序章:バッタンからの転生!
真夏日の差し迫る蒸し暑い朝に似合わず、小菅・東京拘置所の空気は凍てついていた。
「出房」
刑務官たちのうちの一人の声が、拘置所のとある一室の独房にこだまする。
その中心に横たわっていたアイコニックな長髪と長髭を携えた怠惰な体つきは、かつての生気が見るもむなしく感じられない。
手縄をつけられ、神妙な顔をした複数の刑務官に支えられ、いままさに拘置所の刑場へと連れてゆかれるその男は、かつて日本を、いや世界を、震撼させた男でもあった。
殺人罪、殺人未遂罪、殺人予備罪、死体損壊罪、逮捕監禁致死罪、薬事法違反、麻薬及び向精神材取締法違反、覚せい剤取締法違反、武器等製造法違反……これらすべてに確たる証拠のもと有罪判決を受け、破防法適用すら検討された数少ない事例を引き起こしたこの堂々たる経歴を持つ死刑囚は、地下鉄サリン事件という日本国が世界に“誇る”無差別テロの首謀者であった。
麻原彰晃。本名を松本智津夫という。
Z世代の認知度は残念ながらビンラディンと間違えられるほど薄れてはいるが、ゆとり世代までの日本人ならばその名を知らぬものはそうはいないであろう。マンソン・ファミリーを過去にした稀代のテロリストにして、日本の危機意識もさりながら世界のカルトのあり方や見方まで宗教・政治の両面で大きく塗り替えた、オウム真理教の元・教祖である。
教誨室にて仮にも宗教団体の教祖に教誨師があてがわれるというシュールなやり取りののちは、遺骨の引き取り手の希望聴取をさっとすませ、
「最後に何か言い残すことは」
と刑務官から聞かれるや、特に何もしゃべらずに頭に袋と縄をかけられる際の「ぐふっ」といういななきが、彼が最期に発した声であった。
わずかな静寂が刑場に揺蕩い、刑場の被執行者の足元の口がぱかりと開き、印が二つに割れるとゆるんだ縄が身体の重しでピンと伸びた。
彼が絞首刑執行に際して教義の目玉とした空中浮遊を成功させることはついぞなかった。面会中に娘で邪淫をしなければ、極刑を受けながらも正規の手続きを踏んだうえで生きて拘置所を堂々と出所した、我が国における石鐵県死刑囚蘇生事件以来の事例となったであろう。しかしながら瞬く間に荼毘に付され骨と化しクンバカの記録を更新する流れであろう平凡な道を選ぶとはもったいないものである。
あるいはぁ、首に縄かけてぶらりんしてるこの状態をこそ空中浮揚と言うならば、初めて人前で浮揚を披露し成功させた瞬間といえるのだろう。ただし本人の命を代償にして。
ところで麻原の協議では(建前として)悪人が悪事を重ねる前に魂を浄化することを是とする考えがあり、つまり死刑執行命令書を作成しハンコをついた法務大臣や絞首台のボタンを押した3人は彼の教義にのっとれば、むしろよきことをしたということになる。ご苦労様、どうか枕を高くしてお休みあれと申し上げたい。
この日、そして数週間後の七月のうちに、オウム真理教の死刑判決を受けた幹部たちが一斉に刑場の露と消えた。
これがこの世で生きとし生ける者の誰も知らぬ異世界でとんだ大波乱を巻き起こすことになるとは、この時は神を除いて全次元の誰もが想像しえなかった。
この各日がかつてない酷暑であったのは、何かの予兆だったのかもしれない。
● ● ●
「――というわけで、お前さんは死んでしまった」
東京拘置所で処刑されたはずの麻原は、紫のサマナ服を身に着けて畳の上でちゃぶ台をはさんで、みょうちきりんなおっさんと対峙していた。もちろん、辺り一面はお空の上だ。
その変なおっさんは自分を「神様である」と主張する。
「あなたがシヴァ大神ですか。まさか実在するとは思いませんでしたな」
「ついでにいうとバモイドオキ神、ジヌー、エルカンターレ、文鮮明、ヴァサリオン、アッラー、イエスキリストetc.ともいえるな」
「このあたりあんまりしゃべると殺されますよ、作者が」
「自殺するために書いてるようなもんだし平気だろうよ。ところで状況説明に戻るが、一応ちゃんときっちり死刑執行されて死んでるからね君」
