復讐代行令嬢
「なあおい、復讐代行って知ってるか?」
夜。とある街の酒呑場で、一人の冒険者が言った。
「ああ、最近噂になってるよな」
対面に座る冒険者が酒を呑みながら返事をした。
酒を机に置いた彼は、少し赤くなった顔で譫言のように言葉を続ける。
「なんでも、ビックリするクレェ美しいお嬢さんが、命を対価に復讐を遂げてくれるらしい」
「おっかねぇ話だよな。いくら復讐できても、自分が死んじまったら意味ねぇだろ」
「はっ、ちげぇねぇ……だがまぁ、そこまでして晴らしてぇ恨みがあるってことだろ」
「なるほどな。なら、テメェも気を付けねぇとな」
「おぉん? なんでぃ、俺の筋肉に嫉妬して、命懸けで殺してぇって思う野郎が出てくるとでも?」
互いに冗談を言って、ケラケラと笑う。
二人は、この話をただの噂話として認識していた。
だが、二人とは違う目的を持ち、その話を聞いていた者がいた。
「その話、詳しく聞かせて頂けないだろうか?」
* * *
マークには婚約者が居た。
幼い頃から共に過ごした女性であり、幸せな家庭を築き上げることを信じて疑わなかった。
女性の名前はエルダ。
長い髪を持つ美しい女性だった。
ある日、その土地を治める貴族がエルダを見て一目惚れした。
どうにか自分の物にしようと考えた貴族は、重税を課し、その対価として強引にエルダを奪った。
マークは絶望した。
エルダを取り戻すため方々に声をかけたが、貴族に逆らう者など存在しなかった。
来る日も来る日も己の無力を呪った。
何度も悪夢を見て、愛する者を失う苦痛を味わった。
それから二月の時が流れ、村にまた貴族が現れた。
貴族は何かを捨てた。それはヒトの形をしていた。
「壊れてしまった。もう要らんから返す。代わりを寄越せ」
マークは、変わり果てた姿の幼馴染と再会した。
美しい髪や肌はズタズタに引き裂かれ、片目が抉り取られていた。背中には鞭を打たれた痕が無数に残っており、彼女が受けた仕打ちを想像させた。
(……殺してやる!)
マークはこれまで以上に貴族を憎悪した。
しかし彼には力が無い。故に奥歯が砕ける程に歯を食い縛り、耐えるしかなかった。
マークはエルダの治療に努めた。
あー、とか、うー、しか言わなくなった彼女の姿に胸を痛めながらも、元に戻る日を信じて努力した。しかし、そんな日は訪れなかった。──エルダが自ら命を絶ったからだ。
マークはエルダの亡骸を抱き、子供のように泣いた。
そして怨嗟の声を発した。あの貴族を必ず殺すと叫んだ。
そして次の瞬間、マークの目に何かが映った。
それは宙に浮かぶ文字で、次のように記されていた。
・おめでとうございます! あなたは復讐代行の権利を獲得しました。
・あなたの恨み、必ず晴らして差し上げます!
・ただし、対価として、あなたの命を頂きます。
・権利を行使しますか?
YES / NO
マークは唖然とした。
幻覚を見ているのかと思った。
だが不思議と迷わなかった。
ゆらゆらと揺れる「YES」に向かって、何かに導かれるようにして手を伸ばした。
──本当によろしいのですか?
マークの頭の中に、知らぬ女性の声が響いた。
「ああ、構わない」
──あなたは死んでしまうのですよ?
