ディストピア、故にユートピア 〜 チートな力で地球を再生?
女性がいなくなってしまった絶望的な世界のお話です。
ですが、この世界に生き残った人間たちは、手にしたチートな力を助けに淡々とある意味ほのぼのと日常を送って行きます。
そんな彼らの日常を覗き見る前に、ちょっとだけプロローグをどうぞ。
✧✧✧ プロローグ ✧✧✧
夢だ。
夢を見ている。
これは夢だとわかっている夢だ。
またあの日の夢だ。
2035年、僕の14歳の誕生日が終わったばかりのあの真冬の夜のことだ。
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『Touya, your mom and dad, we both have to go soon.
(トウヤ、ママとパパ、もうすぐに出かけなきゃならないの)』
「うん」
その日、少し熱があって体調が悪かった僕は、夕食後すぐに風呂に入らされ、湯冷めしないうちにと早々にベッドに押し込まれた。今は母親からホットミルクを与えられたところだ。
『We don’t want to leave you here like this.
And it seems we can’t come back home by tomorrow morning.
But your uncle, Marcus, will be here by then and stay with you while we are away.
So…don’t worry. And take care of yourself, baby.
(こんな状態のあなたを置いていきたくないわ。それに明日の朝までにママもパパも戻れそうもないんだけど、ママたちが留守の間、マーカスおじさんが一緒にいてくれるって、だから心配しないで…気を付けてね、ベイビー)』
「…もうベイビーはやめてよ。さすがに」
『Nonsense! You are my precious baby boy forever!』
憤慨したような顔でそういった後、いつものあけっぴろげな笑顔になって僕の頬をきゅっとつまんできた母に、僕は『しょうがないな』というように一つ息をついて、大ぶりのカップを両手で抱え、ほんのり甘くて温かなホットミルクに口を付けた。今日はなんだか一日中身体がだるくて昼食も夕食もろくに食べられなかったから、ミルクの落ちて行った空っぽの胃がほっと温かくなったのがわかった。
『Do you want some cookies or something with your milk? Or I can bring you a cup of chicken soup, since you’d hardly touched your dinner.』
「ううん、いらない」
僕は、そう言ってミルクを飲み干した。
母は、僕が手渡した空のカップをサイドテーブルに置くと、僕の顔を妙に真剣な目つきで見つめ、僕の髪を何度も撫でて、熱っぽい頬をそのひんやりした両手で包んだ。
アメリカの大学を飛び級で二十歳前に卒業後、日本の大学の大学院へ籍を置きながら、在日の外資系企業に研究員として入り、同じ職場の父と出会って結婚して以来ずっと日本で暮らしている母の日本語は十分に堪能だったが、おそらく自分の心を父や僕に真っ直ぐに伝えたいと感じる時には、あえて母国語である英語を話した。
とはいえ、普段僕と話している時には気まぐれに途中で日本語になったり英語になったりなのに、その晩は、なんだか意地になって英語を話し続けているように思えた。なんというか、ほんの一言でも僕に間違ったことを伝えたりしたくないとでもいうように。
金色の点々が散った綺麗なグリーンの瞳が、まるで僕のまつ毛の一本までを記憶しようとでもいうように僕を凝視した。
それから、そうしないと僕がその場から消えちゃうとでもいうように、再び両手で髪を撫で、耳に触れ、頬をきゅっと摘まみ、首筋から肩を擦り、最後に強く抱きしめ大きく息をついて両手を離した。
赤みの強い金色の髪が、化粧っ気のない母のそばかすの浮いた頬にかかっていた。
ろくに化粧をしていなくてさえ、母はとても美人だった。
「ケイトさん、そろそろ行こうか。マーカス君も今空港に到着したと連絡があった」
その日はめずらしく、父までが僕の部屋にやってきて、ドアフレームにもたれて腕を組み、母と僕のやり取りを見守っていた。
日本人としてはかなり背が高い父は、学生時代の山岳部から長年登山を趣味にしていて細身ではあっても骨格がしっかりして、研究者という職業にはちょっと似つかわしくないほどとても大柄な人だった。
日本人の標準からするとかなりボリューム感のある母と並んでもバランスが取れていて、子供の目からみても、僕の両親は美男美女のカップルだった。
一方、14歳の僕には、まだ母の言う”Growth spurt”が訪れず、黒に近いこげ茶色の髪と小学生の時からかけている黒ぶち眼鏡とで、母からは母の少女時代世界中で大人気だったという魔法使いの映画に出ていた男の子に似ているといわれたり、長年の日本のアニメオタクの叔父(母の弟)からは、『のび太くん』だと言われたりで、中学2年現在両親にはちっとも似ているところがなかった。
僕が以前にそうこぼした時父は、冬也は小さい頃の自分にそっくりだと、すべすべした紙にプリントした少し色あせた写真を見せてくれた。
写真の中の子供時代の父はとても利発そうな、きっと思慮深いなんていう言葉がぴったりくる瞳でカメラを真っ直ぐに見つめていて、黒髪と眼鏡以外、僕にそっくり?なんてとても思えなかった。
