誘拐
絶体絶命。見開いた目の前に広がる光景が、まさにそれだった。
部屋の中でメルティナが目を覚ますと、暗い影を落とす禿頭の大男が腰元に跨り、口端を吊り上げ下卑た笑いを浮かべていた。
その手ににぎられているは上体に身に付けていた筈のライトブルーの巫女装束。剥ぎ取られていた。
「――――っ⁉」
驚愕に目を白黒させ反射的に身を捩るが、琥珀色の長髪が揺れるだけで自由が利かない。
「なんだ、目覚めちまったのか。ククク」
笑みを深める禿頭の男。声を掛けられて冷静さを取り戻し、素早く辺りを確認。部屋の壁際に立つ男の顔を見て、記憶が一気に蘇る。
晴れまでもどこか影の差す貧民街。その中にある寂れた劇場で得意の舞を披露し舞台が終わると、その男が数人のガラの悪い男たちを引き連れて営業妨害しに来た。
裏手でメルティナが説得しようとすると、ほのかに甘い匂いを嗅がされて意識が朦朧とし、昏倒したのを思い出した。
「おいおい。人が話しかけてんのに無視かよ。しつけがなってねぇな?」
「ぁっ……、……ッ」
野太い腕で首を締め上げられる。息ができない。メルティナの顔が苦悶に歪む。
男の腕の拘束は外せない。このままでは窒息してしまう。
意識が遠のき、白目を剥きかけた所で解放された。咳き込みながら喘ぐように空気を取り込む。痛みと息苦しさで目尻には涙が浮かんだ。
「ここは、どこですか…………?」
肩を上下させ、息も絶え絶え。それでも弱みは見せまいと気丈に振る舞い、キッと相手を睨み付ける。
「はっ いいねぇ。気の強い女ほど従わせたくなる」
「質問に、答えて、ください…………っ!」
ますます喜色を深める禿頭の男。不安を悟られまいと鋭く言い放つ。その様子にますますご満悦を浮かべる男たち。
「いいだろう。ここはオレのアジトだ。コイツらに命令し、お前を眠らせて誘拐した後で連れ込んだんだよ」
親指でベッドを取り囲む男たちを差し、得意げに答える。
目端を利かせれば、数人の男たちが劣情を露わにした顔で肢体を凝視している。
気色悪い、込み上げる生理的嫌悪感。不躾な視線に思わず身を捩る。圧し掛かった男の拘束は微動だにしない。
華奢な肢体の艶めかしい挙動に興奮したのか、刺青男の顔は更に口角を吊り上げる。
「今すぐコレを解きなさいっ」
ベッドに手錠で繋がれているメルティナ。引っ張り自力で脱出しようにもできない。
「おい。さっきから誰に向かって命令してんだ。あ?」
「………ッ」
頬を締め上げられ、口が利けなくなる。魔力を発し肉体活性で身体能力を強化しようにも、たちどころに《魔封》で魔力を吸い取られて虚脱感に苛まれる。これではどうしようもない。立たされた窮地に背筋が凍った。
「しかし、マルヴォロもいい仕事をした。飛び切りの上玉だぜ、こいつは」
(な―――)
どうして、劇場の主の名前がここで出て来るのか。疑問が沸く。
「お前が依頼で踊ってた劇場な。ありゃ、オレとグルなんだよ」
メルティナは衝撃の事実に目を見開き絶句した。
この男たちの営業妨害で客足が途絶えた。冒険者組合でそう聞いたから、自身の舞で一肌脱いだのに。全ては嘘。最初から裏切られていた。
「決めたぜ。お前はオレの女にしてやる。娼館に売るのは無しだ。ありがたく思えよ?」
愉悦に顔を歪ませると、頬から手を離した。
「ふざけないでください! 誰がアナタ――――」
拳が飛んで来た。泣きたくなるのを、歯を食いしばって堪え相手を睨む。
満足げな笑みを浮かべた男は腰を浮かせ、メルティナのスカートに手を掛けた。
「少々、立場を分からせてやる必要があるな」
「い、やぁっ!」
足を閉じ身体を捩って逃れようとする。だが、ベッドに固定されているためにそれも叶わない。
「ああ、そうだ。もっと抵抗しろっ その方が興奮するっ!」
男が鼻息を荒げ乱暴に手を伸ばす。全身をバタつかせて必死に抗うも、屈強な男の膂力には敵わない。抵抗も空しく、瞬く間に全身から布地が剥ぎ取られた。
「うっひょう、たっまんねえぜ♪」
取り巻きの下卑た笑いに囃し立てられ、メルティナに跨る男は興奮した顔で見下ろしてくる。これからされる事を想うと、鳥肌で皮膚が粟立ち、冷や水を浴びたように身体が冷たくなった。
(ああ――――)
メルティナの心が折れた。
本当は必死になれば、状況を打破できる。だが、そんな気力はもうない。
大手血盟を去ってから、多くの冒険者から裏切られ続けて来た。毒婦と罵られ、挙句の果てには狼藉目的で付け狙う冒険者まで現れた。
稼業の過酷さに軋んだ心は悲鳴を上げ、諦観が身体を包み込む。
この依頼は、最後の希望だった。
困っている誰かの助けになりたい。そんなささやかな望みも、この世界は平気で踏みにじる。
現実の悪意に打ちのめされ、紺碧の瞳から涙が一滴、零れた―――。
「誰か、助けて………っ」
弱音が口を衝いて出る。その言葉とは裏腹に、メルティナは既に諦念していた。
「おいおい、もう降参かよ。もう少し――」
「いいよ」
(え―――?)