「どうせ、もう生きる意味など無い」
──ああ、なんと、なんと悲しいことなのでしょうか。
文字が光り輝いた。
眩い光を受け、マークは目を閉じた。
そして次に目を開いた時、美しい女性が立っていた。
「最後通告です。あなたが権利を行使した場合、その瞬間、あなたは絶命します。ただ死ぬだけではありません。あなたの復讐対象が味わう苦痛と同じモノが、あなたにも与えられます。その後で、必ず、命が終わります」
マークは、まるで夢を見ているような気分で、その声を聞いていた。
「……引き返すなら、今ですよ?」
彼女はマークの耳元で、そっと囁いた。
「……本当に苦しいですよ? しかもあなたは、復讐が達成される瞬間を見ることができません。それどころか同じ苦痛を味わうのです。……救いがあるとすれば、あなたが苦しい程、憎き相手も苦しいのだと思えることくらいです。だって同じ苦しみですから」
それはまるで悪魔の囁きだった。
「それでは、最期の返事を聞きましょうか」
マークは迷わず首を縦に振った。
女性は嗤い、彼が持つ『権利』が行使された。
* * *
貴族とは神である。
つまり、私は神である。
民草は貴族のために存在している。
故に、私が民草をどのように扱っても咎ではない。
それなのに──
「復讐だと?」
突如として現れた見知らぬ女が、おかしなことを言いだした。
「はい。マーク、という男性をご存知ですか?」
「知らんな。それより誰だ貴様。ここは何処だ?」
私は寝室に居たはずだ。
しかし、いつの間にか何も無い空間に立っていた。
「私はティア。ここは、貴方にとって終の場所」
「ふざけるな。訳の分からないことを言いおってからに」
「あら酷い。私は大真面目ですよ?」
女はパチッと指を鳴らした。
すると女の足元が光り、化け物が現れた。
「なっ、なんだそいつは!?」
ヒトの姿をしている。しかし皮膚はドロドロに溶け、色は緑。あまりにも悍ましい存在だった。
「それは、貴方の姿です」
「私だと!? ふざけたことを言うな!」
「だから、大真面目だと言っているではありませんか」
女が笑う。
化け物がゆっくりと歩み寄る。
「女! こいつを消せ! 貴様のスキルなのだろう!?」
「不可能です。ただご安心を。それは、ただやられたことを返すだけですので」
「もう良い! 私が消し炭にしてくれる! ヘルフレア!」
私は最上位の火炎魔法を発動した。
これぞ私が貴族たる所以。
この劫火の前では如何なる存在とて……!?
「なっ、無傷だと!?」
──そこからは、見るに堪えない光景だ。
なにせ、彼がマークの婚約者に行った凌辱と体罰、二月に及ぶ非道を全て、その身に受けるのだから。
「ちょっと見てみましょうか」
悲鳴を上げ続ける男を見て、ティアが呟いた。
男は二月分の苦痛を味わうが、ティアも同じ時間を過ごすわけではない。彼女の目には、のたうち回る男の姿だけが映っている。
「あら、まずは瞳を舐めたのですね」
彼女はその場に屈み、喜劇か何か見ているかのような微笑を浮かべて言った。
「あらら、自害なさったようですね」
貴族の男が口から血を吐き、動かなくなった。
それを見たティアは、とても退屈そうに言った。
男は心が弱かった。
貴族として膨れ上がった自尊心、そしてヒトとしての尊厳を同時に奪われた。その苦痛から逃れるため、死を選んだ。
しかし、まだ復讐は終わらない。
男が与えた分を「全て」返すまで、終わらない。
ティアは手を伸ばし、パチッと指を鳴らした。
その音を合図にして男が息を吹き返す。
「──ッ!? な、一体なにが!?」
「最初からやり直しです」
その後、男は命乞いを始めた。
しかしティアは微笑を浮かべるだけで何もしない。
やがて復讐が終わった。
男は生きている。彼は命だけは奪っていないからだ。
「……終わっ、たのか?」
「はい、終わりましたよ」
「……真実か?」
「ええ、私は嘘が嫌いです」
その言葉を聞いた直後、男は今度こそ自害した。
方法は簡単。魔法を使って自らの心臓を焼いたのである。
全て見届けたティアは、満足そうに指を鳴らす。
その空間は消滅し、二人は元居た場所に戻った。
ティアは自分が元居た場所──寝室に戻ったことを理解すると、ふらふらと歩いてバルコニーに出た。そして地上を照らす星空を仰ぎ見て、紫紺の瞳から一筋の涙を零した。
「……また、ヒトを殺めてしまいました」
貴族の男が悲鳴をあげる間、ティアはずっと笑みを浮かべていた。しかし彼女は、殺害に快楽を覚えていたわけではない。
