16話
「なんだそれ、許しがたい」
「そうだね」
「なんで、そんなに冷静でいられるんだよ」
そう言うフォルテに対して「他人が怒っているのを見ると、冷静になれるよね」と、言いたかったが、火に油を注ぐと思った。
「フォルテが僕の分まで怒ってくれているから。それに」
「それに?」
「国は、いずれ痛い目に合わせるとして、カインや、父さんの方が心配だよ」
僕の仮定が本当なら、町の外へ迎撃に向かった男たちに勝ち目はない。たまたま町に居合わせた冒険者が協力的だったとして、それを数に入れても勝ち目がない。
「それで、俺らが生き残るためにはどうしたらいい?」
「夜明けを待って皆で逃げ出すか、今から皆で逃げ出すかってところだね。どちらにしても、この町を捨てるほうが生き残れると思う」
自分でも無茶を言っている自覚はあった。今、この瞬間も魔物の大群がこの町に向かって進んでいる。この火急の時に町を捨てて、約2万の町民が一斉に逃げる。
「はっきり言って無理だね」
「じゃあどうすれば」
フォルテは明らかにイライラしている。腕を組み、指を小刻みに動かしていた。
「親しい人を説得して、僕たちだけで町を出よう」
「……皆を、見捨てるのか?」
フォルテは領主の息子であり、弱気を助け、悪を挫くタイプだ。この反応は容易に想像できた。
「リスクを考えると、それが一番助かる確率が高いんだ。フォルテ、君は強い。君なら両親と、数人の知人を守りながら大きな街を目指せると思う」
そう告げると、フォルテはガリガリと頭を掻いて、小さく舌打ちをする。
「……うん、多分そうなんだろうな。『生き残る』ということを重視するなら、それがいいと思う。わかった。母上を説得してくるよ。最悪担いででも逃げるから、アルトも準備しとけよ」
「じゃあ父さんとカインを説得してこないと」
僕たち一家に母という存在は居ない。ポコに至っては母の顔も知らないはずだ。それがこの期に及んで父と兄を失うなんて許容できなかった。
「無茶苦茶なことを言うなよ」
「自分がとんでもないことを言ってるのは分かってるよ」
状況によっては、町の外で戦闘が始まっていてもおかしくない頃合いだ。甘く考えるなら、見えるところにまで魔物の群れが押し寄せてきている。厳しく見るなら、防衛部隊の半分が敗走か、死んでいる頃合いだろう。そんな時に前線に行くだなんて、死に急いでいるとしか思えない。
ポコにリュックを背負わせ、僕も担ごうと荷物をまとめていると、玄関の方から大勢の悲鳴が聞こえてきた。
「そんな」
予想を遥かに上回る事態の性急さに、思わず声が出た。
僕とフォルテは慌てるように走り出す。二人とも、さっき出来上がったばかりの武器しか持っていなかった。小さいなりに一生懸命追ってきているポコが視界の隅に見えたので。
「ポコはさっきの場所に戻って!」
と、叫ぶも、ポコからの返事は無く、騒音の中で妙にはっきりとポコの足音だけが僕の耳に届いていた。
悲鳴がした部屋に飛び込むと、何人かの若者が懸命にドアを抑えている。ドアは時々開こうとして、押し戻される。殴りつけるような衝撃音がする度に部屋の中の皆が恐怖し、悲鳴が上がる。
ドアを抑えている者も、その顔を蒼白にし、カチカチと歯と歯がぶつかる音を鳴らしていた。
「大丈夫か!」
フォルテが抜剣しながら走り出す。
ドアを抑えていた何人かは、その姿を見て気を抜いた。恐怖しながらも必死に堪えていたが、武器を持ったフォルテを見た瞬間に「やっとこの場から離れられる」と思ってしまった。
その気の緩みがドアを開かせ、歓迎していない客が入り込んでくる。
体長は3メートルくらいで、額に小さな角が生え、やけに発達した犬歯がむき出している。脂肪などはなく、筋肉だけが骨と内臓を覆い、手狭そうに腰を丸めていた。
「オーガ……」
どこかからそう聞こえてきた。村を襲い、老若男女を問わずにその場で食ってしまう逸話を持つ、大型の魔物だ。
その肩口には矢が刺さり、体中に切り傷があった。その割に、握った拳には何の血液も付いていなかった。
「あいつ、何してるんだ?」
部屋に入ってきたオーガは、人を襲うわけでもなく、キョロキョロと周りを見回している。オーガが動く度に誰かが悲鳴を上げ、鼻水をすする音が聞こえてくる。
大人しかったのは1分にも満たない時間だった。突然雄叫びを上げたオーガは近くに居た若い女に向かって手を伸ばした。
広く大きい筋肉質な手が迫り、女は恐怖のあまりに失神する。
「本当はサーベルの方が得意なんだけど」
フォルテが呟くと、オーガの腕が宙を舞った。
青白い血液が床に広がり、広がったそれの上に抜剣したフォルテが着地する。
「おっと」
思いのほか粘度の高い血液に、フォルテは足を取られるが、転ぶほどではなかった。
右手を落とされたオーガは憤慨したようだ。今度は左拳を思い切りフォルテに叩きつけた。
その拳は板作りの床を簡単に貫通したが、フォルテを仕留めることはできなかった。
「よっ」
軽々とオーガの肩口まで跳ねたフォルテは、そのままオーガの頭を蹴り上げる。
すると、オーガの顎が砕け、首は曲がってはいけない方向へ曲がる。
ズシン、とその巨体が床板を割る。
部屋中は静まり返り、今、目の前で起きた事態を飲み込んでいくが、歓声が上がるようなことはなく、誰かが漏らした言葉だけが聞こえた。
「オーガは手練の冒険者が集団で討伐するような魔物なのに……」
誰かの声は誰かの声を誘い、ざわざわと騒ぎが広がっていく。その集団の中から女が一人飛び出してきた。
「フォルテ!」
フォルテの母、ヴィランダは我が子の元へと駆け寄っていく。フォルテはしきりにブーツの裏を気にして「うわ、きたねえ」と靴底を床にこすり付けていた。
「よかった、無事で。あまり危ない真似はしないで」
ヴィランダはフォルテを抱きしめ、震えた声で気持ちを吐き出した。
「母上、ブローチが当たって痛いよ」
照れたような、気まずいような、複雑な表情でフォルテははにかむ。するとヴィランダは「ごめんね」と言いながら離れた。
「無事で良かったよ、それにしても凄い身体能力だね。えーっと、アメコミヒーローみたいだったよ。多分」
「みたいだったよ」
僕と、いつの間にか追いついてきたポコもフォルテに寄っていき、功績を称える。すると、フォルテはこう返してきた。
「いや、まだまだだ。アメコミヒーローってのはもっとこう、追尾式のミサイルを飛ばしたり、空を飛ぶことで自転を変えたりしないと名乗れないね」
「何を言っているのかわからない」
フォルテは不思議だ。彼が喋ると場が和んで、周囲に安心感が生まれる。
それがカリスマと言うべきか、スキルと言うべきかは定かではないが、フォルテには関わった人に安心感を与える不思議な力があった。
しかし、その安息は続かない。
大きな破裂音がして、窓ガラスが割れる。運悪く窓の近くにいた人にガラスが降り注いだ。「痛い」という言葉はその場にいる大勢の悲鳴にかき消された。
窓枠のそばには小さな槍が転がっていた。槍と言っても、木の棒の先に石をくくり付けただけのもので、ただ相手を殴るためだけの構造に見える。
そして、その窓枠からぞろぞろと、ちょうど堰を切ったように、ゴブリン達が入ってきた。