「確かにわが身が軽やかに感じられますな。おお、左目も見えますね」
麻原は神と名乗る者の前でダルドリーシッディをして見せた。胡坐をかいて飛び跳ねるあのアレである。オウムの教義のなかでめずらしく語源がない。
「ポケモンが覇権とるまでは君も子供に人気だったんだから当時の小学生の成長を10年待って国政進出してもよかったのに」
「強行策だとは思ったんですが、資産家の身内を殺したカムフラージュと不逮捕の議員特権が必要でしたから。ただ冷静に考えると真理党も信者を転籍させて地方出馬から議席狙ったほうがよかったですね。全員東京で出馬したのは失敗でした」
「総理大臣になるってんならもともとのプラン通り自民党から出馬すればよかったのに」
「まあ村井を介してその方法もいけた可能性はありますが、立場が立場なのではじかれるかと」
「それもそうか、政教分離などとは、左右問わず統一教会とか創価学会とか立正佼成会とかそのほか多数の新興宗教とバリバリ癒着してるくせにしらじらしいと思うがね」
「いやー、建前は大事ですよ。しかし心なしか感情的ではないですか」
「私はその建前が気に入らないからね。ダイエットしながらケーキ食ってる女みたいで」
「感情的な神様なんてアクア様だけでいいと思いますが」
「自己愛性パーソナリティ障害発症してここにきたてめえには言われたかねえよ」
「……(さっきと語調が違うんだが)」
「とまあ、一応本筋に戻ろう。死んだ後の世界では君の教義では生まれ変わりの世界があるといったな」
「口から出まかせですがね」
「あるんだよなそれが。いつぞやのラジオで震災を予言したとき以来の当たりだよ」
「なんだっそら」
「ついては君もそこに行ってもらうことになる」
「そうですか。オプションとかはないんですか」
「君が殺したのは47人だからギリギリ足りないな、一応両目とも見えるようにするのが限界だ」
「そのカウント、死亡した出家信徒も含まれますか?だとしたら100人以上はやってるはずなんだけどなあ」
「刑事告訴された数がすべてですよ。『冷たい熱帯魚』もそうだがボディを透明にしちゃえばマッポも何も解りゃせんよ。『ラ・ラ・ランド』って映画の監督も『10クローバーフィールドレーン』って映画で脚本書くときネタにしてたけど体溶かすって大事。殺人を立証できないので行方不明で処理されるからな。君が拘置所に閉じ込められている間の映画だから知らないかな。
ちなみに『キック・アス』って映画でファイナルクリーナー勝利者も登場したぞ。人間が電子レンジに入れられて爆発するんだ。中野杉並どころか世界の彰晃だな」
「ファイナルクリーナーはイタリアン・マフィアにアイデアパクられてるとはよく聞きますね。しかしつくづく無能だよな警察って」
「君の事件の場合は利益供与に霞が関も一枚かんでたし、加えてただでも怠惰な神奈川県警が「桜田門にあげさせなあかんやつ」って忖度を優先した結果おおめに見てもらえたとこあるからね。あとこの事件を所轄風情にあげられるとキャリア組の面子たたないから」
「がんじからめの割には私に手錠駆けたの当時のヒラ刑事だったのは皮肉ですな。市民いちびって交通違反の切符きることにしか精を出せないわけだ。生きてて恥ずかしくないんだろうか、そして楽しいのか、あいつら」
「死にたくないから寝て起きて食ってクソしてるだけ、というやつですな。しかし税金でメシ食ってくそしてさらに市民にマウント取れるなら楽しいに決まってるだろう。しかしきみに手錠かけた刑事……」
「あの人のエピソード『魔法科高校の劣等生』の冒頭でネタにされてるでしょう」
「小説版だけでね。あれ超越人力なんだ?」
「たかだか衛星写真の新旧比べて隠し部屋のダクトを見つけただけで超能力とかアホらしいw」
「君が言うと説得力あるね」
「……」
(ちなみに、アニメ『超越世界編』第10話でカルマを引き受けて麻原が体調を崩した話も『魔法科高校の劣等生/横浜騒乱編』の時間遡行ネタに反映されている。魔法科は意外とオウムネタが多い。チェック!)