「ああ、胸が痛い。私のスキルで、また、二人も……」
彼女には罪悪感がある。
命を奪ったことに対する自然な感情がある。
「つらい、苦しい……」
彼女は両手で胸を押さえ、その場に膝を突いた。
「……心地良い」
そして、うっとりとした声で、表情で、胸の痛みが心地良いと、そう言った。
* * *
自己紹介をしましょう。
私の名前はティア。ただのティアです。
身分は、元貴族、でしょうか? 家族は皆、私のスキルで復讐されてしまったので、もう残っておりません。
ああそうだ、スキルの説明がまだですね。
スキルとは、十五歳になると神から与えられる特別な力のことです。私のスキルは『復讐代行』というものです。
このスキルは、私の意志とは無関係に、強い憎悪を持った人に『権利』を与えます。
もちろん、復讐をする権利です。
どのような結果になるのかは、やってみなければ分からないのですが、今のところ全ての方がお亡くなりになっております。
この世には沢山の悪い人が居ます。
しかし、大抵の被害者は、悪い人をやっつける力を持っていません。そんな方々の願いを叶えるスキル。それが、私の復讐代行です。
ただし、対価として命を頂きます。
もちろん強制はしません。きちんと対価を説明して、自らの意志で『行使』することを選択して頂きます。私は、被害者の方々が死ぬ必要は無いと思っていますから。
その証拠に、私はいつも説得しています。
本当にいいのですか? 死んでしまいますよ? ……と!
今のところ権利を破棄した方はいらっしゃいません。
残念です。心から残念です。私の説得が失敗する度、少なくとも二つの命が失われます。
私がこんなスキルを賜らなければ、失われなかった命です。
胸が痛みます。張り裂けそうです。
……もっとも、この痛みがまた心地良いのですが。
いえ、違います! そんなこと思っておりません!
ああ、ああ、恐ろしい。これも全てスキルのせいです。
私は願っています。
いつか説得が届き、命を大事にする方が現れることを。
本当です。心から願っています。
だって私は人を殺めたくないのです。
こんなスキル、叶うことなら捨ててしまいたいと願っています。本当です。
……あら、早速また新しいお客様が現れたようです。
まったく人間とは愚かしい生き物ですね。どうしていつも私を楽しませて……こほん。私に苦痛を与えようとするのでしょうか。許せません。
さてさて、それでは説明に参りましょう。
方法は簡単。スキルに意識を向け、不思議な感覚に従うだけ。これでまずは第一段階。権利を与えられた方と私の声が繋がります。
「本当に、よろしいのですか?」
私はいつものように甘い声で言いました。
これは決して権利の行使を促しているわけではありません。相手を緊張させないための気遣いです。本当です。
『おおっ、なんと美しい声なのだ!』
私の耳は、おかしくなったのでしょうか?
『今の声はどこから? ここか? いやそこか? ああもどかしい、早く姿を見せておくれ!』
どうやら私の耳は正常なようです。
……おかしいですね。
私のスキルは強い復讐心に反応するものです。
このような能天気な方に権利を提示するなどありえないことなのですが……
「質問してもよろしいでしょうか?」
『おおっ、また声がした! どこだ? 上か? 下か? まさか私の中なのか!?』
「質問しても、よろしいでしょうか?」
『おっと、すまない。我を忘れてしまった。よかろう。何でも聞いてくれ』
頭痛がしてきました。
しかし、話を進めなければ、このおかしな殿方との会話を打ち切ることができません。
「あなたは、どなたに復讐を願っているのでしょう?」
『復讐? ああそうか復讐か。そうだったな。私の敵は、神だ!』
「……はい?」
『ああ、運命の女神は残酷だ。私はこれ程までに愛を求めているのに、どうして出会いを得ることができないのだろうか』
バカなんですかこの人。
『私だけを愛し、見目麗しく、豊満な乳房を持つ女性と、どうして巡り合わせてくれないのだろうか!』
……困りました。こんなことは初めてです。
どうやら私の願い──権利の破棄が果たされそうですが、これはちょっと……いえ、かなり望みと差異があります。それこそ、パンくずとドラゴンくらいの違いです。
「一応確認します。あなたは神に、どのような復讐を願うのですか?」
『私と同じ目に合わせてやる!』
「……それに、命を賭けられますか?」
『それは出来ない。何故このようなことで死なねばならないのか』
私が聞いているのですか?
