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19話

 フォルテが先陣を切る形で僕らの避難は始まった。


 皆一様に不安の色を隠せないでいる。戦える男たちを家族に持つ者にとっては、自分の身以上に心配なのだろう。


 僕も、もちろん妹のポコも、父とカインのことが気がかりだ。だが、いくら気を揉んだところで事態は何も変わらない。ただひたすらに、無事を祈って歩くことしかできなかった。


 こんなことなら、もっと剣を勉強するとか、魔法を勉強するとか、先に立たない悔いが押し寄せてくる。


 それらの後悔は全て結果論であり、漫然と安全を感じていた過去の自分に腹が立つ。


 僕らの生活は、誰かのちょっとした策謀や、魔物のきまぐれで壊れてしまうくらいに脆く儚いものだったのだ。


 魔物は町中にはびこっている。家々からは常に何かの鳴き声が聞こえており、脇道に目をやれば、必ずといっていいほど人間じゃない何かがいた。


 手を伸ばせば魔物に触れるような距離感に、巨大で重たい空気を感じる。


 それでも、ほとんどの場合において、魔物は僕らに牙を向けないのが幸いだった。


 ただ、何の前触れもなく鳴りを潜めていた魔物本来の習性をあらわにしてくるから、気を抜くわけにはいかない。


 フォルテは全員を先導し、襲ってくる魔物を蹴散らしていく。あるときは投石で、接近されたら剣で。


 あまりに速すぎる剣筋は、刀身に血や脂さえ残さないほどだった。


「この人も駄目だ」


 フォルテが心中をこぼす。


 襲われている町民を見かければ、フォルテは必ず救いの手を差し伸べた。


 しかし、その8割ほどは既に事切れていた。魔物に殺された者、倒壊した瓦礫に潰された者。そういう人を見かけるたびにフォルテから言いしれぬ気持ちを感じた。


 平時なら1時間ほどで到着できる町の入口が途方もなく遠く感じる。


 目標の半分もいかないほど、たった3分の1か、4分の1程度進んだ時、突然町全体が吠えた。


 正確には町を闊歩していた全ての魔物が一斉に雄叫びを上げ、魔物本来の本性をむき出しにした。


 同時に背中の方、ちょうどフォルテの家のあたりから、かなり強い力を感じた。


 体にべっとりと張り付くような、極度に不愉快な気持ちになる。例えば生ぬるい泥を全身に浴びたような、あるいはと殺された家畜の血液を掛けられたようだ。


 僕の他にも何人かが振り返った。一方で全く意に介さない者もいる。僕やヴィランダは気付いた者で、フォルテとポコは気が付かない者だった。


 多分これが魔物を引きつけている魔力なのだろう。


 魔物たちの一匹が金庫をこじ開けたに違いない。


 たった今、フォルテが相対していたオークが一回りか二回り、肥大化した。


 人間にとっては不快な魔力だが、魔物にとってはよい栄養になるのだろう。「魔物は時々進化する」と聞いたことがある。きっと、今目の前で起こったことが、その進化なのだろう。あるいは、これよりもずっと程度の著しいものを進化と呼ぶのかもしれないが、僕には判別できなかった。


「うるせぇ! 何だ急に」


 あまりの音量に、たまらずフォルテは耳を塞いだが、気休めになっただろうか。


 なにしろ、けたたましい雄叫びに地面が揺れ、窓が割れ、壁が崩れるほどだ。


 同行するみんなも恐怖で泣き叫んでいることだろうが、その声は一切聞こえなかった。


 突然、割れた窓の内側からオーガの手が伸びてくる。僕らのうちの一人を力任せに掴むと、そのまま屋内へと引きずり込んでいく。


 乾物屋跡取りのアルディスは、掴まれた握力に耐えきれずに事切れた。生きながら酷い目に遭わなかったことだけが幸いに思えた。


 先ほどまで、一応隊列みたいなものを組めていたが、これをきっかけにそれすらも崩壊した。


 護衛を担っているフォルテだけではどうにもならない数の魔物が怒涛の勢いで襲ってくる。


 巨大な咆哮、同行者に対する襲撃、おびたただしい魔物の攻撃は僕らの団結を簡単に破壊した。


 みんなは散り散りになって、思い思いの方向へ逃げていくが、そのほとんどが魔物の餌食となっていった。


「あっ」


 突然、右手の感触が消えた。この喧騒で、しっかりと握っていたつもりだったポコの手が離れていく。


 慌てて振り返る。頭の二つ付いた狼がポコにのしかかり、その首を噛み切ろうと、あんぐりと口を開けていた。


「ポコ!」


 剣を抜くか。いや、そんな暇はない。どうしたら助けられるのか、いくら考えた所で答えはただ一つ「間に合わない」というものでしかなかった。


 フォルテは僕の声に反応して振り返っている。この一晩で、フォルテの身体能力が人知を超えたものだと知った。しかし、その彼でもその体勢からポコを助けに行くことはできないだろう。


 ふと、母の顔を思い出した。


「嫌だ」


 口をついて出た言葉はとても小さいが、僕にとって精一杯の悲鳴だった。

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