7話
僕がゲーゲー吐いて、吐しゃ物にまみれて顔をカッピカピにしてから1週間経った。
「おはよう」
「おはよう、カイン」
「アルト、おはよ」
「おはよう、ポコ」
僕が朝食の支度をしていると、兄と妹が起きてくる。16歳の兄は風習に従って1年前から正式な鍛冶屋見習いとして父の手伝いをしている。ポコはフォルテよりも小さいが、母のいない我が家では貴重な家事の戦力だ。
「ポコも、アルトの手伝いする」
「ポコはまだ寝ぼけてるから、顔を洗って、ご飯を食べてからで大丈夫だよ」
「はあい」
母はポコを産んだ時に死んでしまった。その時僕はまだ4歳で、カインは8歳だった。
あの時初めて父が泣いている姿を見た。
「段々アルトの飯の味が母さんのに似てきた。親父もそう思うだろ?」
カインがスープをすすりながら、なんとない話を父に振る。
「家族だが正式な師弟だ。親方と呼べ」
「相変わらず硬いなあ、親方は」
親の仕事を世襲する場合、15歳になる頃に見習いとして職場に入る。見習いになれば、家でも職場の呼び方を使うのが風習だ。
もっとも「一人前になるまで」というものだが。
「おかしな風習だと俺も思っているさ。それはともかく、今日の飯も美味い。確かに似てきたな」
「覚えてるのが味だけだから、時間がかかるんだ」
僕は鍛冶や鍛造に関する才能がない。だからこの家のことを担っているが、それだけが理由ではない。母さんが死んでからカインが僕とポコの食事の世話をしてくれた。その恩返しも兼ねているつもりだ。
「よく覚えてるよなあ、俺なんか昨日何食べたのかも怪しいのに」
「ポコは覚えてるよ、昨日は燻製肉のスープだったよ」
「違うな、父さんは覚えてるぞ。ふかし芋を食べた」
「昨日のご飯は焼き卵だよ。全員違うじゃないか」
昨日は珍しい卵が入ったから、焼き卵にした。町で養殖されている鶏卵ではなく、何でも魔獣の卵らしい。卵白が少なく、黄身が大きい。ネットリとした濃厚な味で、塩だけで美味しかった。
冒険者や行商人が出入りすると、こういう珍しいものが流通する。町の外に出られないので、珍しいものを物色するのがささやかな楽しみだ。
「そうか、父さんはふかし芋が好きだ」
「じゃあ今日はそれにするよ」
「楽しみだ。それじゃあ支度をするか、カイン」
「はい、親方」
いつも通りの会話、いつも通りの食事を済ませると、カインと父は作業着に着替えて工房へと出かけていく。
「じゃあポコは一緒に食器を洗っちゃおうか」
「うん」
食卓に残された食器をかごに入れる。大きな街では各家庭に水が引かれたり、魔法を使って水を生産するらしいが、僕らの町はそうではない。
洗い場と呼ばれる井戸のそばまで食器や衣類を運び、汲み上げた水で洗う。洗濯所には色々な家庭から人が集まるので、情報交換や雑談の場となっていた。
水道というものの便利さに憧れはするものの、この洗い場で「誰か風邪を引いた」とか「西の平原で魔物が活発だ」とか色々と有益な話が聞ける。
カタカタという、木が擦れる音を立てながら食器を外へと運んでいく。
「アルト君、ポコちゃん、おはよう」
「おはようございます、エマおばさん」
「おはよござます」
洗い場へ向かっていると、他家の主婦達と顔を合わせる。1人、2人と増えていくごとに会話が生まれ、話題が変わる。
「あら、トトリさんは?」
「それが具合が悪いらしいのよ」
朝のこの時間は主婦たちの点呼のようなものらしく、顔を出さないと心配されるし、見知らぬ顔が混ざっていると噂になる。
「お水が冷たくなくなってきたね」
「そうだね、これから暑くなるよ」
ポコは働き者だ。去年の秋頃から僕の手伝いをしてくれている。今年の冬は「冷たい冷たい」と言いながらもちゃんと手伝ってくれた。
「夏の月が昇ったら、お水気持ちよくなる?」
「夏は水も温いし、外も暑いから気持ちよくはならないかな」
「えー」
僕たちの会話を聞いている主婦たちが「ふふふ」とか「仲がいいわね」などと言い、それがまた新しい話題を生み出す。
「うちは兄弟仲が悪くて喧嘩ばかり」
「喧嘩するほどって言うじゃない」
毎日ここに来ているとそれは既視感というには程度が過ぎる。これと一言一句違わぬ会話を4日前にも聞いた。4日前の4日前にも聞いている。更にその4日前にも聞いている。
きっと主婦達の時間軸は何か輪環の呪いのようなものに囚われているんだと思う。
「さて、ポコはこのまま洗っててくれるかな。僕は洗濯物を持ってきちゃうよ」
「はあい」
汚れた衣類を回収するために戻る途中、1週間前の行商人、ポプリと鉢合わせた。