鬼子母神
鬼子母神を読んで、子供を大切にするのは誰だって同じだと思い、文章に載せてみました。
昔、ある所に訶梨帝母というヤクシーがいた。
この訶梨帝母は般闍迦という夜叉との間に子供が500人もいて、全員を可愛がり育てていた。
中でも特に可愛がっていたのは、末子の愛奴児だった。
しかし、訶梨帝母は子供が居ると言うのに、人間の親たちから子供を奪い取っては食べてしまっていた。
彼女は乳が出ない事から、人間の子を攫っては食べて子に与えていたのだ。
これに親たちは嘆き悲しみ毎日のように泣き暮れた。
「子供を返して!!」
親たちは、枯れ尽きた涙を流しながら子供を返してくれと天に願った。
この親たちの願いを聞いた天竺の釈迦は、人間の親たちの願いを叶えようと決めた。
釈迦は、訶梨帝母が留守の時に彼女が最も可愛がっていた愛奴児を連れ去る事にした。
「さぁ、私と一緒に遊ぼうか」
愛双児を優しく抱き上げた釈迦は、天へと昇り下を見下した。
訶梨帝母が帰ると、子供が一人足りない事に気が付いた。
「私の子供が一人足りない!!」
訶梨帝母は血眼になって子供を探したが、いくら探しても見つからなかった。
彼女は、人間の親たちのように我が子を失った悲しさで涙を流した。
「私の可愛い子供・・・・何処に行ったの・・・・・・・!?」
涙を延々と流す訶梨帝母。
その姿は鬼では無く・・・・・子を想う一人の母親だった。
釈迦は、頃合いを見計らって彼女の前に姿を現した。
「訶梨帝母。そなた、泣いておるがどうした?」
「私の子が一人足りないのです」
「子が一人足りない?主には、大勢の子が居るではないか?」
「大勢いようと、一人でも足りなければ悲しむのが親です・・・・・・・・・!!」
「では、訊くが主は人間の親から子を奪った。その親たちも主と同じく親じゃ」
子が一人、居なくなっただけでも悲しむが、一人だけの我が子を失った親の気持ちを主は考えた事があるのか?
釈迦の言葉に訶梨帝母は、雷に打たれた感じがした。
人間たちも自分と同じように我が子を大切にして愛しむ親。
その親から子供を奪い食った自分。
同じ親として、自分は何て事をしたのだと・・・・・・・
「あ、あああああ・・・・・・・・!!」
訶梨帝母は、今になって自分のした非道さに気付いた。
「わ、私は、なんて事を・・・・・・・・」
「そなたのした行為は、とうてい許される事ではない」
子を奪い食べた自分をきっと親は憎むだろう。
憎まれて当然のしたのだ。
「そなたは罪深い。だが、これからは子供を守るようになれば、何時の日か罪が消えよう」
それを聞いた訶梨帝母は自らの罪を改め、夫の般闍迦と共に仏法を守る、護法善神となった。
名も鬼子母神と改めて、安産と子供を守る女神として多くの人間から慕われる事になった。
子を想う気持ちは、人間だけでなく全ての生き物が同じ気持である。
文章の中で出てきたヤクシーとは、女の夜叉の事を意味しています。
逆に男の夜叉は、ヤクシャと言われています。
私は、親ではありませんが、両親が私を大切にしているのは、日常生活からも分かりました。
皆さんも両親や子が出来たら、大切にして下さい。