の一声でシャルが魔力の注力を止めると、風も光も収まった。
紛れもなく、あの聖印は本物。疑える余地など最初からなかった。
「聖印とは、魂魄同士の紐帯。魔力の交感によって魂魄が活性化し、更なる力を呼び覚ます」
つまり、聖印を施される契約者は勿論、常世神にもメリットが存在しているという事
「信じてもらえただろうか?」
「………ええ。まあ」
エブリシュを質して言質を取った。女神は優しく目を細め相好を崩す。
「おお、神よっ」
慌てたヤズフィリオがナハティガルナの足元に滑り込み、緊張に震えながら片膝を着いて跪く。混乱のあまり作法が滅茶苦茶。
「何と申し上げたらよいか。何の準備も整っておらず――」
「気にするな、ヤズフィリオ。これは我の単なる気まぐれだ。付き合わせるつもりはない。それよりも、しかと精進するのだぞ?」
優しげに目を伏せながら祭司長の頭を撫でた。
「ははあっ」
平身低頭。顔面を床にこすり付けんばかりの勢いで頭を下げた。
「聖上。大変お久しゅうございますにゃあ」
聖上とは常世神に対する尊称。ヴァイスが恭しくお辞儀する。
「ヴァイスか。うむ。これからも、シャルディムやヤズフィリオを支えてやるのだぞ」
彼の殊勝な態度に頷いた。
「御意」
それを受け、長身の白猫は更に畏まる。
「クロア。そしてジグ」
皆の視線が銀狐の半面を被った男に殺到した。場の雰囲気などどこ吹く風で、彼は黙々と供された食事に舌鼓を打っていた。視線を感じたのかやがて立ち上がり、半面を外す。
色白の秀麗な容貌。真紅の瞳が真っ直ぐ女神を見据える。
「ご無沙汰しております、ナハティガルナ様。いつぞやはお世話になりました」
背筋を伸ばした目礼は事務的で素っ気ない。緊張というよりは、胸中を悟らせないような頑なさをメルティナは察した。
「どもども~」
抱えられた銀狐の半面からひょっこり顔だけ出すのは白銀の仙狐。間延びした調子が空気を僅かに弛緩させる。
「そなたらも元気そうだな」
うんうんと顎に指を宛がいながら目を細めた。
「プレッツィオ」
次に視線が集まるのは、クロアの向かいに座る長身に白衣を羽織る青年。彼もまた我、関せずとして視線の一つも女神に寄越(よk)さない。
赤髪から生える節くれた双角と床に着く紅い竜尾は竜人のソレ。
どうやら、彼が神殿で雇った医者のようだ。
「その医学の知識と技量で、これからもシャルを支えて欲しい」
「……そうですね。善処しますよ」
顔を上げて淡々とした様子で頷くと、再び食事に戻った。女神には、まるで興味がないと言わんばかりに。
「……それで。信仰は守られたんなら、もう帰るんですか?」
ヴァイスとヤズフィリオが席に戻り、疑問を呈するシャル。話が終わったと言わんばかりの態度で食卓に戻り、箸を採って再び食指を伸ばす。何となく邪険にしているように感じられた。
「なに、折角だ。そなたと久しぶりに食卓を囲もうかと思ってな」
晩御飯は抜いて来た。絶艶なる美貌で得意顔を浮かべ、上体を逸らして豊満な胸元を張る。
男共の視線が女神の胸に殺到した。それを気にしないナハティガルナは箸を取り出して一口。
「うむ。上手い。これを作った者は?」
「あ、あのっ あたし、です………」
リタラは顔を赤らめ、最後の方の言葉が消え入る。
「そうか、リタラか。フフ♪ 精進に励んでおったものなぁ」
嬉しそうに口角を吊り上げるナハティガルナ。その言葉にリタラは目を丸くする。
「知っておるとも。この国に住まう者のことなら、会話の一言一句に至るまで。我は全ての事を把握しておるよ」
「ありがとう、ございます……っ」
立ち上がって頭を下げるリタラ。感極まって肩を震わせていた。
さすがは天上の存在と言われるだけはある。それでいて人界に干渉しないのは、神同士の誓約によるもの。
『常世神は過度に人に干渉せず、人界の政に口を挟まない』
その誓約があるために常世神は守る事に専心しなければならない。
「さて。では邪魔するとしよう。のぅ、シャルディム」
シャルの隣で椅子を引き、小皿と箸を構える女神。しかし、そこには小皿も椅子も、そもそも腰掛けるスペースも無かった筈だ。
誰もが違和感を抱き、その違和感を説明できずに唖然としていた。
「思いっきり『幻想』の無駄遣いしてますね?」
「フフ♪ 無礼講だ。許せ」
憮然としたシャルの視線を受け、口元に手を添え悪戯っぽく笑う。
『幻想』のナハティガルナ。
その名が示す通り、権能は『幻想』。夢や幻を現実に降ろす理外の理。
「それは邪魔する側の、していい発言じゃないと思いますけど?」
「随分と仲がいいんですね?」
メルティナが不思議そうに首を傾げる。
「左様。我とこの子は一時期、共に暮らしておったからな」
「えっ?」
返って来たのは意外な答え。思わず動揺した。
「ちょっと、ナハティガルナ様。そういう事は余り表に出さない方が……」
「別に良かろう。事実は事実なのだから♪」
それは、と口ごもるシャル。頭を撫でられ、恥ずかしそうに上目遣い。
二人の間だけに流れる、温かな空気と時間。メルティナはそれを見て胸にモヤモヤしたものがわだかまる。
「もうっ いつまでも子ども扱いしないで下さいよっ これでも成人してるんですからねっ」
首を振って女神の手を振り払い、顔を赤らめ抗議した。
「フフ♪ あの頃が懐かしくてな。つい……」
在りし日に想いを馳せるかの如く、目を細めるナハティガルナ。二人はそれなりに長い時間を過ごして来たことが窺えた。
「ホ、ホラっ リタラの料理が冷めないうちに、さっさと食べちゃわないと」
言うな否や、食指を伸ばしてガツガツを急いで食べ始めるシャル。照れ隠しなのがバレバレで、見ていて微笑ましかった。その光景にメルティナは目を細める
食指を忙しなくする少年を見守っていた他のみんなも、再び食事に手を付け始めた。
「そういえば。メルティナはいつまでここに居るの?」
エブリシュカが尋ねる。
「えっと……まだあまり決めていなくて…」
成り行きで来てしまっただけなので、その辺の話は特に詰めていない。加えて、誰に相談すべきかも分からなかった。