『You’ll be a tall dark and very smart handsome young man just like your dad, before you know it.』
母はまるで僕の心の声を正確に聞き取ったようにそう言って、僕をもう一度ぎゅっとその胸に抱きしめた。
いつもは苦しいよ!と、その強烈なハグから逃げ出すのがお決まりの僕だったが、全身が熱っぽい僕に比べて少しひんやりと感じる母の体温といい香りのする柔らかな体が心地よくて、その日の僕はなすがままに身体の力を抜いてじっとしていた。
そうしているうちに、僕はなんだか急激に強い眠気に襲われて、目が開けていられなくなった。
くったりと力の抜けた僕の身体を胸に抱えたまま、母が囁くように父を呼んだ。
『Honey, can you pass me “that” syringe…』
え、注射?僕はなんとか、せめて薄目を開けようとしたが、どうやっても瞼を開けることができなかった。夢から覚めかけていて、でもどうしても最後の覚醒ができない時みたいに、力の抜けた身体を指一本動かすことができないまま、僕は周囲の物音を聞いていた。
パジャマ代わりのTシャツの袖をまくられ、チクっと二の腕辺りに針を刺された。
針はすぐに抜かれ、母が“愛してる”と僕の額やこめかみや頬にキスの雨を降らせながら、「ごめんね」と謝り、すすり泣いているのが聞こえた。
「冬也、どうか無事で、生きてくれ」
僕の身体を抱いて泣いている母ごと長くてがっしりした腕に抱き締められ、そんな父の言葉を聞いた気がした。
〜〜〜
夢を見ている俺は、その時が近づいていることに鼓動が早くなる。
ダメだ。
父と母を行かせてはダメだ。
〜〜〜
両親が子供部屋を出ようとした時、盛大になにかが壊れる音がして複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。
映像の中でしか聞いたことのない銃声が響き、僕は力を振り絞って目を開いた。
その目の前で、まず父がそして母が倒れた。
でもまだ二人は生きている!
なんとかしなきゃ!
二人を助けなきゃ!
そう思うのに、金縛りにあったかのように身体が動かない。
血を流して倒れている両親を押しのけて部屋に押し入ろうとする男たちを父が、自らの身体を盾に母を守りつつなんとか妨害しようとする。
やめて!お父さん!
男たちは無造作に父にとどめをさし、父の身体を蹴り飛ばして、母にも銃口を向けた。
あっけなく母の命を奪った再びの銃声を聞いた瞬間、体中の血が沸騰するような感覚とともに眠気もだるさもどこかへ消し飛んだ。
僕を捕まえようと手を伸ばしてくる男たちを感じたことのないほどの激しい怒りを込めて睨みつけた時、目の前が真っ赤に染まり、僕は意識を手放した。
〜〜〜
目を開いた時、夢はまだ続いていた。
〜〜〜
見渡す限り雲ひとつない青空の遥か向こうからなにかが近づいてくる。
真っ白な翼だ。
眩しいくらいに真っ白な翼がなにかに追われるように上下左右に危なっかしく方向を変えながら羽ばたきつつ、こちらに向かってくる。
俺は突如なにかに突き動かされたように全力で走り出した。
白い翼を追いかけるように周囲を巨大なコウモリのようなものが数匹飛んでいる。
俺は手に持っていたライフルを構えて白い翼の周りを不規則な動きで飛び回る巨大コウモリに次々と照準を合わせ撃ち落として行く。
しかし白い翼は力尽きたように羽ばたきを止め、錐揉み状態で落下し始めた。
落ちる。
落ちてくる。
俺は更に足を早め、力いっぱい地面を蹴った。
落下する白い翼に向かって俺は飛び上がり、空中高くで腕に抱きとめた。
ほっと息をついて腕の中の存在に視線を落とす。
輝くような金色の長い髪、閉じた目元には金色の長い睫毛、透き通るように真っ白な肌。
純白の一枚布の服を華奢なその身に纏って、背中には大きな白い翼。
天使だ。
天使が落ちてきた。
俺は腕の中に天使を抱いていた。
〜〜〜
今度こそ本当に目が覚めた時、俺はTシャツにトランクスという格好で空中にいた。
夜明け前の真っ暗な空に。
「これは新しいな…」
冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んでつぶやいた。
寒い。
東側の山際がほんのり明るくなっているのを眺め、視線を下に向けると自宅であるログハウスを中心にいくつかの建物が点在する周囲を山と森林に囲まれた畑や草原からなる丸い平地が目に入る。
北側の山から流れ出る小川が家の裏手の小さな湖に黒い筋となって流れ込む様子も見て取れる。
かなりの高度だ。
ログハウスの屋根に穴は空いていないから、屋根を突き破って出てきたのではないらしい。
思いの外平静を保ったまま俺はそんなことを考えながら、家に向かって高度を下げていった。
こんなことありえない、と思った瞬間に自然落下するだろうと確信しつつ、慎重に冷たい空気の中を滑り降りていく。
ログハウス南面の広いデッキにトン、と着地したところで膝からくずおれた。
寒さと不意にこみ上げてきた強烈な緊張からガクガクと震えが止まらない。
何度か大きく呼吸をして全身の震えをなんとか治めた俺は、ゆっくりと立ち上がってデッキに面した両開きのフランス窓から家に入りそのまま道具部屋に向かった。
ライフルとマガジンを手に寝室へ戻り、ベッドへ潜り込んだ。
明日から射撃の練習をしなければならない。
まだまだわからないことだらけ?
のんびりお付き合いいただけると嬉しいです。