不意に聞こえた、少年の声。
最初は幻聴が耳朶を打ったかと思った。けど違う。その声を男たちも聞いており、四人は怪訝や驚愕を浮かべながら耳を傍立て視線を巡らせた。
突如、窓が枠ごと音を立てて吹き飛んだ。蹴破って飛び込んで来たのは、銀髪の獣人の少年。
勢いのままベッドに乗り上げると、即座に腰から抜刀して禿頭の男の首を刎ねた。手袋を嵌めた手を切断面に突っ込んで背骨を掴み上げ、人間離れした筋力でドア目掛けて投げ付けた。
それから、その手で印を結び、
「唵」
ドアに向かって術式の起動鍵語。直後、呆気に取られている男たちを一人ずつ斬殺していった。
僅か数秒。それだけの時間で部屋は血煙が薫る惨劇の現場と化した。
(誰――――?)
メルティナに振り返った少年を見る。
赤鬼の半面を被り、小柄な体格を包む群青の狩衣と黒袴。背中には身の丈程もある飾太刀。
切り揃えられた銀髪から突き出た狐の獣耳。そして、膝下まである大房の尻尾は白銀。
血に塗れた一幕の惨劇。赤鬼の半面を被った少年は無表情。余りにも手慣れ過ぎていた。
それから少年は、切っ先から滴る血をベッドに塗り付け、無言でゆっくりとメルティナに近付いて来る。
「ひっ………」
小さな悲鳴が漏れた。それを聞いた赤鬼の少年の尻尾が揺れ、耳が少し垂れ下がる。
「いや、殺さないから。普通に助けるだけだよ?」
約束通り。憮然とした声は、気落ちしているようにも感じられた。
そんな少年の無邪気な態度に当てられ、メルティナは毒気を抜かれていた。
「頭っ 何があったんスか?」
ドアをけたたましく叩く男の声。開けようにも、首なし死体が邪魔で開けられない。
脇差で拘束している手錠を断ち切ると《回復》。回復魔術の翠然とした燐光で手首の傷口がみるみるうちに塞がり、殴られた頬の腫れも引いていく。
光が収まると、疼く痛みも消え去った。
「ありがとう、ございます……」
「うん。早く服を着た方が良い」
そのまま背を向けて脇差を中段に構え、侵入者への迎撃態勢を整える。
メルティナは顔が熱くなるのを感じていた。自身のあられもない姿を見られていたかと思うと、火が出る程頬が真っ赤に焼けた。
「み、見ましたか………?」
自分の裸を。勇気を振り絞り、恐る恐る尋ねる。
「…………、ちょっと」
躊躇いがちに答える少年。
「きゃああああああああっっ」
込み上げる羞恥心。両腕で我が身を抱き締め、上がる悲鳴。ゴメン、と謝罪の一言。
穴があったら入りたい。顔を覆ってうずくまり、グスン、と少しだけ泣いた。
「早くして。すぐにでも突入される」
ドア越しに聞こえて来る怒声。悠長にしている場合ではない。気を取り直した彼女はベッドの上に置いてあった自身の巫女装束を身に着ける。
その間、少年は手を突っ込んだ腰の鞄から数枚の護符を取り出し、扉の下の隙間から部屋の外へと派すと片手で印を結ぶ。
緊迫した状況とは裏腹に一糸纏わぬ自身の惨状を思うと頬は上気し、首元まで茹で上がる。伏せた紺碧の瞳が羞恥心で潤んだ。
「…………」
途中、チラリと少年を盗み見る。別に彼を疑っている訳ではないが、気になったので確認の意味も込めて。
しかし少年はさっきから扉を睨み、全くこちらを見向きもしない。
誠実な人柄だと解る。が、年頃の少年に全く興味を示されないというのも、メルティナとしては複雑だった。