囮を買って出ました
氷の柱が溶けたことにより、また自由に首を動かせるようになったヒュドラは、反撃を開始した。残った9本の首を大きく横に振って、攻撃を仕掛けていたクレタとケネイアを弾き飛ばす。それから彼女達が立ち上がる間もなく、自分の周囲に毒ガスを吐いて、二人が近づけないようにした。
息を止めれば、ヒュドラに近づいて攻撃できなくもないが、クレタとケネイアはそれをしない方が良いと判断し、毒ガスが消えるまで待機することにした。なぜなら、ヒュドラは自分に近づいた相手を首で拘束し、息が続かなくなるまで毒ガスを充満させ、殺そうとしてくるからだ。彼女達は昔ヒュドラと戦った時、実際にそれをされそうになったことがある。その時は司令塔のエリュマが一早くヒュドラの策略に気づいたため、引っ掛からずに済んだのだ。
数秒経って毒ガスが消えたので、クレタとケネイアはヒュドラに接近した。クレタは右手に拳をつくり、ケネイアは横方向に振るうよう剣を構えている。だが、そいつは素早く後ろに下がって二人の一撃を避けた後、再び毒ガスを吐き出した。二人は瞬時に息を止めて後ろに飛び下がる。
ヒュドラから距離を取った後、嫌な予感がしてクレタとケネイアは顔を見合わせた。どうやらヒュドラは、ひたすら自分の周りに毒ガスを充満させて、近づけないようにしているようだ。このまま平行線の戦いを続けていれば、キャンサの召喚した氷の壁が脆くなり、それを破壊して逃げられてしまうだろう。
クレタとケネイアが攻めあぐねている様子を見て、ネメアとキャンサが二人の元に来た。
「クレタさんケネイアさん、苦戦しているみたいですけど、何かあったんですか?」
「えぇ。私達が近づけないように、ヒュドラが常に自分の周囲に毒ガスを充満させ始めたの。息を止めて攻撃しにいけなくもないけど、首に体を拘束されて、息が続かなくなるまで毒ガスを浴びせられるかもしれないから、攻めるに攻められないのよね」
「なるほど。じゃあさっきみたいに、首の動きを止めればいいでしょうか?」
ネメアの提案を、ケネイアが首を横に振って却下した。
「ヒュドラは知能が高い。先ほどの失敗を学習して、二度と同じ手には引っ掛からないだろうね」
「うわぁ、そうなんですか、厄介ですね。それなら……」
毒ガスを口から吐き続けているヒュドラの方をちらりと見て、ネメアはゴクリと唾を飲み込んだ。ヒュドラの首は9本まで減っている。あの状態なら、自分が囮になって気を惹くことができるかもしれない。だが、それには大きな危険が伴う。緊張で指先が震えた。そこで町の悲惨な光景を思い出し、逃げてはいけないと自分を奮い立たせた。
「俺がヒュドラの注意を惹きます。その間に、クレタさんとケネイアさんは攻撃してください」
拳をギュッと握りしめ、ネメアは決意を固めた。
「ネメア君が囮をやるなら、私がヒュドラの首を焼くよ。危なくなったらフォローする」
ネメアに続いて、キャンサが役割を申し出た。二人の提案にケネイアは頷き、クレタは「決まりね」と答えた。
大きく息を吸って肺に酸素をため込み、ネメアは残った9個の火の玉を携えて、ヒュドラに向かって走り出した。その後にクレタとケネイアが続く。去り際、クレタはチラリとキャンサの方を見て、「ネメアを頼んだわよ」と目で言葉を送った。彼女の想いは伝わり、キャンサは大きく頷いた。