「まあ、アレ、新宿駅の青酸ガス発生装置見つけたほうのことを書いた可能性もあるから気にしなさんな。さて本題だが、君は着の身着のままアストラルへ転生してもらう」
「私のいうアストラルは信者に全財産差し出させるためのでまかせですよ」
「君の想像しているアストラルとはちょっと違うな。ありがちなパターンの異世界転生だよ」
「中世っぽい世界で無双するアレですか」
「呑み込みが早くて助かるよ。とりあえずそこで君には悠々自適にもう一度宗教活動を行ってほしい」
「目的は何です?元の世界で一度失敗しているんですが」
「失敗をやり直していただく、というのはどうだろう」
「神様といえど利他的なムーヴが怪しすぎる」
「神様すべてが君のような者とは限らないぞ?」
「失敬な、というのは野暮ですな。しかし着の身着のままというのは少々厳しめでは」
「安心したまえ、現地に案内人を用意してある。君の先達だからよろしくやってくれ。では頼むよ」
「ところでですが」
「なんだ?」
「肝心のスキルについて伺いたいのですが?」
「では君のいちもつのサイズ(※)を巨根にしてしんぜよう。君が私の望む目的を達せしめるごとにでかくなっていく。すべて達せしめれば最大30cmになる」
「乗った、これは盟約ですよ。あとですが」
「なんだ?」
「あんまりセリフで文章埋めすぎると「あかほりさとるかよ」って言われませんかね」
「大丈夫だ、今の読者はその名前知らないから」
こうして麻原は、そのままアストラルへ送り込まれた。
(※麻原が短小なのは有名。教義で「巨根は前世のカルマがたまっている証」と定義する程度にはコンプレックスを抱いていた)
● ● ●
麻原はアストラルに転送された。遠くに山並みの見える開けた原っぱの広がる大地にどこかへの一本道が続く。
そこにある男が待ち構えていた。
「尊師、お待ち申し上げておりました」
ひょろっとした短髪の男が、麻原が現れるや否やそっと問いかけた。
「久しいな、マンジュシュリー」
マンジュシュリー・ミトラこと村井秀夫。オウム古参の一人で麻原の右腕だった。
地下鉄サリン事件直後、オウム本部にて暴力団員に刺殺された。真相はいまだに明らかになっておらず、オウムあるいは霞が関の工作とも言われている。
「あなたがここに来られたという事は」
「ああ、元の世界でのシャンバラ化計画はひとまず失敗に終わった」
「組織はその後どうなりました?」
「マイトレーヤ、マハー・ケイマなどで分派して今対立中だとさ」
「元の世界での立て直しは厳しいですね。しかしあなたさまがその身のままでこちらに転生なさるとは」
「人のカルマを引き受けすぎた。元の世界のカルマは私には浄化できない」
「人に戻られるのもよろしいかと」
「ならんぞ、マンジュシュリー。私はここで再度救済活動を行う。そのために神がわが身を生かしたのだ。これは勅命なのだ」
「なるほど。では私もセカンドチャンスをいただいたということですね。
前世同様、お力添えをいたしましょう」
この時麻原はマンジュシュリーに疑惑の目を向けた。裁判の証言から幹部が自分を裏切ったと拘置所でマンジュシュリーの指金ではと疑惑を強めていた。
しかしながら、アストラルにつてはないので、ともに行動しながら探りを入れるという戦略に切って出るのである。
「ああ、頼むぞマンジュシュリー、お前だけが頼りだ」
この言葉に嘘がないのは事実であった。