「それでは、権利を破棄してください」
『それは、このNOという神聖文字に触れれば良いのか?』
「はい」
『触れるとどうなる?』
「権利が破棄され、あなたは元の生活に戻ります」
『それはつまり、貴女の姿を見ることができないということか?』
この方は、真剣な声色で何を言っているのでしょうか。
『困る。私は貴方と会うために、わざわざ神を恨み、憎しみを募らせたのだ』
私は言葉を失いました。
理屈は分かります。しかし、考えられないことです。
『酒場で噂を聞いた。復讐を願う者の前に、見目麗しい女性が現れるという話だ!』
この方は、どうやら私を一目見るためだけに、例えば先日出会ったマークという男性と同等の憎悪を抱いたようです。……信じられませんが、スキルがそれを証明しています。
『あなたと会うには、どうすればいい?』
「……その質問には答えられません」
『では、会いに来てくれ! 私はエルドア国、第二王子のアース・ドライア・ディ・エルドアだ!』
……滅ばないかしら、その国。
『私はどちらでも構わない! ただ、貴女と会いたい』
「……」
『どうした? なぜ何も言ってくれない? まさかスキルが……いや、まだ文字が見える。権利は保留されているはず……そう、保留だ! 聴こえるか美しい人! 貴女が会ってくれるまで、私は権利を保留し続けるぞ!』
……なぜ、私は脅迫されているのでしょうか。
『さあ! 早く! その姿を見せておくれ!』
「……分かりました! 分かりましたから、騒ぐのをやめてください! 頭に響くのです!」
私は眩暈を感じながら、彼と会うことにした。
苦渋の決断でした。なぜなら、彼が権利を「行使」するか「破棄」しなければ、このスキルは永遠に保留状態となります。つまり、この喧しい男の声が四六時中聞こえてくるということです。
──それからのこと。
私のスキルを知った彼は、しかし権利を破棄してくれませんでした。
ありえないことです。
私が迷惑なのはもちろんですが、彼も、常に神聖文字が見え続け、日常生活に支障があるはずです。
しかし彼は、あっけらかんとした顔をして、私に言いました。
「だって君は、本心では殺したくないのだろう?」
だから──自分が保留を続けることで、その願いを叶えられると、さも当然のように言ったのです。
「……おかしな人」
こうして私は、
スキル『復讐代行』を事実上封印され、奇妙な王子と関わりを持つことになりました。
そして大変不本意なことに、
彼の手で、私は呪いのような日々から解放されました。
その代わりに、
『ティア、そろそろ私と結婚する気になったかな?』
「寝言は心の中で言ってください。イチイチ頭の中に声が響いて鬱陶しいので」
『ああティア、君は今日もそっけないね。でも私は諦めないよ。決して、諦めないからね!』
なんともまあ、厄介な人物に付きまとわれることになったのでした。
『おっと、目の前に美しい人が! 声をかけなくては!』
「おいコラ、待ちなさいバカ王子」
しかし彼は、この通り気の多い方でした。
『なぜだいティア? 君は私の求婚を受け入れてくれない。ならば、私達はまだ他人ではないか。それなのになぜ、私が他の女性に声をかけることを、君が咎めるのだ?』
「…………」
何故か、胸が痛むから。
そんなことは口が裂けても言えず、私はいつも沈黙してしまいます。
『ティア! 黙っていたら分からないよ! 理由を教えておくれ!』
「ああもう! 喧しい人ですね! 勝手にしてください!」
しかし最後は、いつもこのような会話になります。
その後、彼は本当に他の女性を口説き始めます。
その声を聞いていると胸が痛くて……それがなんともまあ、心地良い。
い、いえ、いいえ! そんなことはありません! 決して! ちがう……はずです!
──と、こんな具合に。
私はひとつの呪いから解放された代わりに、何か別の呪いを受けてしまったようです。
「あー、女性の方、聴こえますか? その方、あちこちで同じことを言っていますよ」
『ティア! やめなさい!』
だからこの奇妙な関係は、
これからも、そこそこ長く、続きそうなのでした。
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