それは流石にやりすぎだ!
重い前足がネメアとクレタにのしかかる。このままでは押しつぶされてしまうだろう。しかし、二人は前足を両手で受け止めて持ちこたえた。
「ネメアちゃん、せーので持ち上げるわよ」
「はい!」
「せーの!」
二人は両腕に力を込めて、全力で前足を持ち上げた。お化けクジラがよろめいて後ろに下がる。その間に、走って距離を取ることに成功した。ネメアはお化けクジラが襲来するまでの期間に、自身の技を磨くだけでなく、クレタとの連帯も取れるように特訓していたのだ。その成果が出て、彼は顔を綻ばせた。
「お互いのコンビネーションを高めた甲斐がありましたね」
「そうね。よく頑張ったわネメアちゃん」
弟子の成長に、クレタもまた喜んだ。二人が無事だった様子を見て、ムパリもホッと一息吐く。
一方、サンゴ礁の精霊は眉を潜めて舌打ちした。その音を聞いて、二人は彼女の存在に気が付く。ネメアは全身の毛が逆立ち、静かな声でクレタに尋ねた。
「クレタさん、あの人ってまさか……」
「えぇ、お化けクジラを産み出した張本人みたいね。彼女はサンゴ礁の精霊よ」
返答を聞き、ネメアは頭の天辺が沸騰するように熱くなって、額に青筋が浮いた。
「あいつ、あいつがこんな化け物を産み出したんですね。許せない……!」
ネメアの心の中で、怒りや憎しみのこもった真っ黒な炎が燃え盛った。幼き日の辛く悲しい思い出が、瞼の裏で鮮明に描かれる。彼の故郷の村は、魔物の中で最も強いと言われるテュポンに襲われ、焼け野原になってしまったのだ。だから、お化けクジラにアンドロメダ島を襲わせようとしているサンゴ礁の精霊に対し、途方もない怒りが込み上げてきたのである。
「お前、どうしてお化けクジラにこの島を襲わせるんだ!!」
彼はサンゴ礁の精霊を怒鳴りつけた。彼女はフンっと鼻を鳴らし、お化けクジラの頭上に腰を下ろす。そいつは前足を伸ばして大人しく砂浜に伏せた。彼女は足を組んで、ネメアとクレタを見下ろしながら問いに答えた。
「先ほどムパリにも話したのだけれど、あんた達にも教えてあげるわ。この島の愚かな漁師達が、私の身体であるサンゴ礁を傷つけたの。だから痛い目に合わせて、二度と私のサンゴ礁がある海域で漁をできなくするのよ」
彼女の言い分に、ネメアが即座に反論した。
「それなら、漁師達に直接話をすればいいじゃないか! これは流石にやり過ぎだ!」
「話し合いなんかで解決するわけない! 人間は強欲の化身よ! 私のサンゴ礁がある海域は、沢山の魚が生息しているし、危険な魔物もあまりいない。だからどれだけ注意しても、漁師達はそこで漁をするに決まってるわ!」
反論に反論が重なる。サンゴ礁の精霊は人間を全く信用していないようだ。お化けクジラの頭上から立ち退き、彼女は堤防の先を指さした。
「お化けクジラ、まずは港町を襲撃するのよ!」
命令されて、お化けクジラはのそりと起き上がった。三人は何とかして上陸を防がねばならないと思ったが、サンゴ礁の精霊がそいつの身体を魔法で浮かせ、堤防の先に移動させてしまった。
「せいぜい、町が襲われる様子を、指をくわえて見えていればいいわ」
そう言い残し、彼女はお化けクジラの方へ飛んでいった。ネメアは歯ぎしりをし、拳をギュッと握る。そんな彼の肩にクレタが手を置いた。
「落ち着きなさいネメアちゃん。戦いの場では、冷静さを失ったものから死んでいくのよ」
そう言って宥めた彼女の目にも、強い怒りが籠っている。ムパリは彼らの元まで下がってきて、穏やかに言った。
「サンゴ礁の精霊は、自分の身体を傷つけられて気が動転しているみたい。あの子、とても臆病な性格だから。まずはお化けクジラを倒して、それから話し合いをしよう」
サンゴ礁の精霊の精神状態と、やるべき事を冷静に判断したムパリの意見を聞いて、二人はひとまず心を落ち着かせた。それから三人は戦う際の役割分担を決め、お化けクジラとサンゴ礁の精霊を追いかけた。